昨夜すべてのデータ、画像ファイルを収めていた外付けハードディスク(HD)がアクセス不能となりました。
 
 このHDが復旧できなければ、再度すべてのデータを作製する時間的余裕も気力もなく、私のブログも平成で終了することになると思います。本日アップする分は緊急避難的にUBSスティックに収めましたが、画像は入れる事が出来ません。 いつかHDが復旧することを願いながら私のブログは一旦終了とします。長らくのご愛読ありがとうございました。
 
 あれから4週間経ちました。
 
 5月28日99%復旧と言う事でHDDが戻ってきました。取り敢えず78年サンレモ音楽祭の事を書き終える予定です。今回のデータ復旧で多額の出費となったため、資金稼ぎに暫くいそしみますので、ブログは当分の間、お休みさせていただきます。
 
スコラ・カントルム(compl) Schola Cantorum
1973年RCAイタリアーナの総帥エンニオ・メリス(Ennio Melis)の命によって、自社のカンタウトゥーリ達の作品をカヴァーするため結成したミュージック・グループ。80年に一旦解散をしましたが、84年に再結成し95年まで活動を続けました。多くの歌手を輩出しました。
 
 
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活動期間1974– 1980; 1984 – 1995
所属レコード会社 RCAItaliana, Delta, CGD
サンレモ音楽祭出場:1978年7位、86年参加、93年参加
 
 
 1973年RCAイタリアーナ・グループの総帥エンニオ・メリスはある考えを実行に移します。ジャンニ・モランディ(GianniMorandi)リタ・パヴォーネ(RitaPavone)の青春歌謡スターの後に出てきたフォークロックやニュー・ミュージック系のカンタウトゥーリ、リッカルド・コッチャンテ(Riccardo Cocciante)、アントネッロ・ヴェンディッティ(Antonello Venditti)、フランチェスコ・デ・グレゴリ(Francesco De Gregori)、ルチオ・ダルラ(Lucio Dalla)たちが成長し多くのヒット曲を産み、RCAイタリアーナの飛躍的な成長を遂げていました。
 
 しかし彼らは昔のカンタウトゥーリと違い、曲作りは自分のためにあり他の歌手の歌う曲作りが目的ではなく、彼らの作った曲は音楽商品としては限定されるという矛盾を抱えていました。メリスはグループ内の歌手達を集め、カンタウトゥーリ達の曲をリメイクする音楽集団を作る計画を立てました。
 
 まず歌手たちのトレーニングは戦後ナポリターナの名曲の一つ“ラ・パンセ(La Pansé)”を作曲したフリオ・レンディーネ(Furio Rendine)の息子、若い前衛的なクラシック音楽家セルジョ・レンディーネ(Sergio Rendine)に任せました。プロデューサーにはイタリアでシルヴィ・バルタンの楽曲を制作しているRCAイタリアーナ傘下にあるデルタ・レーベルのオーナー、マリオ・シモーネ(Mario Simone) に委嘱しました。こうしてスコラ・カントルムの誕生準備が整いしました。
 
 結成メンバーの選定です。歌手として実力はあるもののヒットにつながらない歌手を集めることにしました。メンバーそれぞれ実績のある歌手なので、彼らの経歴は78年サンレモ音楽祭出場までの話を先にすすめ、その後に彼ら一人一人の紹介する予定です。
 
 まず女性歌手です。メリル(Merrill)ことミミ・ゲイツ(Mimi Gates)とジャンニ・モランディ(Gianni Morandi)とフランコ・ミリアッチ(Franco Migliacci)が作ったレーベル、ミ・モ(Mi-Mo)にいた女性トリオのヴォーチ・ブルー(Le Voci Blu)の二人、ルイゼッラ・ラッザーニ(Luisella Mantovani)とジャンナ・ジョヴァンニーニ(Gianna Giovannini)を選びました。
 
 次に若手カンタウトゥーリを二人。イタリアの古典的ミュージカル「ルガンティーノ(Rugantino)」第2版にも出演するアルド・ドナーティ (Aldo Donati)とリタ・フォルテ(Rita Forte)など特に女性歌手に多くの曲を提供するアルベルト・ケリ(Alberto Cheli)、ベテランでは日本でもレコードが出たこともあり、ビートニック・バンドのペコレ・ネーレ(Le Pecore Nereでキー・ボードを弾いていたキコ・フスコ (Kico Fusco)とカンタウトゥーリのエドアルド・デ・アンジェリス(Edoardo De Angelis)が呼ばれ、さらに歌手兼役者でトニー・クッキアーラ(TonyCucchiara)のミュージカルにも出演したエディー・ヴィオラ(Eddy Viola)、リッカルド・コッチャンテ(Riccardo Cocciante)のいとこでアニー・パスカル(Annie Pascal)の芸名を持つアニー・ロバート(Annie Robert)、ボローニャ出身でグループ最年少のマリーナ・アルカンジェリ(Marina Arcangeli)も参加しました。総勢10人で結成されました。
 
結成メンバー
アルベルト・ケリ(AlbertoCheli)
アルド・ドナーティ (AldoDonati)
キコ・フスコ (KicoFusco)、本名エンリコ・フスコ(Enrico Fusco)
アニー・トベルト (Annie Tobert) Annie Robert
ルイゼッラ・ラッザーニ (Luisella Lazzani)  Luisella Mantovani
エドアルド・デ・アンジェリス(EdoardoDe Angelis)
ミミ・ゲイツ(MimiGates)、旧芸名メリル(Merrill
ジャンナ・ジョヴァンニーニ(GiannaGiovannini)           
エディー・ヴィオラ(EddyViola)
マリーナ・アルカンジェリ(MarinaArcangeli)
 
 スコラ・カントラムのデビューは74年ローマで開催された第9回ヨーロッパ陸上競技選手権ローマ大会の公式応援歌でフランコ・ピサーノ(Franco Pisano)が作った“Goodbye Oppure Ciao”を歌うことでした。
 
TBBO-1066 (1974RCA Original Cast – RCA Italiana)Goodbye Oppure Ciao [Franco Pisano e La Sua Orchestra/Schola Cantorum]
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 本格的な仕事は結成の目的通りRCAイタリアーナ系のカンタウトゥーリが作った曲をカヴァーしたアルバム「Coromagia」を出すことから始まりました。
 
TPL1-1108 (19757 RCA ‎– RCAItaliana) Coromagia
82876-506952 (2003 RCA Italiana Sony BMG Music Entertainment) CD Coromagia [0828765069526]
.Roma Capoccia (ローマ・カポッチャ)
.Rossofiore
.Lella  
.La Fantasia
.Bella Senz'Anima (心なき美人)
.Poesia (愛の詩(ポエジア))
.NellaTesta Di Nina
.Alice(アリス)
.Don Chisciotte
10.E Tu (そして君)
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 最初の成功はカンタウトゥーリの曲のカヴァーではなく、フランスのエディット・ピアフ(ÉdithPiaf)が45年に出したシャンソン、日本ではアメリカのブラウンズ(The Browns)の英語カヴァーでもヒットした“谷間に三つの鐘が鳴る”でした。この曲は大ヒットし翌76年年間ヒット・ランク46位になりました。年間ヒット・ランクに入ったのはこの1曲だけです。
 
TPBO-1166 (19759 RCAItaliana ‎– RCA Italiana) Le Tre Campane (Les Trois Cloches - Edith Piaf) (三つの鐘 (谷間に三つの鐘が鳴る))/Dormi[10]
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TPBO-1166                      TPL1-1182                      74321-952112
TPL1-1182 (1975 RCA ‎– RCA Italiana) Le Tre Campane [10]
74321-952112 (2002 RCA ‎- BMGRicordi) CD Le Tre Campane [0743219521125]
.Le Tre Campane (三つの鐘 (谷間に三つの鐘が鳴る))
.Dimmi Come Fai
.Caterina (Annie's Song) (緑の風のアニー)
.L'Aquilone
.Una Donna
.Il Falco
.Calendario
.Se Tu Fossi Una Rosa
.Noi
10.Mimì
 
 このヒットでカンタウトゥーリのカヴァーではない彼ら独自の選曲でセカンド・アルバム「Le Tre Campane」が発売されました。
 
 続いて出したのがTV映画のミニシリーズ「L'Amaro Caso Della BaronessaDi Carini」のテーマ曲“Tema D'Amore”で俳優兼歌手のルイジ・プロイエッティ(LuigiProietti)と歌う曲でした。
 
TBBO-1184 (1975 RCA Original Cast – RCA Italiana)Ballata Di Carini/Tema D'Amore [Luigi Proietti//Schola Cantorum] [10]
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TBBO-1247 (1976 RCA Original Cast – RCA Italiana)Brutti Sporchi E Cattivi/Tema Della Goccia [Schola Cantorum/Armando Trovaioli]
 
 RCAイタリアーナが得意とした映画やTVのテーマを歌うことが多かったようで、3枚目のシングル盤もカルロ・ポンティ製作、エットレ・スコーラ(EttoreScola)の本邦劇場未公開映画「醜い奴、汚い奴、悪い奴 (Brutti Sporchi E Cattivi/Down and Dirty)」の挿入歌“Tema Della Goccia”でした。
 
 76年3枚目のアルバム「Coromagia vol. 2」とその中から“LaMia Musica”がシングル・カットされました。この曲は週間ヒット・ランク最高33位(在位11週間)の小さなヒットになりました。
 
TPBO-1222 (1976 RCA Italiana ‎– RCA Italiana) La MiaMusica/Stelle [:10]
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TPL1-1217 (1976 RCA ‎– RCA Italiana) Coromagia vol. 2
.La Mia Musica
.Questa Sporca Vita
.La Luna
.Silvia
.Campo De' Fiori (花畑)
.Piccola Mela (小さなリンゴ)
.Il Mio Modo Di Vivere
.I Due Amici
 
 77年はシングル盤1枚だけ発売しています。日本ではトーケンズ(The Tokens)で知られている“ライオンは寝ている”がB面に入っている“Agualimpia”でした。結成メンバーでのレコードはこれが最後になります。メンバーの一人でスコラ・カントラムの音楽的中心であったエドアルド・デ・アンジェリスがソロ活動をするため脱退します。
 
PB-6084 (19777 RCA Italiana ‎–RCA Italiana) Agualimpia/Wimoweh (The Lion Sleeps Tonight) (ライオンは寝ている)[10]
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 翌78年サンレモ音楽祭に“私の恋”で出場が決まりますが、グループ最年少のマリーナ・アルカンジェリも音楽祭直後にグループを脱退し、スコラ・カントラムは8人のグループとなりました。サンレモの出場は思うような成果は得られず参加曲にとどまりました。
 
PB-6142 (19781 RCA Italiana ‎–RCA Italiana) Il Mio Amore (私の恋)/Pierrot
[Alberto Cheli, Aldo Donati, Enrico "Kiko" Fusco, Mimi Gates, GiannaGiovannini, Luisella Mantovani, Annie Robert, Eddy Viola:8] Marina Arcangeli, Edoardo De Angelis
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スコラ・カントルムの国内盤はありません
 
スコラ・カントルム 2 は次回に続きます