わたしが小学生のとき、

近所の女の子たちとフェンスに

登って遊んでいたら、ふいに

「ささくれが出来るのは、

 親の言うことを

 聞かなかったからだ。」

「親の手伝いをしないと

 ささくれは出来ちゃうんだよ」

...という発言をされて、

めちゃくちゃ、とってもビックリ

したことがある。

「...えっ、いや、ビタミンが

 足りないからでしょ?」

と反論したのだけど、

その場では(2対1となり)

わたしの思う「ささくれ論」は

否決となった。

で、それが、ものすごく、

ものすごーーーーく不思議で、

いったいなぜだって

親の手伝いがささくれ防止に

なるというのか?

あまりにも逸脱していて

ポカーンとなってしまった。

指の皮が

「最近できてない」と自己認識し

みずから逆剥けていくと

いうのか??

じゃあなんで他の部位でもなく

指の皮なんだ???

どう考えても

親の都合ででっち上げた

ストーリーじゃん。

など、帰り道に

とても考えた。

そういう

「論理の“あいだ”」が

ないのに、

「自分が信じてる人が

 言っているから」

と、

受け入れてしまうことに

わたしはすごく、すごく、

不思議な気持ちを感じる。

いま思うと、

わたしが「多数決」や

「多数派」「ランキング」

といった情報を

信じられなくなった

最初の出来事かもしれない。

ここまで読んでくださった

奇特な方がいたとしたら、

きっとハハッと笑うような、

しょうもない

エピソードだと思う。

だけど、日本で?

SNS上で?

ときおり耳にするのは

目にするのは

「周りの人が

 みんな言っているから、

 そうしているから、合わせなきゃ」

という理屈だ。

みんなが興味を持っているから

おさえておかなきゃ。

みんながそう振る舞っているから

そういうことにしておこう。

みんなが「右だ」

と言っているとき

自分だけが「左だと思う」

というのは、

すごくこわい。

という意見を聞くことがある。

もし異論をのべると

攻撃されるような場なら

そこはきっと、離れたほうがいい

(やめなくても滞在時間は減らす方向で)

と、わたしは思ってしまう。

わたしは右だけど

あなたは左なんだね。

という会話はじゅうぶん成立する。

たしか心理実験でも、

あまりにも簡単な数の計算でさえも、

周囲の被験者が

みんなで一斉に同じ「誤った答え」を

述べると、

ふだんなら計算なんて容易い大人が

誤った答えを選んでしまう...

といった結果だったように思う。

周りと違うことは

強い恐怖につながりやすい

傾向もあるのだろうけど、

そんなときは

この「ささくれ」を

思い出してもらえたらいいなあ...

と思う。

そばにいて

「なんかオカシイよなあ」

と思っていた人たちも、

きっとホッとするはずだもの。

 

 

 

 

 

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