結局、何も変わらない。
その人の運命(その人の遺伝子)が持つ、受け継がれてきた人生のパターン(決められた道筋)を、そのパターンより、より良い結果になればと、少しずつ変えようと変えようとしても、目が回った状態で直進すると横に引っ張られるように、決められた道筋に戻されてしまう。
「人生をこう歩こう」という無意識のパターンは、人類が700万年前に生まれたとしたら、幾百万年これまでその遺伝子が生き残ってきた「安全」と認識した生き方だから、変えようとしてもその遺伝子刻まれた記憶に引っ張られるように、決められた運命のパターンを生きてしまうのかもしれない。
それでも、これまで、先祖やその先祖はより良い人生を目指して、生きてきたはず。より良い「今」を求め続けたからこそ、生き残ってきたのかもしれない。頑張らなければ、生き残れなかったはず。
時に遺伝子の記憶は手枷足枷になり、決められた運命があるならば、決まっていない運命=これから決める運命もある。
それでも数百万年の螺旋の連なりは強く、今の生き方は「1ずつ」変われば御の字で、ほとんどは「0.1ずつ」程度で、目に見えて変化はわかりにくい。
人生の出来事で大きな別れや出会いで「1〜2ずつ」、親友からの喝で「0.5」、何気なく見てたテレビで「2」だったり。衝撃が「20」受けたとしても歳を重ねると忘れていくので「1〜2」程度しか刻まれない。
それでも確実に変化はしていく。人生に影響するような出来事はもちろん、影響していると認識していない出来事も遺伝子に刻まれていく。新しい運命を作り出していく。
それでも「何も変わらない」と思ってしまう。人生は一度きりで比較できない。後の人生も前の人生もない。「より良い」という言葉が矛盾するが、より良い人生を送るためには、遺伝子の繋がった(継父母や友人・知り合いなら遺伝子の似た)親や祖父母を参考に改善点を見つけ、新たなルートを開拓する。
そんな子どもらを見て、親はきっと満足する。(あぁいい人生送ってるなぁ)と感じてもらえたなら、「より良い」人生なのだろう。
それが確認できるのは、有り難いこと。