1977年第27回大会は第1回から使われていたサンレモ市カジノ付属劇場が改修のため市内のアリストン劇場に変更となり、広い舞台が確保されたのですが、遂に出場曲が12曲とサンレモ音楽祭始まって以来の縮小を余儀なくされました。
ホモ・サピエンス (Ri Fi) マティア・バザール (Ariston)
第27回 1977年3月3日(木)~5日(土) サンレモ市アリストン劇場(Teatro Ariston di Sanremo)
司会:マイク・ボンジョルノ(Mike Bongiorno)、マリア・ジョヴァンナ・エルミ(MariaGiovanna Elmi)
楽団指揮:リッカルド・ヴァンテッリーニ(Riccardo Vantellini)
再演奏音楽家:エンゲル・グァルディ(Henghel Gualdi)、ブルーノ・マルティーノ(BrunoMartino), グラウコ・マセッティ(Glauco Masetti)、エリー・ネーリ(ElyNeri.)によるオーケストラ・アッツーラ(Orchestra Azzurra)
オーガナイザー:ヴィットリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti)
[数]は外人歌手数、1977年は外人の出場はなし
・Dischi Ricordi 3[0](Carosello 1[0]; Ariston 1[0] ; Produttori Associati 1[0])
・CBS Sugar 2[0] (CBS1[0];WEA Italiana 1[0])
・Fonit Cetra 1[0]
・Phonogram 1[0] (Philips1[0])
・Ri Fi 1[0]
・Durium 1[0]
・SAAR 1[0]
・YEP 1[0]
・ARIS 1[0]
出場応募歌手は12歌手で全員が出場権を得ました。第1夜、第2夜はそれぞれ6歌手が登場し、各出場歌手は15分の枠で出場曲を歌うミニ・ショウを演じます。第3夜最終日に2歌手が一組となって勝ち残り対抗戦が行われます。会場内の透明ボックスに入った25人の審査員が投票し、セミ・ファイナル進出6歌手を選出しました。
セミ・ファイナルも同様の方法で3歌手を選出し、3歌手が再度歌い、優勝、第2位、第3位を選ぶ方法がとられました。表彰3歌手が全てグループとなったのはサンレモ音楽祭始まって以来の出来事でした。
ダニエラ・ダヴォリ (Aris) ウンベルト・ナポリターノ(Warner Bros) 放送は第1夜、第2夜がラジオ中継のみ、ラジオ中継には初めて民放が参加しました。最終夜はイタリア向け放送が初めてカラー中継されています。また協賛に週刊誌「TVソリージ・エ・カンツォーニ」が付き、同誌は民放TVカナレ5の子会社で国営放送RAIと共存することになりました。これ以降会場内のパンフレットは同週刊誌が編集発行をしています。
<優勝曲>
涙の日曜日Bella Da Morire (Alberto Salerno - Renato Pareti) 出版社 SETTE BELLO <17>ホモ・サピエンス (compl) Homo Sapiensi (Ri Fi – Ri Fi) RFN・NP-16699 [45]
RFN・NP-16699
CM- 58
CM- 58
第2位長い髪の少女Tu Mi Rubi L'Anima (AntonelloDe Sanctis - Gabriella Padovan) 出版社SAAR - NUOVA IDEA <7> コラージェ、{イ}(compl) Collage,{I} (UP – SAAR) UP-10・009 [45]
UP-10・009
YEP-00683 
YEP-00683 
第3位モニカ Monica (AngelaBini - Paolo Pinna - Gianfranco Simonelli) 出版社GABRIC <1> サント・カリフォルニア,{イ・} (compl) Santo California,{I} (YEP –Fonia Italiana) YEP-00683 [45]
<入賞曲>
◇グラン・プリ Gran Premio (Vito Pallavicini - Michelle Vasseur - Salvatore Cutugno) 出版社出版社ASSO アルバトロス (compl) Albatros (Carosello – Dischi Ricordi) CI-20440 [45]
CI-20440
6025-165
6025-165
◇Io Ti Porterei (Leano Morelli) 出版社 ALFIERE レアーノ・モレッリ (vm) Leano Morelli (Philips – Phonogram) 6025-165[45]
◇ぼくに恋するミエーレ Miele (Giancarlo Bigazzi - Toto Savio) 出版社 SIAE ジャルディーノ・ディ・センプリーチ、{イル} (compl) Giardino dei Semplici,{Il}i (CBS - CBS Sugar) 5070(CBS) [45]
5070(CBS)
<参加曲>
◆コンテ・チ・スト Con Te Ci Sto (Unberto Napolitano) 出版社 ALFIERE- BLUE TEAM ウンベルト・ナポリターノ (vm) Umberto Napolitano (Warner Bros.(WEA Italiana)) – MessaggerieMusicali)T-16911 [45]
T-16911
SP-1642
SP-1642
◆ほほえみのために DedicatoA Te (Andrea Lo Vecchio - Santino Rocchetti) 出版社 ALFIERE - USIGNOLOサンティーノ・ロッケッティ (vm) Santino Rocchetti (Cetra–Fonit Cetra) SP-1642 [45]
◆あなたなら ...E Invece Con Te! (Daniela Davoli -Andrea Zarrillo) 出版社 SIAE ダニエラ・ダヴォリ(vf) Daniela Davoli (Aris – Aris)AN- 439 [45]
AN- 439
◆恋の冒険 Ma Perchè (Aldo Stellita - Piero Cassano - Carlo Marrale) 出版社 ARISTON マティア・バザール (compl) Matia Bazar (Ariston– Dischi Ricordi) AR-00772 [45]
AR-00772
CM- 131
CM- 131
◆オー!カルメラ! Oh!Carmela! (DonatellaRettore - Claudio Rego) 出版社 SIAE ドナテッラ・レットーレ(vf) Donatella Rettore (ProduttoriAssociati – Dischi Ricordi)PA・NP-3264 [45]
PA・NP-3264
Ld・A-7956
Ld・A-7956
◆夢みるくちづけTesoro Mio (Luigi Albertelli - Corrado Conti - Franco Cassano)出版社 DURIUM ストラーナ・ソチェタ (coro) Strana Società,{ La} (Durium- Durium)Ld・A-7956 [45]
出場曲は以上です。
75、76年出場曲の成果は惨憺たるものでしたが、出場曲が少なかった割に5曲が年間ヒット・ランク100位以内に入りました。優勝曲“涙の日曜日”が19位、第2位“長い髪の少女”12位、第3位“モニカ”、入賞の“ぼくに恋するミエーレ”は49位、参加曲の“恋の冒険”を歌ったマティア・バザールが42位と全て若者の人気のあるバンド編成のアーティストたちが成功をしています。
そしてマティア・バザールは同年もう1曲の“ソロ・トゥ(.Solo tu)”がナンバー・ワン・ヒットで年間ヒット・ランク3位というメガ・ヒット曲となり、77年サンレモ音楽祭の真の成功者とされました。

サント・カリフォルニア (YEP) コラージェ (UP) ジャルディーノ・ディ・センプリーチ (CBS)
出場メンバーが12歌手と寂しい大会となりましたが、ゲスト陣の方は豪華でドメニコ・モドゥーニョ(Domenico Modugno)、イヴァ・ザニッキ(IvaZanicchi)、マルチェラ(Marcella)、ウェスとドリ・ゲッツィ(Wesse Dori Ghezzi)、ダニエル・センタクルス・アンサンブル(Daniel SentacruzEnsemble)、ユリ&ジュリー(Juli & Julie)、米国のバリー・ホワイト(Barry White)やリック・ディーズ(Rick Dees)、英国のジョン・マイルズ(John Miles)、ベルギーのチョコラ(Chocolat's)と多彩な顔ぶれでした。
77年初参加のレコード会社はAris, Warner Bros.(WEA Italiana), YEPです。
アリス(Aris)は74年ローマで映画「続夕陽のガンマン」などの映画プロデューサー、アルド・ポミリア(Aldo Pomilia)と妻でキューバ出身のダンサー、映画女優のチェロ・アロンソ(CheloAlonso)が設立しました。映画音楽、プログレ・ロック、カンツォーネを手掛け、プログレ・バンドのセミラミス(ISemiramis)から独立し、まだアンドレア・ザッリッロ(Andrea Zarrillo)といっていたミケーレ・ザッリーロ(MicheleZarrillo)やサンレモ出場歌手ダニエラ・ダヴォリ (Daniela Davoli)などを育てました。80年に活動を停止しています。
イェップ(Yep)も74年ローマでフランコとエリオ・パルンボ(Franco ed Elio Palumbo)兄弟によって設立されました。エリオは国営放送RAIで音楽番組に携わり、その後ミーノ・レイターノ(MinoReitano)などのマネージャーをしていました。イェップはサント・カリフォルニア、ロマンス(I Romans)、95年にサンレモ音楽祭で優勝したジョルジァ(Giorgia)の両親のデュエット・チーム、ユリ&ジュリー(Juli& Julie)を輩出して、メロディ・ポップのレーベルとして知られるようになりました。80年代にはサンレモ音楽祭出場歌手フルヴィア・フォルトゥナート(FlaviaFortunato)を送出しますが、80年代末には活動を停止しました。
しかし91、92年には再びリタ・フォルテ(Rita Forte)をサンレモ音楽祭に出場させ、ヌオヴァ・イェップとして活動を始めますが、95年遂に閉鎖してしまいます。

最後はワーナー・ブラザーズ(Warner Bros.(WEA Italiana))です。58年米国でワーナー・ブラザーズ映画の子会社として設立され、イタリアでCGDやリコルディがライセンス販売をしていました。70年代半ばワーナー、エレjクトラ、アトランティックの3社がグループを結成し、米国外において3社のレーベルを統合し海外法人を設け、イタリアでは75年WEAイタリアーナが設立されCGDが販売権を得ました。
88年経営不振に陥ったCGDはワーナー・グループ傘下のイースト・ウェストに買収され、現在はワーナー・ミュージック・インターナショナル傘下ワーナー・ミュージック・イタリアに入り、破綻して買収されたヌオヴァ・フォニット・チェトラ(Nuova Fonit Cetra)と共にCGDイースト・ウェスト(CGDEast West)を構成しています。
あとコラージェのアップ(UP)についてはSAARが75年に作ったポピュラー音楽のレーベルで80年まで使用され、SAARに吸収されました。

サンレモ音楽祭 (FESTVAL DI SANREMO)1977年は以上です。
・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。
・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。
・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。
・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。