先にストラーナ・ソチェタの母体となったラガッツィ・デル・ソーレをしましたが、2回目は本題のストラーナ・ソチェタの話をいたします。
ストラーナ・ソチェタ(compl) Strana Società,{La}
1971年にラガッツィ・デル・ソーレ(I Ragazzidel Sole)第2期メンバー4人とチェザーレ・ジャノッティが結成したヴォーカル・インスツルメンタル・バンド、80年代に入りメンバー交代を続けて、90年代には女性ヴォーカルを加え新たな音楽グループとなります。
 
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活動期間1971 現在
所属レコード会社Fonit, Durium, Drums
サンレモ音楽祭出場197612.位、77年参加
 
設立メンバー(太字はサンレモ音楽祭出場メンバー)
・ジャンニ・フォレスティ (Gianni Foresti): ベース (在籍1971-1973)
・チェレスティーノ・スカリニェッラ (CelestinoScaringella) ヴォーカル(在籍1971-1978) 1949年バリ生。
・チェザーレ・ジャノッティ(Cesare Gianotti)鍵盤楽器、ヴォーカル (在籍1971-1978) 1949年トリノ生。
・カルロ・レナ (Carlo Lena) 鍵盤楽器 (在籍1971 -1974)
・ヴァレリオ・リボーニ (Valerio Liboni) ドラムス (在籍1971-1976)
 
途中交代メンバー(太字はサンレモ音楽祭出場メンバー)
・アルフォンソ・ダリッコ (AlfonsoDalicco) ベース (在籍1973-1978) 1954年フォッジャ生。
・ロベルト・コーエン (Roberto Coen) ドラムス (在籍1976-1980) 1951年ローマ生。
・ロジャー・リッコボーノ (Roger Riccobono) ギター (在籍1974-1975)
・ウンベルト・トッツィ (Umberto Tozzi) ギター (在籍1975)
・ルイジ・カタラーノ (Luigi Catalano): ギター (在籍1975-1978) 1949年メルフィ生。
 
再結成メンバー
・ロベルト・ボニフィーリョ (Roberto Bonfiglio) ギター (在籍1981-)
・モニア・カンタリーニ (Monia Cantarini) 女声ヴォーカル (在籍1981-1990)
・リッカルド・ペッレグリーニ (Riccardo Pellegrini) ヴォーカル (在籍1999-)
・ヴァレンティーナ・アルメンティ (Valentina Armenti) 女声ヴォーカル
・ルチアーノ・ベレッタビアンキーニ (Luciano Bianchini) ギター、ヴォーカル (在籍2000)
・エレナ・ガッレア (Elena Gallea) 女声ヴォーカル (在籍2000-2002)
・アンドレア・アンドレリ (Andrea Andrei) ヴォーカル、鍵盤楽器 (在籍2001-2004)
・セルジョ・モスケット・モーゼス (Sergio Moschetto Moses) ギター、ヴォーカル(在籍2001-2002)
 
 
 
 1968年潜在的に蓄積していたダニエロ・ペンノーネと他のラガッツィ・デル・ソーレ結成メンバーとの軋轢が表面化し、ギターのダニエロを除く全員が脱退後、第2期ラガッツィ・デル・ソーレを結成します。
 
ラガッツィ・デル・ソーレ第2期メンバー構成(太字がストラーナ・ソチェタ結成メンバー)
・ダニエロ・ペンノーネ(Danilo Pennone) ギター、リーダー
・チェレスティーノ・スカリニェッラ(Celestino Scaringella) ヴォーカル (在籍1968-1970)
・ジャンニ・フォレスティ (Gianni Foresti)ベース (在籍1968-1970)
・カルロ・レナ (Carlo Lena) 鍵盤楽器 (在籍1968-1970)
・フリオ・キリコ (Furio Chirico) ドラムス (在籍1968-1969)
ヴァレリオ・リボーニ (Valerio Liboni)ドラムス (在籍1969-1970)
 
 第2期のメンバーで再出発します。しかし70年になりバンド内ではペンノーネとの従属的契約からスカリニェッラとレナが脱退し、新アルバム「Il Suono Del Sole」の製作にはベースのフォレスティとドラムスのリボーニが参加しますが、まもなくその2人も脱退しました。
 
 脱退した4人は新たにドラムスのヴァレリオ・リボーニ (Valerio Liboni)を誘い、71年ストラーナ・ソチェタ(La Strana Società)を結成します。そしてフォニット・チェトエラのフォニット・レーベルと契約をし、72年最初のシングル盤はポップコーン・メーカーズ(ThePopcorn Makers)が世界的ヒットさしたインスト曲の“ポップコ-ン”をカヴァーしました。オリジナルが72年年間ヒット・ランク38位の大ヒットでしたが、彼らのカヴァー盤はなんと週間ナンバー・ワンとなり年間8位のメガ・ヒットとなりました。ストラーナ・ソチェタは最高のスタートを切りました。
 B面の“Nel Giardino Di Tamara”は前年71年ビエッラ出身のグループ、クィンタ・ファッチャ(La Quinta Faccia)が発表した曲のインスト・カヴァーでした。
 
SPF-31299 (1972年 Fonit -Fonit Cetra) Pop Corn (ポップコ-ン)/Nel Giardino Di Tamara
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LPQ-09065 (1972 Fonit - Fonit Cetra) LaStrana Società  ‎– Pop Corn & CrackerJax
.Cracker Jax
.Rock And Roll Part II
.Il Padrino (The Godfather) (ゴッドファーザー)
.Give Me Some Lovin (Gimme SomeLovin') (ギミ・サム・ラビング Spencer Davis Group, Traffic)
.Freedom Day
.Song For My Father (ソング・フォー・マイ・ファーザー Horace Silver)
.Hookin' It
.A Horse With No Name (名前のない馬 America)
.Pop Corn (ポップコ The PopcornMakers)
 
 この大成功で早速ファースト・アルバム「La StranaSocietà  ‎– Pop Corn & Cracker Jax」が発売されました。「イタリアン・ロック集成 イタリア編」(19931215日マーキームーン社刊)のセカンド・アルバムの項でこの盤についてふれ、『(前略)ムード・ミュージックを演奏するアルバムで(後略)』と表現されていますが、“ゴッドファーザー”や“ポップコ-ン”は『ムード・ミュージック』の類に入りそうですが、アルバムとしてはジャズ曲のカヴァーも含まれるインスト集で、彼らはこの時ジャズ・ロックを目指したのではと個人的に思っております。You-Tubeに全曲アップしていましたので、リンクしておきました。一度お聞きいただければ幸いです。
 
 A面はヴィンチェンツォ・ノチェラ(Vincenzo Nocera)とロビー・ヴァッレ(Roby Valle)作、B面はフランスのシリル・アザム(Cyril Azzam)の曲。イタリア人は歌わなければ音楽でないのかヴォーカル・バンドの線を歩み始めます。
 
SPF-31304 (1973年 Fonit -Fonit Cetra) Fiori Gialli/Quella Donna Sei Tu (Poor Soul) (Pour Nous)
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SPF-31308 (1973年 Fonit -Fonit Cetra) Era Ancora Primavera (まだ春だった)/Vento Che Soffi
 
 73年夏のディスク・フェスティヴァル出場曲“まだ春だった”で出場しましたが、決勝戦には進めませんでした。因みに優勝はカマレオンティ(ICamaleonti)の“愛する君(Perché Ti Amo)でした。
 
 フランスのバンド、ブラック・フラワーズ(Black Flowers)の“ハーレム・ソング”をイタリア語カヴァーしました。これがフォニット最後の盤となります。
 
SPF-31310 (1973年 Fonit -Fonit Cetra) Il Vagabondo Di Harlem (Harlem Song) (ハーレム・ソング BlackFlowers)/Pepper Box
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 73年ベースのジャンニ・フォレスティが脱退し、アルフォンソ・ダリッコ (Alfonso Dalicco)に交代します。これを機にフォニットからドゥリウムに移籍しました。
 74年に初頭にキーボードのチェザーレ・ジャノッティが休業し、ドゥリウム移籍第一弾の夏のディスク・フェスティヴァル出場曲“Fai Tornare Il Sole”は4人編成で収録、本選までは進みましたが決勝戦には残れませんでした。この成功でセカンド・アルバム「LaStrana Società ‎– Fai Tornare Il Sole」を作りました。
 
LdA-7846 (1974年 Durium - Durium) Fai Tornare Il Sole/Quanti Passi !
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msA-77354 (197410月 Durium - Durium) La Strana Società ‎– FaiTornare Il Sole
.Fai Tornare IlSole
.Due Righe PerDaniela
.Solo Ieri
.Diario Di UnForte
.Ancora Insieme
.È Amore
.Sole Giallo
.Quanti Passi !
.Bambina Strana
10.E Così Te Ne Vai
 
 4人編成を補強するため新たにギタリストのロジャー・リッコボーノ (Roger Riccobono) を加入させ、ギターを増やし5人の新体制を組みます。
 
LdA-7863 (1974年 Durium - Durium) È Amore/E Cosi Te Ne Vai
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LdA-7879 (1975年 Durium - Durium) Una Manciata Di Sabbia/Per Carità
 
 編成が激しく変わります。ベースのチェザーレ・ジャノッティが復帰し、・カルロ・レナが脱退、入ったばかりのギタリスト、ロジャー・リッコボーノが辞め、後にソロ歌手として有名になるウンベルト・トッツィ(Umberto Tozzi)が加入しました。75年夏のディスク・フェスティヴァルには新たなメンバーで出場し、“UnaManciata Di Sabbia”は本選に進みました。
 
 入ったばかりのウンベルト・トッツィは“Cucciolo Di Donna”を最後にバンドから去り、ソロ歌手となります。その代わりにギターはルイジ・カタラーノ(Luigi Catalano):が加入しました。
 
サンレモ音楽祭出場メンバー (太字は設立メンバー)
・チェレスティーノ・スカリニェッラ (CelestinoScaringella) ヴォーカル(在籍1971-1978) 1949年バリ生。
・チェザーレ・ジャノッティ(Cesare Gianotti)鍵盤楽器、ヴォーカル (在籍1971-1978) 1949年トリノ生。
・アルフォンソ・ダリッコ (Alfonso Dalicco) ベース (在籍1973-1978) 1954年フォッジャ生。
・ロベルト・コーエン (Roberto Coen) ドラムス (在籍1976-1980) 1951年ローマ生。
・ルイジ・カタラーノ (Luigi Catalano): ギター (在籍1975-1978) 1949年メルフィ生。
 
LdA-7896 (1975年 Durium - Durium) Cucciolo Di Donna/Ma Che Ragione Hai
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LdA-7911 (1976年 Durium - Durium) Andiamo Via (二人で行こう)/MaChe Ragione Hai
 
 76年初めて“二人で行こう”を歌いサンレモ音楽祭に出場、見事12位でしたが入賞を果たしました。このサンレモ音楽祭メンバーで78年まで続く安定期に入りました。
 
LdA-7918 (1976年 Durium - Durium) Uno Per L'Altro/M'Innamorai
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 こうしてストラーナ・ソチェタは翌77年サンレモ音楽祭に2年連続出場を果たします。
 
 
 
ストラーナ・ソチェタ3は1977年サンレモ音楽祭の後に続きます