サント・カリフォルニア,{イ・} (compl) Santo California
1970年代ナポリで結成されたラ・ヌオヴァ・フロンティエーラ(La Nuova Frontiera)がローマに進出してバンド名をサント・カリフォルニアに変えてデビュー。70年代後半のロマンティック・イタリアン・ポップスの代表的バンド。
                     
 
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活動期間1974 – 現在
所属レコード会社Yep, Mia Records,Durium, Discomagic
サンレモ音楽祭出場11977年第3
公式サイト
 
 
結成時メンバー(太字:サンレモ音楽祭出場メンバー)
・ピエロ・バルベッラ(Pietro Barbella) キー・ボード、ヴォーカル本名ピエロ・パオロ・バルベッラ(PietroPaolo Barbella) 1951年アングリ(サレルノ) Angri(Salerno)生、(在籍1975-)
・ドナート・ファリーナ(Donato Farina) ドラムス、1958年ノチェッラ・インフェリオーレ(サレルノ)Nocera inferiore (Salerno)生、(在籍1975-)
・ジャンニ・ガリツィア(Gianni Galizia)ギター、1952年アングリ(サレルノ) Angri (Salerno)生、(在籍1975 -1990)
・ミンモ・アレッロ(Mimmo Aiello)本名ドメニコ・アレッロ (Domenico Aiello) ベース、1952年アングリ(サレルノ)Angri (Salerno)生、(在籍1975-)
・マッシーモ・カーソ(Massimo Caso) ギター、1958年ノチェッラ・インフェリオーレ(サレルノ
)Nocera inferiore (Salerno)生、(在籍1975-1979)
 
 
 バンドはナポリの南東の近郊にあるサレルノのアンジとノチェッラ・インフェリオーレ出身の5人の若者で結成されました。そして彼らはラ・ヌオヴァ・フロンティエーラ(La Nuova Frontiera)と名乗ります。イ・サント・カリフォルニアとなるバンドの誕生です。
 
 彼らは路上ライヴなどで練習を積み、ヴァカンス・シーズンには観光地のアマルフィ海岸にある温泉施設のクラブで演奏をするようになりました。
 
 1974年彼らのバンド、ヌオヴァ・フロンティエーラは地元ノチェッラ・インフェリオーレのお祭りにイヴァ・ザニッキ(IvaZanicchi)が出演した際、バック・バンドを務めました。
 
 そこに80年代に入ると作詞・作曲家エリポ(Eliop)として活躍する74年に設立されたばかりのイェップ(Yep)・レコードのプロデューサーで共同経営者でもあるエリオ・パスカーレ・パルンボ(Elio Pasquale Palumbo)が来ており、彼らをスカウトしてローマで出来たばかりのイェップと契約させました。そしてバンド名はサント・カリフォルニア(I SantoCalifornia)と付けられデビューすることになりました。
 
 彼らは練習を重ねエリオ・パルンボの作詞、イグナツィオ・ポリッツィ・カルボネッリ(Ignazio Polizzy Carbonelli)、クラウディオ・ナティリ(ClaudioNatili)、マルチェッロ・ラモイーノ(Marcello Ramoino)作曲の“トレビの泉”で74年12月にレコード・デビューをしました。
 
 “トレビの泉”は日本でもシングル盤が発売されるほど世界的ヒットとなり、100万枚以上売り上げるゴールド・レコードになりました。75年年間ヒット・ランク5位となるメガ・ヒット曲でした。
 
 この大ヒットにより先輩で類似バンドの77年サンレモ音楽祭優勝したバンド、ホモ・サピエンス(HomoSapiens)も75年4月に“トレビの泉”を発売し、ホモ・サピエンスのレコードも75年年間ヒット・ランク30位の大ヒットとなりました。また75年サンレモ音楽祭出場バンドのラ・クィンタ・ファッチャ(LaQuinta Faccia)もカヴァーし、国内外で沢山のカヴァー盤がリリースされています。
 
 こうしてディストリビューションは彼らの故郷ナポリの販売会社セ・ディ(SeDi)と74年に設立され後にミラノの売れっ子レコード会社となるベビー・レコーズの2社が行うことになりました。余りにカヴァー盤が多いので、ピクチャー・スリーブにはオリジナル・ヴァージョンの刷り込みが入ります。後にベビー・レコーズが下り、販売権がセ・ディのみになり、ロング・セラーのこの盤にはピクチャー・スリーブは3種類存在しています。
 
YEP-00663 (197412月 Yep – Baby Records/SeDi) Tornerò (トレビの泉)/Se Davvero Mi Vuoi Bene (幸福のメロディー)
YEP-00663 (1974年 Yep – SeDi)Tornerò (トレビの泉)/Se Davvero Mi Vuoi Bene (幸福のメロディー)
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                              YEP-00663
 
 この1曲の大成功で、デビューしたての新人バンドは直ぐさまファースト・アルバム「I Santo California ‎– Se Davvero Mi VuoiBene...Tornerò」を出しました。アルバムは75年年間ベストセラー59位となる大成功でした。
 
YEP-00446 (1975年 Yep – SeDi) I Santo California ‎– Se Davvero Mi Vuoi Bene...Tornerò
ORL-8092 (1978 Orizzonte –Dischi Ricordi) I Santo California ‎– Se Davvero Mi Vuoi Bene...Tornerò
.Se Davvero MiVuoi Bene (幸福のメロディー)
.Un Prato Per NoiDue
.La StessaRagazza
.Mente E Cuore
.Fenesta Vascia
.Tornerò (トレビの泉)
.Per Favore
.Non LasciarmiPiù Solo
.Preparo QuattroRighe
10.Mi Vuoi Bene?
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 75年第2弾のシングル“天使”を発売しました。前作同様ロマンティック・イタリアン・ポップスを続けます。76年年間ヒット・ランク13位の超特大ヒットになりました。すかさずセカンド・アルバム「I Santo California ‎– Un Angelo」を出しました。アルバムは76年年間ベストセラー75位で出したレコードはすべてランクインするという栄光を得ます。
 
YEP-00669 (1975年 Yep – SeDi)Un Angelo (天使)/Torno A Settembre
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YEP-00669             YEP-004410           RELST-19348
YEP-004410 (1975年 Yep – SeDi) I SantoCalifornia ‎– Un Angelo
RELST-19348 (19776月 Penny – Ri Fi) I Santo California ‎– UnAngelo
.Un Angelo (天使)
.Strane Cose
.I Tuoi OcchiSorridenti
.Torna ASettembre
.CaliforniaConcert
.Angelica EMedoro
.Non Amo Che Lei
.Sono Io
.Tutto Uguale
10.Dan Dan Delen Delen
 
 大成功の75年も終わり、真価が試される76年になり3枚目のシングル“Dolce Amore Mio”がフォニア・イタリアーナをディストリビューターとして発売されました。この曲も76年年間ヒット・ランク20位に入る大ヒットでした。
 
YEP-00675 (1976年 Yep Fonia Italiana) Dolce Amore Mio/Lei Dorme Già
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YEP-00679 (1976年 Yep – SeDi) Ave Maria... No! No! (アヴェ・マリア・ノー・ノー)/I Tuoi Occhi Sorridenti
 
 4枚目のシングル曲“アヴェ・マリア・ノー・ノー”も同年年間ヒット・ランク44位と、その勢いは衰えてきましたが、これまで出したレコード全てをランクインさせています。
 
 これまで出した曲を集めたアルバム「Hits In TheWorld - I Santo California」をサード・アルバムとして出しました。本来ならこれが一番売れないといけないのですが、アルバム・チャートに入りませんでした。
 
YEP-004414 (1976年 Yep – SeDi) Hits In The World - I Santo California
.Tornerò (トレビの泉)
.I Tuoi Occhi Sorridenti
.Strane Cose
.Non Amo Che Lei
.Angelica E Medoro
.Un Angelo (天使)
.Fenesta Vascia
.Sono Io
.Lei Dorme Già
10.Dolce Amore Mio
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YEP-00683 (19772月 Yep Fonia Italiana) Monica (モニカ)/Soli Io E Te
 
 デビュー以来の快進撃で77年サンレモ音楽祭の出場が決まり、“モニカ”を歌いました。第3位になり、因縁のホモ・サピエンスの“涙の日曜日”が優勝し後塵を拝しましたが、第2位コラージェの“長い髪の少女”と共に、サンレモ音楽祭で初めてのグループが3位までを独占しました。“モニカ”は77年年間ヒット・ランク62位に食い込みました。
 
 サンレモ出場曲が先行し、発売が遅れていた“Fenesta Vascia”が出ましたが、サント・カリフォルニアの人気は急速に失われていきます。今度はディストリビューターをガブリック(Gabric)に変更されます。
 
 イェップの場合はディストリビューターを次から次へと変更していく傾向があります。しかも聞いたことのない小会社です。単にレコードを配送するのではなく、本来は全国規模の販売網と強力なプロモーション能力のある大会社がする仕事なのです。イェップはその反対の方法を取ってしまいました。歌手の一時的人気が衰えると、次の展開が計画できず、どんどんじり貧状態になってしまいます。
 
YEP-00664 (1977Yep –Gabric) Fenesta Vascia/Un Prato Per Noi Due
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 77年最後のシングル盤“Gabbiano”がでました。ピクチャー・スリーブも写真を使わず淡色の非常に地味で安上がりのレコードの印象が残ります。この盤も前作同様ガブリックが販売しました。
 
YEP-00690 (1977Yep)Gabbiano/Io Qualche Anno In Più
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サント・カリフォルニアの国内盤
VIP- 2428(19767VICTOR - ビクター音楽産業.) トレビの泉 (TORNERO)/幸福のメロディー (SEDAVVERO MI VUOI BENE)
 
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(ご参考) トレビの泉
JET-2370 (19764GLOBE - ビクター音楽産業) トレビの泉 (TORNERO)/アクアリオ (ACQUARIO) ニニ・ロッソ (NINI ROSSO)
 
JET-2370イメージ 18  CM-    2イメージ 19
 
CM-    2 (19766UNITEDARTISTS - キング) トレビの泉 (TORNERO)/アニック (ANNICK) クィンタ・ファッチャ (LA QUINTA FACCIA)
 
MA- 13V (19766OVERSEAS -テイチク) トレビの泉 (VT_ERROR(TORNERO))/哀しみのソレアード (ON NE VIT PAS SANS SE DIRE ADIEU (SOLEADO))ミレイユ・マチュー (MIREILLEMATHIEU)
 
MA- 13Vイメージ 20  GP- 432イメージ 21
 
GP- 432 (19768BARCLAY - キング) 30cm LP 潮風のマリー/レーモン・ルフェーヴル(J'ATTENDRAIRAYMONDLEFE'VRE)
.トレビの泉 (TORNERO)
 
VIP- 7263(1978625 VICTOR - ビクター音楽産業) 30cm LP渚のセレナーデ (LOVESERENADE) スティーブン・シュラックスとドリーム・サウンド (STEVEN SCHLAKS)
.トレビの泉 (TORNERO)
 
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サント・カリフォルニア 2は次回に続きます