★グリム (compl) Grimm
1971年にナポリのロマーノ(Romano)三兄弟が結成したコッカーズ(I Cockers)が改名した3人編成のバンド。
活動期間:1971年 - 1989年
所属レコード会社:Mimo, Ricordi, Polydor, Fonit Cetra, Vis Radio, La Pera, Ariston
サンレモ音楽祭出場1回:1979年12位
公式サイト:https://www.facebook.com/iFratelliGrimm/
構成メンバー
・ピノ・ロマーノ (Pino Romano) 本名ジュゼッペ(Giuseppe) 1952年1月9日ナポリ生
・エンツォ・ロマーノ (Enzo Romano)本名ヴィンチェンツォ(Vincenzo) 1956年3月1日ナポリ生
・カルロ・ロマーノ (Carlo Romano) 1957年4月24日ナポリ生
ナポリのピノ、エンツォ、カルロ・ロマーノの三兄弟は1971年コッカーズ(Cockers)というバンドを結成し音楽活動を開始しました。
71年6月フランコ・ミリアッチ(FrancoMigliacci)とジャンニ・モランディ(Gianni Morandi)が設立し、RCAイタリアーナが販売権を持つレーベル、ミモ(Mimo)から“フレネシア(Frennesia)”でデビューしました。この年のナポリ音楽祭出場するかなり期待された曲で、前年のナポリ音楽祭の優勝者で、ナポリの大物歌手ペピーノ・ディ・カプリ(Peppino Di Capri)のパートナーとして歌う曲でした。
しかし音楽祭はストライキに巻き込まれ中止となり、勝敗の結果は出ませんでした。コッカーズにとって不幸なデビュー曲になってしまいます。
ZM-50197 (1971年6月 Mimo – RCA Italiana) Frennesia (フレネシア)/Alleria [come I Cockers]
その前に彼らはもっと大きなチャンスを逃していたとのことです。71年サンレモ音楽祭第2位となった“ケ・サラ(Che Sarà)”を歌うオーディションを受けていたのですが、結局リッキとポーヴェリが出場することになったようです。
コッカーズの“ケ・サラ”の話は初めて知りましたが、“ケ・サラ”の作詞家はフランコ・ミリアッチなので、ただコッカーズが歌ったデモ・テープを作った程度の話かも知れません。
コッカーズは2枚目のシングルを出し(未確認)、ジャンニ・モランディ(Gianni Morandi)のコンサートに同行しサポート・バンドをしています。これでミモとの契約が終了し、彼らは活動拠点をローマからミラノに移します。
ミラノに移ったロマーノ三兄弟と父はマーマレード (Marmalade)のヒット曲”わが日々 (Reflections Of My Life)”で各レコード会社にプロモートして回りました。興味を示したのはリコルディ(Ricordi)の幹部、作曲家でもありかつて歌手だったジャンニ・サンジャスト(Gianni Sanjust)でした。
サンジュストはD.D.サウンドやラ・ビオンダでしられるラ・ビオンダ兄弟の弟アンジェロ・ラ・ビ・オンダがプロデュースし、アンジェロ(Angelo La Bionda)とピノ・ロマーノが作った曲“Amare Mai Capire Mai”でバンド名もグリム(Grimm)に変え再デビューさせます。彼らをイタリアのビー・ジーズに仕立てるつもりだったかもしれません。B面は英国のパーチメント(Parchment)が歌った“光を与えて”のイタリア語カヴァーでした。
SRL-10・696 (1973年 Ricordi – Dischi Ricordi) Amare Mai, Capire Mai/ Regina E Re (光を与えてLet There Be Lightパーチメント)
SRL-10・729 (1974年 Ricordi – Dischi Ricordi) Sogni "In" Rosa/Per Questa Sera
グリムは新人歌手の仕事としてリコルディが出す74年サンレモ音楽祭のコンピレーション用にミドル・オブ・ザ・ロード(Middle Of The Road)が歌った“黄色い太陽(Sole Giallo)”を録音しましたが、イタリア本国では発売されなかったようです。
興行師イヴォ・カレガリ(Ivo Callegari)の勧めでマルチェラ(Marcella Bella)のミニ・ツアーに参加した後、2枚目のシングル“Sogni "In" Rosa”を出しました。これでリコルディとの契約は終了したようです。
75年グリムはイタリア・フォノグラムのポリドール・レーベルに移籍をしました。ポリドールでの第一作目はアメリカのカールズ・グループ、ロネッツ(Ronettes)が63年に出した大ヒット曲”私のベイビー(Be My Baby)”をクリスティアーノ・ミネローノ(Cristiano Minellono)のプロデュースでカヴァーしました。
年間ヒット・ランク100位以内には入りませんでしたが、76年の週間ヒット・ランク最高位15位(在位13週)となる彼ら唯一のヒット曲です。
2060-107 (1975年9月 Polydor – Phonogram) Be My Baby (私のベイビー) - Ronettes /C'È Qualcuno Che Mi Aspetta
2060-130 (1976年 Polydor – Phonogram) Piccola/Reginella
移籍第2弾はミネローロとジュゼッペ(ピノ)・ロマーノが作った“Piccola”を76年に出しました。3枚目の“Come On”は前回の二人にヴィンチェンツォ (エンツォ)が加わって作りました。
2060-143 (1977年 Polydor – Phonogram) Come On/Angela
2060-190 (1979年 Polydor – Phonogram) Liana(リアーナ)/Fiaba
“私のベイビー”のヒットが認められ、79年サンレモ音楽祭にロレノ・ラッタリーニ(Loreno Lazzarini)の作った“リアーナ”で出場、最下位の12位ながら入賞を果たしました。ポリドールに移籍直後からもめていたプロデューサー問題もあってサンレモ後、フォノグラムを離れます。
82年フォニット・チェトラからTVアニメ「ニルスのふしぎな旅(Nils Holgersson)」の主題歌をグリム兄弟(I Fratelli Grimm)名で出しています。
SP-1787 (1982年 Fonit Cetra – Fonit Cetra) Nils Holgersson/Nils Holgersson (Versione Strumentale) [come I Fratelli Grimm]
彼らロマーノ兄弟は85年ナポリの老舗レコード会社、ヴィス・ラディオからシングル盤“Ma Pecche'”を出し、またナポリ音楽祭の曲を集めたアルバム「Grimm – I Grandi Successi Dei Festival Di Napoli」を発売しました。
IM-929 (1985年 Vis Radio - Durium) Ma Pecche'/Miette 'A Capa A Ffà Bbene
LP・IM-797 (1985年 Vis Radio - Durium) Grimm – I Grandi Successi Dei Festival Di Napoli
1.Li Funtanelle (小さな泉)
2.Lazzarella (ラッザレッラ)
3.Sarrà , Chi Sa...! (サラ・キ・サ)
4.'A Pizza (ピッザ)
5.Tu Si Na Cosa Grande (素敵なあなた)
6.'Nnammurate Dispettuse (いじわるな恋)
7.'Mbraccio A Te
8.'E Ccummarelle (井戸端会議の女達)
9.Serenata A Margellina (マルジェリーナのセレナード)
10.'O Cantastorie (歌物語)
11.Vurria (ヴリア)
12.Mare Verde (緑の海)
13.'O Treno D' 'A Fantasia (幻の汽車)
14.Guaglione (ガリオーネ)
15.Vieneme 'Nzuonno (夢に来たれ)
16.Bella (ベッラ)
17.Suonno A Marechiare (マレキアーレの夢)
18.Suspiranno Na Canzone (歌にためいき)
19.Schiavo D'Ammore (愛の奴隷)
20.Tuppe-Tuppe Mariscià! (聞いておくれよ、おまわりさん)
21.'Sti Mmanne (面影を求めて)
22.Me Chiamme Ammore (恋人と呼んで)
23.Indifferentemente (無関心)
24.Chitarra Rossa (赤いギター)
25.Sciummo (河)
26.'O Ritratto 'E Nanninella (ナンニネッラの肖像)
27.Cerasella (チェラセッラ)
ナポリ音楽祭の曲を集めたアルバムがグリムのファースト・アルバムとなりました。1952年9月に始まる第1回からグリムが“フレネシア”で出場予定にしていながらストライキで幻の大会となった71年の第19回の前年の優勝曲“恋人と呼んで”までカヴァーしていました。
同年、多分自分立ちのレーベルではないこと思われるラ・ペラ(La Pera)からアルバム「Grimm – Napoli (Theatrical Town)」を出しています。全曲3兄弟か、3兄弟とプロデューサーのフランコ・キャラヴァッレ(Franco Chiaravalle)が書いた曲です。
LP・JD-14001 (1985年 La Pera – Durium) Grimm – Napoli (Theatrical Town)
1.Napoli (Theatrical Town)
2.Alone
3.Twist,Twist
4.Touch Me !
5.Rock'n' Roll Franky
6.Resto Cu Tte
7.Lidia
8.Voglio Cantà
9.Napule E' Turnata
10.Pe Mme,Tu Si...
88年アリストンと契約し、戦後のヒット曲をカヴァーしたシリーズ「メイド・イン・イタリー(Made In Italy)」第16集を受け持ちました。
ARE-0028 (1988年 Ariston – Dischi Ricordi) I Grimm – Made In Italy Vol. 16
1.Parole
2.Carina (カリーナ)
3.'Na Voce E 'Na Chittarra (捧げるは愛のみ)
4.Permette Signorina (お嬢様、失礼)
5.Dove Il Vento Piega Le Pall...me!
6.Il Pullover (プルオーヴァーのセーター)
7.Un Pò Mandrillo E Un Poco Cucciolo
8.Pro Dos Besos
9.Un Amore D'Italy
10.E Sto Pensanno Ancora A Nuje
12.Tiger Twist
13.Il Mio Mondo (私の世界)
14.Con Quelle Gambe...
15.Patatina (パタティーナ)
ARQD-050 (1989年 Ariston – Dischi Ricordi) (Q-disc)
1.El Mosquito
2.Por Dos Besos
3.Dove Il Vento Piega Le Pall...Me!
4.E Sto Pensando Ancora A Nuje
89年アリストンからQ-ディスクというミニ・アルバムで“El Mosquito”ほか3曲をリリースしています。これがグリム最後のレコードとなり、その後解散して夫々の道を進みます。
一番年上のピノ・ロマーノは音楽の仕事に情熱を注ぎ、作曲家、演奏者、作家の仕事を続けました。現在は人生を顧みて瞑想の生活を送っています。
真ん中のエンツォ(ヴィンチェンツォ)・ロマーノはニノ・ダンジェロ(Nino D’Angelo)やジャンルーカ・グイディ(Gianluca Guidi)のヒット曲を書くカンタアウトゥーレとして楽曲を提供しています。またリフィ時代のミーナの恋人と言われたアウグスト・マルテッリ(Augusto Martelli)とコラボしたりライヴ・コンサートを続ける一方、幅広い年齢層の生徒たちにギターを教える教師もしました。
※ディスコグラフィ・サイトのディスコグス(Discogs)のエンツォ・ロマーノの項で60年代と思われるレコードが掲載されていますが、別人と判断してこれらは紹介していません。
一番年下のカルロ・ロマーノは、引退してエホバの証人(Un Pensionato Testimone Di Geova)に入信し、大家族と共に音楽を楽しむ生活を送っています。
グリムの国内盤
MW-2089 (1974年5月 RICORDI - ポリドール.) 30cm LP サンレモ1974 (SAN REMO 1974)
4. 黄色い太陽 (SOLE GIALLO)
グリムは以上です。