パッセンジャ-ズ Passengers  (compl)

パッセンジャーズは、主に80年代前半に活動したイタリアの音楽グループ。

 

 

活動期間:1979 – 1992年

所属レコード会社:Durium Marche Estere(Durium), Delta(Dischi Ricordi), Odeon Music(EMI Italiana), Iperspazio, Itwhy, D.V. More, REPLAY MUSIC

サンレモ音楽祭出場2回:1981年10位,83年23位

サンレモ音楽祭出品0曲

 

構成メンバー (太字はサンレモ音楽祭出場メンバー)

・ジェズアルド・キム・アレーナ (Gesualdo Kim Arena):在籍1979 – 92年ヴォーカル

・チャック・ローランド (Chuck Rolando):在籍1979 – 84年ヴォーカル

・エルワンダ・コントレラス(Elwanda Contreras):在籍1979 – 92年ヴォーカル

・キャスリーン・フリン(Kathleen Flynn, sostituita)在籍1979 – 80年ヴォーカル

メアリー・シェイ・コリーン(Mary Shay Colleen):在籍1979 – 92年ヴォーカル

 

 

 パッセンジャーズの話に入る前に、このグループのリーダー的存在のジェズアルド・キム・アレーナのことから始めなければなりません。

 

ジェズアルド・キム・アレーナ (Gesualdo "Kim" Arena)

本名ジェズアルド・"アレーナ (Gesualdo Arena) 1948年シチリア島東海岸中央部の大都市カターニア(Catania)生、心不全で2004年4月15日ヴェネチアの西30kmにある中都市ヴィチェンツァ(Vicenza)没。

歌手、ギターとパーカッションの演奏家、作曲家。芸名はキム・アレーナ、ジェズアルド・キム・アレーナを使っています。

 

活動期間:1956 – 1986年

所属レコード会社:Barclay(France), Rare, Philips

 

 ジェズアルドは映画女優アヴェ・ニンチ(Ave Ninchi)の甥、子供の頃に家族が引っ越したパリで育ちました。9才で芸能界デビューし、15才でフランスのバークレイで録音しています。またミシェル・ポルナレフ(Michel Polnareff)とデュエットしたとされています。

 

 ジェズアルドのバークレーでのレコードで確認が出来るのは1967年に出したEP盤”Ousont Les Amis”だけです。この盤はキム・アレーナ名義で発売されています。

 

71-174・M (1967年 Barclay – Barclay,France) Ousont Les Amis (どうにかなる)/Petite Fille/Brune Ou Blonde/Kim

71-174・M 45BNC-7008

45BNC-7008 (1967年 Barclay – RCA Italiana) Ou Sont Les Amis (どうにかなる)/Kim [Kim Arena]

 

 この”どうにかなる”は出来が良かったのかRCAイタリアーナのバークレー・レーベルからシングル盤で発売されました。

 

 同年バークレーはRCAイタリアーナとの契約を終了し、イタリア現地法人S.I.F.(Società Italiana Fonografica)を興し、彼の曲”Ou Sont Les Amis”は68年イタリア語で歌われる”Che Cosa Farai”としてRAREレーベルで発売されます。

 

SIF・NP-77506 (1968年Rare – SIF) Che Cosa Farai (Où Sont Les Amis) (どうにかなる)/ Bionda O Bruna (Brune Ou Blonde)

     SIF・NP-77506  

 

 こうして”どうにかなる”は68年のカンタジーロ・ジローネB(新人部門)に出場しましたが、入賞出来ませんでした。

 

  2枚目のシングル盤は A面はクロード・フランソワ(Claude François)の曲、B面がグラスルーツ(The Grassroots)の”リヴァ-・イズ・ワイド”のイタリア語カヴァーでした。これがイタリア・デビューのすべてでした。この後約10年、  キム・アレーナの消息は途絶えます。この間彼はルシチア・マルティネッロ(Luciana Martinello)と結婚し、アレッサンドロとマリカの2人の子供が産まれました。       

 

SIF・NP-77512 (1968年Rare – SIF) Tu Vorresti , Io Vorrei (Toi, Tu Voudrais)/La Mia Vita Brucerò (The River Is Wide) (リヴァー・イズ・ワイド)

SIF・NP-77512  6025-191

6025-191 (1977年Philips – Phonogram) More Jesahel/Living Motion (come Kim Rider)

 

 77年名前もキム・ライダーと変えて、72年サンレモ音楽祭でデリリウム(I DELIRUM)が歌い6位となった”ジェザエル(JESAHEL)”の英語版ディスコ・ヴァージョンでフィリップス・レーベルから再デビューしました。その後のパッセンジャーズを予感させる曲となりました。

 

 さてもう一人のミュージシャン、チャック・ローランドの事です。

チャック・ローランド (Chuck Rolando)

本名チャールズ・ローランド(Charles Rolando)1952年5月5日米国ニューヨーク(New York)生、歌手、ミュージシャン、ソングライター、プロデューサー。

先祖がピエモンテ出身のイタリア系アメリカ人でしたが、イタリアに帰化しました。

 

 幼いころから作曲をし、カリフォルニアを振出しに、カナダそして最後にヨーロッパに移り、時期は分かりませんがイタリアに定住しました。

 

 母の死を機にチャックはパッセンジャーズを84年に脱退しますが、デン・ハロー・プロジェクト(progetto Den Harrow)の最初に2枚の歌手として参加するなど、イタロ・ダンスミュージックとは深く関りを持ち続けます。

 

 88年からCBSディスキに勤務し、92年にソニーATVミュージック・パブリッシング・イタリアンのCEO兼マネージングディレクターに就任、15年以上務めました。2010年以降は独立プロデューサー、音楽家として活動を続けています。

 

 メンバー交代を含めて3人の女性メンバーです。

 

 まず結成から最後までパッセンジャーズ・メンバーであった、

エルワンダ・コントレラス(Elwanda Contreras)

1957年10月10日米国ニュージャージー(New Jersey)生。94年にソロでマキシ・シングル「Frankie Knows」を出しています。

 

RT-3013・MX (1994年 Rolling Tune Recordings) 12Maxi Frankie Knows (Dub Mix)/(Radio Mix)/

(R & B Mix)/(Happy Mix)

                RT-3013・MX

 

次にソロ活動をするため80年に退団した、

キャスリーン・フリン(Kathleen Flynn)

デビュー直後の”恋はスピーディー”と”ライオンは寝ている”のヒットを出した後、退団しサンレモ音楽祭には出場していません。81年にソロでシングル盤を出しました。

 

2060-241 (1981年 Polydor – Polyram Dischi) Don't Buy Me Love/Too Late To Change Your Mind

        2060-241

 

 最後はキャスリーン・フリンの交代要員でパッセンジャーズの最後までメンバーを務めた、

メアリー・シェイ・コリーン(Mary Shay Colleen)

本名はメアリー・コリーン・シェイ(Mary Colleen Shay)1958年2月12日カナダのシムコー(Simcoe)生。

 

 現在はスペインを拠点として絵画、音楽、詩作を用いた総合芸術家として活動しています。

 

70年代末に4人のメンバーがどうして結びついたのかと言う事になります。

 

二人兄弟の音楽プロデューサーが介在したと思われます。というよりはパッセンジャーズはこの人たちによって作られたと言ってもよいのかもしれません。

 

 アンジェロ・エ・フェリーチェ・ピッカッレダ(Angelo e Felice Piccarreda)あるいはアンジェロ&フェリックス・ピッカッレダ(Angelo & Felix Piccarreda)と表示する兄弟音楽プロデューサー・チームですが、その他にもコラボして色々な変名、バンド名を使いて活動をしています。

 

 アンジェロの正式名はアンジェロ・ピッカッレッ(Angelo Piccarreta)です。

 

 彼らはドゥリウムで働いていたらしく、同社のウェスとドリ・ゲッツィ(WESS & DORI GHEZZI)、カマレオンティ(I CAMALEONTI)に楽曲提供しており、73年サンレモ音楽祭に出場したジェット(J.E.T.)が歌った”アニカ・ナ・オ(ANIKA NA-O)”にも名を連ねています。

 

 79、80年にアンジェロ&フェリックス・ピッカッレダも参加しているディスコ・ミュージックのプロジェクト・チーム、ナゲッツ(Nuggets)が2枚のアルバムを作っており、キム・ライダーも在籍しておりました。

 

 この頃にパッセンジャーズは結成され、デビュー曲は”スピーディー・ゴンザレス”にインスパイアされた”恋はスピーディー”で、翌80年年間ヒット・ランク47位の大ヒットになります。日本でもビクター音産からシングル盤が発売されました。

 

DE-3093 (1979年 Durium Marche Estere – Durium) He's Speedy Like Gonzales (恋はスピーディー)/I'll Be Standing Beside You (ビサイド・ユー)

DE-3093 DA・I-30・334  

DA・I-30・334 (1979年 Durium Marche Estere – Durium) Passengers – Girls Cost Money

1.Hot Leather

2.Cost Money

3.He's Speedy Like Gonzales (恋はスピーディー)

4.I'll Be Standing Beside You (ビサイド・ユー)

 

 直ぐにファースト・アルバム「Passengers – Girls Cost Money」が発売されます。

 

 翌80年トーケンズ(TOKENS)の”ライオンは寝ている”をカヴァー、週間ランキング最高位41位で10週在位するヒットになりました。続いてセカンドアルバム「Passengers」が出ます。

 

DE-3144 (1980年 Durium Marche Estere – Durium) The Lion Sleeps Tonight (Wimowen) (ライオンは寝ている)/Don't Have To Tell

DE-3144 DA・I-30・363

DA・I-30・363 (1980年 Durium Marche Estere – Durium) Passengers

1.The Lion Sleeps Tonight (ライオンは寝ている)

2.Don't Have To Tell

3.Amigo

4.Be My Honey Bee

5.Passengers For Mexico

6.Shaking The Blues Away

7.Take A Little Time

8.Lord Let Us Play

 

 キャスリーン・フリンが脱退、メアリー・シェイ・コリーンに交代後、これらのヒットで81年サンレモ音楽祭に”真夜中”で出場、入賞(実質10位)になりました。週間ランキング最高位25位15週在位する成績をおさめました。

 

DE-3159 (1981年 Durium Marche Estere – Durium) Midnight (真夜中)/As Long As the River

DE-3159 DE・X-13017

DE・X-13017 (1981年 Durium Marche Estere – Durium) 12” Maxi Single Midnight (真夜中)/As Long As the River

 

 その年3枚目のアルバム「Passengers – Casinò」が発売され、シングル・カットした”Casinò”は週間ランキング最高位19位で7週在位のヒットとなります。

 

DA・I-30・380 (1981年 Durium Marche Estere – Durium) Passengers – Casinò

1.Casinò

2.Mister Mouse

3.Touch And Go

4.Annalisa

5.Chacun Son Gout

6.Diane

7.Makin' The Rounds

8.The Last Romantic

DA・I-30・380 DE-3184

DE-3184 (1981年 Durium Marche Estere – Durium) Casinò/Mister Mouse

 

 

パッセンジャ-ズの国内盤

VIPX- 1530 (1980年 8月21日 VICTOR - ビクター音楽産業) 恋はスピーディー(HE'S SPEEDY LIKE GONZALES)/ビサイド・ユー(I'LL BE STANDIN BESIDE YOU)

 

        VIPX- 1530

 

 

パッセンジャ-ズ2は1983年サンレモ音楽祭の後に続きます