全てを自分のせいにするのは、ラク。
他人のせいにするのは、もっとラク。
空を飛ぶのは自分で、バタフライエフェクトのような効果があるならば、起きうる出来事は、自分の羽ばたきがきっかけとなっているかもしれない。
そのせいでどんな未来がやってこようと、羽ばたきを止めるわけにはいかない。
少なからず飛び方次第では、身に降り掛る禍いや心配事を躱せるかもしれない。
「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか? 」、ほんの些細なことが大きな現象の引き金に繋がるのか。
自分の羽で飛んでいる以上その可能性は否定できないが、自分の行動が原因ですべてのモノゴトが起こり、身に降り掛っているわけでもない。
その竜巻は私のせいだ。その竜巻はあなたのせいだ。
結局のところ、何が引き金になっているかはわかることはないから、人は「考え方」次第で物事の正負を決める。何がきっかけだったのか。どこで間違ったのか。どうすればよかったのか。思考の末に、今起きた出来事を整理する。
いきなり自分のせいにするのは、【ラク】。
いきなり他人のせいにするのは、もっと【ラク】。
何のせいかを「考える」ことは、ラクではない。
他人と自分と比べながら、主観で考え客観で見直し、割り出された結論を考察する。出来事には原因がある。その原因はどこにあるのか。人間の中にある。他人の中か、自分の中か、その両方か、ちゃんと(意:少しも乱れがなく、よく整っているさま)考える。理路整然かつ情緒纏綿に考える。そこで感情を排除して考える必要は無い。人には心がある。それを排除して考察することこそ不合理。その先に出る適当な答えが、自分にも他人にとっても、建設的で健康的な結果を齎してくれる。
感覚や印象だけで決めない。
人間らしく、心と頭で原因を探ってみる。