マリネッラ、 アイックス (グロリア・ヌーティ 1、 ロドルフォ・バンケッリ 1)

★マリネッラ (vf) Marinella

1952年10月17日ボローニャ (Bologna)生、本名マリネッラ・ブルザミーニ(Marinella Bulzamini)歌手、ショーガール、ロベルト・フェッリ(Roberto Ferri)の妻。

 

 

 

活動期間:? – 1985年

所属レコード会社:Ariston, Carosello

サンレモ音楽祭出場2回:1979年参加, 1981年7位,

アルバム:1

 

 マリネッラは女性バンドのボーリア(Le Boria)に所属していましたがle Boria、このバンドを脱退した後は、歌手と喜劇女優に専念しました。

 

 レコード・デビューは1979年サンレモ音楽祭出場曲、当時結婚していたのかどうか判りませんが、ご主人であるロベルト・フェッリとジャンカルロ・トロンベッティ(Giancarlo Trombetti)の作った“黄色いページ”でしたが入賞することはできませんでした。ロベルト・フェッリもボローニャ出身で故郷の方言で歌い、マリネッラは自称ボローニャのジュリエット・グレコを言っていたようです。

 

AR-00847 (1979年 Ariston – Dischi Ricordi) Autunno, Cadono Le Pagine Gialle (黄色いページ)/Datemi Del Sugo

AR-00847 AR-00882

AR-00882 (1979年 Ariston – Dischi Ricordi) Su Con La Vita/Cosa Avete Da Ridere

 

 2作目は両面ともロベルト・フェッリの作詞・作曲でした。マリエッラは80年代カンツォーネの傾向、70年代の影響を受けながらセミ・シリアスさと、あまり内容のないコミカルな傾向を折衷したようなキャラクターを特徴としていました。

 それは若者を対象としながら、政治的、当時のファッションをテーマにパロディ化することによって大人の層にも支持を得ようとしたものでした。

 

 81年2度目のサンレモ音楽祭に挑戦しました。歌った曲は“Ma Chi Te Lo Fa Fare”で彼女のキャラクターが浸透していたのか最下位の7位でしたが見事入賞を果たしました。年間ヒット・ランク100位には入りませんでしたが、週間ヒット・ランク最高位27位(在位13週)となり彼女の最大のヒット曲になりました。

 

AR-00908 (1981年 Ariston – Dischi Ricordi) Ma Chi Te Lo Fa Fare/Ciao, Come Spero Di Te

AR-00908  AR・LP-12385

AR・LP-12385 (1981年 Ariston – Dischi Ricordi) Marinella ‎– Ma Lascia Stare, Ma Chi Te Lo Fa Fare

1.Ma Chi Te Lo Fa Fare

2.Su Con La Vita

3.Ciao,Come Spero Di Te

4.Maria Butta La Pasta

5.Ma L'Amore Mio Non Muore

6.Autunno,Cadono Le Pagine Gialle

7.Depressive Rock

8.Datemi Del Sugo

9.Mi E' Scaduto Il Libretto Della Mutua

10.Cosa Avete Da Ridere

 

 2度目のサンレモ音楽祭出場曲が成功したおかげでマリネッラ唯一のアルバム「Marinella ‎– Ma Lascia Stare, Ma Chi Te Lo Fa Fare」が作られました。

 

 81年にはもう一つの成功を収めます。イタリアの民間放送が始まってまもなくイタリア1の傘下にあるアンテナ・ノルディの幼児番組「i Bim bum bam」のテーマ・ソング“ Il Cammello”を出しました。しかしアニメ・ソングの分野は直ぐに一回り下で、“黒猫のタンゴ(Volevo Un Gatto Nero)”で知られる子供音楽祭ゼッキノ・ドーロ(Lo Zecchino d'Oro)出身の若手歌手クリスティーナ・ダヴェーナ(Cristina D'Avena)に取って代わられます。

 

AR-00919 (1981年 Ariston – Dischi Ricordi) Il Cammello/Maria Butta La Pasta

AR-00919   CI-20530

CI-20530 (1985年 Carosello – Dischi Ricordi) Colazione D'Amore/Love Breakfast (lato B in inglese)

 

 デビューしたアストンから離れ、85年カロセッロから“Colazione D'Amore”、B面は英語版を出したのを最後に、消息が立てています。おそらくカンタアウトゥーリで作詞・作曲家のロベルト・フェッリの妻を優先させたのではないでしょうか。

 

 

マリネッラの国内盤

GP- 683 (1979年5月 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP 第29回サン・レモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1979)

8.黄色いページ (AUTUNNO, CADONO LE PAGINE GIALLE)

 

               GP- 683 

 

 

マリネッラは以上です。

 

 

 

★アイックス (compl) AYX

 ギタリストのリッカルド・ガラルディーニ(Riccardo Galardini)がトスカーナ(Toscana)で結成したバンド、アクシャドラ(Axiandra)に1978年カンタゥトリーチェのグロリア・ヌーティ (Gloria Nuti)が加わり、アイックスと改名して活動を始めた。

 

 

 

活動期間: 1978年 – 1979年

所属レコード会社:EMI Italiana

サンレモ音楽祭出場1回:1979年参加

 

構成メンバー

・グロリア・ヌーティ (Gloria Nuti) 1957年4月17日フィレンツェの北西近郊の都市プラート(Prato)生、本名グロリア・マリア・ヌーティ(Gloria Maria Nuti)、ヴォーカル担当、女性自作自演歌手。89年サンレモ音楽祭に出場。

・リッカルド・ガラルディーニ (Riccardo Galardini) 1956年4月9日プラート生、ギター担当、ギタリスト、作・編曲家、教師。

・ロドルフォ・バンケッリ(Rodolfo Banchelli)1958年12月16日フィレンツェ(Firenze)生、ヴォーカル、ダンス担当。84,85年サンレモ音楽祭にソロ歌手として出場。

・サラ・ビッチカ (Sara Biciccia)

 

 メイン・ヴォーカルのグロリア・ヌーティは14才の時にギターを習い始めます。最初はパトリツィオ・ハイル(Patrizio Hile)、次に地元のクラブ・アミーチ・デッラ・ムジカ(Club Amici della Musica)のミケーレ・ライノーネ(Michele Rainone)から教えを受けました。

 歌はイェマ・キケリーノ(Jema Michelini)教授から、フルートはマエストロ・オテロ・ベネッリ(Otello Benelli.)から教えてもらいました。

 

 そしていくつかのグループを経験し、1978年トスカーナ、エミリア・ロマーニャとリグーリアのディスコで演奏する同郷の若手ギタリスト、リッカルド・ガラルディーニ (Riccardo Galardini)のバンド、アクシャドラ(Axiandra)に参加します。

 

 すぐに彼らに幸運が訪れます。モレノ・ポリドーリ(Moreno Polidori)がプロデューサーとなりグループ名をアイックス (AYX)と変えて、ポリドーリが制作コーディネーターをする映画の主題歌を歌う仕事を持ってきました。

 

 映画は前年78年にアメリカで製作された「サタデー・ナイト・フィーバー (Saturday Night Fever)」に触発されてイタリア版音楽青春映画として作られた「Rock ‘N Roll」というものでした。監督がヴィットリオ・デ・システィ(Vittorio De Sisti)で男女のアクロバッティク・ロック・ン・ロール・ダンサーがプロを目指して成長していくという青春映画です。

 

3C・006-18358 (1978年 EMI ‎ – EMI Italiana) Ayx Teca/Ayx Incontro Due

             3C・006-18358

 

MDF-33・125 (1978年 Cinevox – Dischi Ricordi) Rock ‘N Roll (Colonna Sonora Originale Del Film)

CIA-5006 (1978年 Cinevox ‎– Dischi Ricordi) Rock ‘N Roll (Colonna Sonora Originale Del Film)

1Rock Around The Clock (ロック・アラウンド・ザ・クロック) [Bill Haley And His Comets (ビル・ヘイリーと彼のコメッツ)]

2.She’s My Little Girl [B.C. Corporation]

3.A Night Club In L.A [Benjamin Franklin Group]

4.A Square Girl [B.C. Corporation]

5.There’s No Matter [Linda Lee (リンダ・リー)]

6.Popular Avenue [Magnetic System]

7.Tutti Frutti (トゥッティ・フルーティ) [Little Richard (リトル・リチャード)]

8.Sweet Girl [B.C. Corporation]

9.Funky Music Is Okay. [Benjamin Franklin Group]

10.Midnight Special [Benjamin Franklin Group]

11.Hot Cha-Cha [Fruit Of The Gum]

12.That Music Man [B.C. Corporation]

MDF-33・125 CIA-5006

 

 映画「Rock ‘N Roll」の主役はアクロバット・ロック・ダンスの世界チャンピオン・ペア、ロドルフォ・バンケッリ(Rodolfo Banchelli)とサラ・ビッチカ (Sara Biciccia)でした。音楽担当はチェザーレ・A.・ビクシオ(Cesare A. Bixio)でオリジナル・サウンドトラック盤はチェザーレ一族のチネヴォックス(Cinevox)から発売され、EMIイタリアーナのアイックスはシングル盤のみの発売となりました。

 

 この年は映画「サタデー・ナイト・フィーバー」に続きアメリカ映画「グリース(Grease)」も大ヒットしイタリア製の「Rock ‘N Roll」もアイックスの地元トスカーナ地方で青少年から大きな支持を得ました。そのお陰で79年サンレモ音楽祭の出場が決まりました。

 

 出場メンバーはアイックスのグロリア・ヌーティとリッカルド・ガラルディーニに映画「Rock ‘N Roll」に主演したアクロバッティク・ロックンロール・ッダンスの二人、ロドルフォ・バンケッリとサラ・ビッチカに映画でもバック・ダンサーを務めたと思われるモレノ・ポリドーリ現代ダンサー連盟のダンサー(I Ballerini Della Federazione Ballerini Moderni Di Moreno Polidori)で編成された新たなプロジェクトのアイックスであったと思われています。

 

 グロリア・ヌーティ以外は顔も隠した全身タイツを身に着けた舞台だったという資料もありますが、この年予選はラジオ中継だけでTV中継は最終日入賞者のみ。初戦敗退のアイックスの映像は残されていないようです。

 

3C・006-18387 (1979年 EMI ‎ – EMI Italiana) Ayx Disco / Ayx Ritmo (Ayx Non È Un Ufo)

            3C・006-18387

 

 アイックスはこの後もう1枚シングル盤を出したとする資料もありましたが、確認できていません。

 

 79年中にアイックスは解散し、グロリア・ヌーティはCBSディスキと契約しているバンド、エクストラ(Extra)に移籍し、89年サンレモ音楽祭に出場しました。リッカルド・ガラルディーニはジャズ・ギターの道を進み、ロドルフォ・バンチェリもソロ歌手となり、84年サンレモ音楽祭に出場します。

 

 

アイックスの国内盤は有りません。

 

グロリア・ヌーティ 2は89年サンレモ音楽祭の後に、ロドルフォ・バンチェリ 2は84年サンレモ音楽祭の後に続きます、アイックスは以上です。