人は、産まれた時から、「生きる」という1択しか与えられない。
「死ぬ」とは、「選択肢」ではない。
産まれた時に渡された「生きる」という選択肢を「放棄する」ことに過ぎない。
「死ぬ」とは、選択した後に齎される結果。①放棄する→その結果②死ぬ。
よって、選択しているのは「生きることを放棄する」となる。
「生きる」ことは、つらく苦しいが楽しみや喜びもある。ただ、そのバランスは人それぞれで、つらいことばかり続く人もいる。(もうこれ以上がんばれない)そう思って、「生きる」ことの大半は「苦しい」と結論付けてしまい、「生きる」を「放棄する」選択をしなければならなくなる。そうすれば、少なくとも「苦しい」ことからは、解放されることは、“確か”だから。これから先、良いことが起きるかどうかは不確定だけど、それだけは“確か”だから。
運命は残酷で、良いことも悪いことも、こっちの事情なんてお構いなしにやってくる。“つらいこと”はどこか角で待ち構えていて、でもそれは他人によっては“良いこと”で、“悲しいこと”は突然降ってくるけど、毎日どこかで“楽しいこと”は起きている。
生きとし生けるものすべて、「生きる」という選択肢しか与えられていない。
肉食動物のように「狩りをして肉を食う」と同じ、実は、人間もそのくらいシンプルな生き方しかできていない。
先祖代々お店/伝統/技術を継いでいたり、大家族だったから自分も大家族を持ったり、ダメな男に引っかかってばかりだったり、お金持ちはお金持ちのままだったり、他人と自分を比べれば多種多様な『生き方』に見えるが、その実、同じような生き方しかしていないことがほとんど。遺伝子に刻まれた行動・思考・性格・体質・環境・文化・記憶に大きく左右されていることのほうが多い。
人は、遺伝子を受け継いでまでも、長い時間をかけて「より良い生き方」を試みる。
次こそは!今回こそ!と、「生きる」という突きつけられた選択肢を『良いもの』にしようとしている。「選んでよかった」と言えるように、「選ばせて良かった」と思ってもらえるように、このどうしようもない横暴で無邪気で美しく楽しい…人間の全部の性格を持ってる「生きる」って運命(ヤツ)を、『良いやつ』だと思えるように、生きている。生きていく。
途中で捨てられた「生きる」って運命(ヤツ)は、『どんなヤツ』だったんだろう。
荒れてたのかな。さみしかったのかな。くるしかったのかな。『どんなヤツ』だったんだろう。
それ思うことは、なにか寂しいな。
「生きる」は、“残る”ことも“捨てる”ことも、選べないから。
それらを“選択”するは、「自分」の勝手だから。
「生きる」ってヤツは、何も選べないから。