で、沖縄に行ってきました。


時間あるときに書きたいと思います。





今日、下宿先とお別れしました。


1回生のころは家から通学していたので、

実際にこの部屋で過ごした期間は3年間ですが、

すごく密度の濃い時間だったのでもっと長く感じてしまいます。




からっぽになった部屋の真ん中に立って、

ぼーっと考えごとをしてみました。



うれしかったこととか、

悲しかったこととか、

いろいろ浮かんでは消えていきました。




「忘れる」のも人間の能力の1つである


と、いう話を聞いたことがあります。


悲しかったり、辛かったりしたことを、

静かに忘れていけるからこそ人間は生きていける…。



たしかにそういう部分はあって、

自分もきっとその能力のおかけで心を保っていけるんだと思う。



でも、やっぱりその一方で、

「忘れる」っていうのは寂しいことだな、と

改めて思ったりしました。


今この部屋でこんな風に考えていることも

いつかきっと忘れ去ってしまう…


それも自分では気付かないうちに。



なんかそれは絶対イヤで、

ずっとずっと今日考えたことを「忘れ」たくないな、と思ったりして。



ここに書いてみたりしました。




1年くらい前に出会ったある先輩が、


「おれの長所は、自分の弱さを認められることかな」


っていう話をしてくれたことがあった。



長所っていうと、

「負けず嫌い」とか「行動力」とか「リーダーシップ」とかっていう、

自分の能力を“外”に発揮するものだと思ってた当時の自分には

この言葉はとても新鮮で、衝撃的だった。



そのころの自分はというと、

ことあるごとに周りと自分とを比較して、

弱さを「認める」どころか、逆に「隠す」ことに必死になっていた。


「よく見せたい」

「ええカッコしたい」

「自分をおっきく見せたい」


そんな思いが先行して、空回りすることも多かった。


だからこそこの言葉を聞いたとき、

ものすごくハッとさせられたし、

「このままじゃいけない」と直感的に思わされた。


できるだけ自分の心に正直になろうと決心した出来事だった。




で、その1年後のいま。


「自分の弱さを全く隠さなくなったか?」


と聞かれると、

やっぱりそれはまだまだ難しい、と答えてしまう。


でも少なくとも、

自分の中に弱さがあることに、以前のような抵抗はなくなった。




ちょっとずつ、ちょっとずつだけど、前に進んでいる自分がいる。



いつの日か、堂々と、

冒頭のセリフを吐いてみたいな、と思う。




幕末の志士・坂本竜馬の生涯を描いた名作。


土佐郷士の次男坊にすぎない竜馬が周囲を変え、

やがては日本を変えていく様は読んでいて実に壮快。


自分自身の「生き方」そのものを考えさせられる。


この小説を読んでいて特に驚かされるのは、

20代の若者が本気で日本の事を考え、
そして実際に命を賭して行動していること


もちろん、
時代背景が違う。社会情勢が違う。宗教観が違う。

バックグラウンド自体がそもそも全然違うが、
この考え方は間違いなく現代の若者も見習うべきだと思う。

なにも命を賭けろとは思わない。
本気で考える対象が政治である必要も無い。

ただ、
自分の中で譲れないものを信じ、死ぬ気で貫き通すこと。

このココロは本気で見習いたい。




1月末で最後のテストが終わりました。



就活関連で何回か学校に行く機会はあるけど、

同級生には学校ではもうほとんど会うことはありません。





急に、今年入ってから

学校で偶然会った友達の顔が、いくつも浮かんできました。


みんな普段どおりで、

楽しくしゃべって、いつものようにバイバイしました。


でも、いつものようにバイバイした後で、

「これは、いつもとは全然違う意味のバイバイかもしれない」

と、ふと気付いたりもしました。




今までのバイバイは、

次も会えることが前提で、

それまでの期間を埋めるためのバイバイ。


でも、今日したバイバイは、

もしかしたら本当の意味でのバイバイで、

もう二度とこの子と会う機会がないんじゃないかって。



そんな風に考えたら急に怖くなってきました。



もちろん仲のいい友達との関係はずっと続くだろうし、

この先思いがけない土地でばったり再会する子もいると思う。


でも、そうではない友達も、

決して少なくはないんじゃないかと思う。




4月から、みんなバラバラになって自分の夢を追い求めていく。



「出会いに別れは付きものです」

みたいなことを、むかし誰かが言っていた。



どうせなら、いいバイバイをいっぱいしたいなと思う。



++++3日前からの続き++++


「競いたいから」と「叩かれたいから」

まぁ当面の僕の働く理由はこの2つなワケで。

でももちろんこれはずっと続くわけなんじゃなくて、どんどん形を変えていくものやと思ってる。当たり前か…。40過ぎておっさんになってまだ、「叩かれたいです♪」とか言うてたら、たぶん誰も近寄ってくれへんw。


おそらく実際に働き始めたら、もっと具体的なものが見えてくるやろうし、その理由に“人”が含まれるようになったらもっともっと強い思い、行動につながるんじゃないかと思う。それはまぁ、そんときに考えたらいい。



大事なのは、ずっとずっとこの「働く理由」を考え続けること


明確な1つの答えが見つかるのかもしれないし、そうではないかもしれない。でも、それでいい。なんとなく漠然と働いて、気付いたらおっさんになってて、「人生なんだったんだろう」とかいう寂しくて、でもたぶんそこらじゅうに溢れてるだろう感情が生まれないように。



「働く」ことは「生きる」ことに直結する。


未来の自分へ。きみは何のために働いているか。



++++きのう、おとといの続き++++



営業選んだ理由。その2。

たぶんこっちの方が重要なんだろうけど、それが、


「叩かれたい」


別に変な意味じゃない(笑)


就活中どっかの企業のOB訪問をした時に、とある営業マンが、


「営業の魅力は、いろんな考え方持った人に叩いてもらえることかな。他の職種やと、社内の人間や自分と似たような人間としか付き合いなくなるけど、営業やと、全然違う業界のかつ年代もはるかに上の人に毎日叱ってもらえるねん。」


みたいなことを言ってた。


別にその人自体が特に印象に残ってるわけではなくて(そもそもドコの企業の人かすら覚えてない)。けど、なんかこれ聞いた瞬間にすさまじいフラッシュバックが起こって、自分には「これが絶対必要なんや」直感した。 



で、そのフラッシュバックっていうのが、


海外に行って外人に常識全然通じひんくて葛藤したこととか、旅の最中に、あり得へん価値観のもと行動するスーパーマンみたいな人に出会ってショック受けたこととか。要するに、自分の中の常識とか、今までの考え方、価値観が完全に覆された経験。


驚きの反面、自分の受け入れられる範囲みたいなもんがちょっぴり広がって、満たされた気持ちになった。


と同時に正反対のモデルもフラッシュバック。


役員室みたいな部屋で、高価な椅子にふんぞり返りながらエラそうに説教してるおっさん。他の人の意見なんてこれっぽっちも聞いてなくて、世界は俺や、みたいに思ってるのに、実際はちっちゃいちっちゃいことしか言ってない人間。つまりは視野せまい人間。


で、そのおっさんの姿が、みるみるうちに自分に変わっていった。


偏った考え方しかできなくて、常に上からモノを見下ろしてるやつ…。世界中には、ほんとにたくさんの人がいて、お互いを認め合いながら生きてるのに、目の前のほんの小さな違いも受け入れることができない、そしてそれにも気付けない、そんな最悪なやつ…。



「イヤやっ!!」。絶対に。

絶対なりたくない。でもなんかその時に、


「ほっといたら自分は将来、こうなってしまうんちゃうか?」


って本気で思ってしまった。それがどんなに恐いことかも。



だから、営業やってバンバン叩かれたい、と思うようになった。


イチから始めようか、と。まずはいろんなトコ行って、いろんな考え方持った人に怒られて、頭下げて、自分と相手の間にある溝にいちいち葛藤して、んでその結果としてはじめて、他人のいろんな価値観とか考え方、幅広く受け入れられる人間になっていこうやないか、と。


たぶんそこには、苦労とかいっぱいあって、傷ついて、逃げ出したくて…。でもそれって自分にとって決して飛ばしていいプロセスではないんじゃないかと。


そんな風なことを、だいぶ上のほうに書いたOBさんのセリフを聞いた直後に、2秒くらいかけて考えた。


結局その一瞬の思いは、就職活動全体を通じての、自分の中のゆずれないものの1つになったし、だからこそ、「働く理由は?」って聞かれて真っ先にこのことが頭に浮かんだんだと思う。



++++つづく++++





++++きのうの続き++++


営業を選んだ理由2つ。

理由その1。「競いたいから」。


いわゆる自己分析とか呼ばれるものをやっていく中で、ひとつの自分の性質みたいなものに気づき始めた。それが、「負けず嫌い」。自分では全然意識してなかったけど、それはもうあらゆる場面で威力を発揮してた。

「自分はどんな時にワクワクできたのか?」

「どんな時にイキイキできたのか?」

今までの過去の経験を洗いざらい書き出していく中で、そんなワクワクできる環境には、いつも「切磋琢磨」できる友達がいて、そいつらと「真剣勝負」してる自分がいた。それはスポーツでも勉強でも遊びにおいてでも。逆に、そういう競い合う仲間がいなかったり、目標が持てなかったりする場面では、ダラダラと過ごしてしまうことが多かった。

「負けたくない」とか「あいつも今がんばってるんや」、とかそういう気持ちが自分の中のモチベーションの中心で、それが満たされない仕事は突然眼中になくなった。で、当然のようにそれを一番満たすことのできる職種、つまりは「営業」に魅力を感じるようになった。



++++つづく++++




「なんで働くの?」


って聞かれて、「これやっ!」っていう風に自信を持って明確に自分だけの答えをできる人って、けっこう少ないんじゃないかと思う。もちろん自分も含めて。


一般的に考えてその理由は、


自分を磨きたいから。

お金を稼ぎたいから。

家族を幸せにしたいから。

新しいものを生み出したいから。

お客さんが喜んでる姿を見たいから。

組織に属していたいから。

働かないとヒマだから。 …などなど。


たぶん言葉は違えど、だいたいこんな感じの理由に収束されるんじゃないかと思う。もちろん誰もが理由は1コじゃないだろうし、それぞれがもっと具体的だったりする。


で、いま「言葉は違えど」って書いたけど、そのそれぞれの「違い」にこそ、その人の働く理由を際立たせてるものがあるんだと思った。成長を求めるのならば、では具体的に「何」を鍛えたいのか。人を幸せにしたいのなら、「誰」を「どのように」したいのか。新しいものを生み出すのは、「起業」なのか「商品開発」なのか、それとももっと別の方法なのか。etc...


じゃあ自分の場合はどうなんだろうって考えてみたとき、それは就職活動で自分が「営業」っていう職種を選んだ理由に直結していることに気が付いた。


営業を選んだ理由は2つ。「競いたいから」と「叩かれたいから」。


その2つにこそ、今の自分の根底にあるものと、今の自分に決定的に足りないものの両方が秘められていると思った。



んで、それについて書いてみたけど、あまりにも長くなってしまったので、4日分くらいに分けてエントリーしようと思う。


「卒業日記」とかってタイトルのブログ書いてると、まるで学生であることが名残惜しくて未練タラタラなんかと思われそうだけど、そんな気持ちは実は微塵もなかったりする。「あと一年、学生でいてイイよ」とか言われても、声を大にして「ノォ」って即答する自信がある。


それはきっと、今までやってきたことに誇りを持てるようになったことと、今からやっていくことに希望を持てるようになったことが、その大きな理由だと思う。



思えば起伏の激しい学生生活を送ってきた。振れ幅は常にMAX。大学だけじゃなく、高校、中学、小学校までさかのぼればなおさら。人格とか考え方もいろいろ変わったなと思う。



小さい頃はほんとに目立ちたがり屋だった。答えわからんのにとりあえず真っ先に手ェ挙げるタイプ。いつも中心におらな気がすまへん子供。ヒーローは野茂英雄。野球選手になりたくて少年野球に燃えた。


いわゆる思春期とか言われる時期には、ここには書けないようなこともいっぱいした。いろんなやつにあり得んくらい怒られたし、親の顔にも泥を塗った。おかんとか、夜泣いてた。さんざん現実逃避したあげく、なぜか取り憑かれたように勉強したりもした。



目指した高校に入った。入って3日目に、家が火事になった。今まで生きてきた証とか思い出とか、いろんなものがある日突然ひとつ残らずなくなった。学校にも行かなくなった。でも不思議と辛いとか全然思わなくて、単に無気力な日々が続いて、そんな自分を冷静に見つめてた。


しばらくして、ふと学校に行ってみた。おもろい奴がいっぱいいた。腹よじれるほど笑った。むちゃくちゃ楽しかった。いつの間にか友達も増えたし、生きてて良かったなとか本気で思えるようになった。3年間通じて、いい奴にもいっぱい出会った。一生続く関係ができた。幸せ。


大学。最初ホンマおもんなかった。最悪。見てくればっかりこだわる奴ら。ぺらっぺらな人間関係。酒飲めへん、おれ。楽しめる要素=ゼロ。楽しすぎた高校とのギャップが更におれをヘコませた。ああ、ここはおれの世界じゃない。


数年ぶりに勉強し始めた。没頭できた。なんせ、友達おらんかったから。あり余る時間。溢れる知識欲。そのうちライバルと呼ぶべき仲間にも、ちらほら出会い始めた。モチベーションの源。


インターン、就職活動。今までの人生では考えられんくらい多くの人に会った。年代、さまざま。考え方、さまざま。世の中には、すごい奴が山ほどいる。小さかった自分。世界を知った。


最後の1年。もう、時間を無駄にはできない。やりたいことは、全部やる。就活直後から、会社の立ち上げに関わった。本、読みまくった。自転車で2週間、旅した。勉強いっぱいした。青春18片手に電車に揺られた。富士山登った。屋久島に惚れた。フルマラソン走った。友達と語りまくった。就活生といま格闘中。メキシコ行く。中米ぶらつく。無事に帰ってきてあとなんか1個でかいことやる。



なにが言いたいかというと、「ああ…、おれ、いろいろ経験してきたな」ってこと。良いことも、悪いことも、この16年間の学生生活でいっぱいいっぱい経験した。感情の針は常に限界値を振り切ってた。


後悔は全くない、とかそんな綺麗ごとを並べるつもりはない。やり直せるのならやり直したいコトは数え切れないほどあるし、思い出したくない出来事もたくさんある。


でも。でもね。

そんな全部、ひっくるめて。

「今の自分なんだな」って改めて思う。


どの経験が欠けても今の自分はないし、今ここにいる自分をもっと大事にして生きていこう。過去に誇りを持とう、って。



そんな風に思えるようになって、冒頭の感情が湧き出てきた。もう学生である必要はない。これ以上のモラトリアムはいらない、と。


次のステージへ向けて。「今」を精一杯生きたいと強く思う。