★カルロ・ジッリ (vm) Carlo Gigli
1953322(1951623日説もある) ローマ生、自作自演歌手、作曲家、音楽出版社経営者。
 
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活動期間1969 – 1979
所属レコード会社Beat, Kansas, RCA Italiana
サンレモ音楽祭出場1回:1976年7位
サンレモ音楽祭出品1曲:自演出場曲1曲
 
 
 カルロ・ジッリはリズム・アンド・ブルースとソウルが好きな少年で、彼の音楽活動は地方のダンスホールでバンドのメンバーから始まりました。
 
 1969年幸運にも日本では映画音楽やサントラ盤で知られたビート・レコードから“Ho Sbagliato Ad Amarti”のシングル盤でデビューし、その晩は後にビート・レコードのディストリビューション元のフォニット・チェトラがフォニット・レーベルで発売を続けました。
                                                                   
F-04 (196910Beat – Fonit Cetra) Ho Sbagliato Ad Amarti/E' Un Bravo Ragazzo
SPF-31257 (1969 Fonit –Fonit Cetra) Ho Sbagliato Ad Amarti/E' Un Bravo Ragazzo
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 経緯は分かりませんが翌70年にカンサス(Kansas)に移籍し、“Ricorderai” を出していますが、これといった成果は出せなかったようです。
 
DM- 1131 (1970 Kansas –Clan Celentano) Ricorderai/Telefona Si, Telefona No
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28006 (1971 Park Records -) A Casa Mia/Un CuscinoPieno Di Lacrime (come Carlo Gigli e The Tramps)
 
 まったく情報のないレーベルのパーク・レコーズでカルロ・ジッリ&ザ・トランプスとして1枚シングル盤を出した後5年間消息が途絶えました。
 
 76年突然にRCAイタリアーナから“もっと強く”で出場し、7位入賞と好成績を残します。
 
TPBO-1175 (19762 RCA Italiana - RCA Italiana) Più Forte (もっと強く)/LaTempesta
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SPF-31332 (1978 Fonit Fonit Cetra) Sabato, Domenica, Lunedi/L'Ho Fatto Per Amore
 
 そんなカルロですがサンレモ出場後また2年ほど消息が途絶え、78年古巣フォニットから“Sabato, Domenica, Lunedi”を出し、これが最後の盤となったようです。
 
 カルロ・ジッリは歌手を引退しローマでバーを経営しています。
 
 
カルロ・ジッリは以上です。
 
 
 
シルヴァーノ・ヴィットリオ(vm) Silvano Vittorio
195659日にミラノ生、歌手。

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活動期間1975 – 1976
所属レコード会社Ricordi
サンレモ音楽祭出場1回:1976年参加
サンレモ音楽祭出品1曲:
 
 
 1975年、ヒットした外国曲のカヴァー曲でリコルディからレコード・デビューしましたが、この盤に関して一切の情報は見つかりませんでした。
 
 翌75年アンドレア・ロ・ヴェッキオ(Andrea Lo Vecchio)と共作した“ここにおいで”でサンレモ音楽祭に出場しましたが、入賞出来ませんでした。曲は60年代前半から半ばにかけてアメリカのポップス界で流行したようなスチール・ギターを使った曲で、当時ならボビー・ヴィントン(Bobby Vinton)が歌ったような曲でした。
 
SRL-10794 (19762Ricordi – Dischi Ricordi) Vieni (ここにおいで)/Perdonami ora
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 余りにも時代が違っていたようです。サンレモ音楽祭後、引退したようです。
 
 
シルヴァーノ・ヴィットリオの国内盤はありません、以上です。
 
 
 
パトリツィオ・サンドレッリ (vm) Patrizio Sandrelli
1950317日ローマ生、自作自演歌手。デビュー直後は芸名ジーン・ローマン(Gene Roman)を使いました。
 
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活動期間1971 – 1979
所属レコード会社 RCA Original CastSmash
サンレモ音楽祭出場1回:1976年14.
 
 
 ウィキペディ・イタリア版ではプロデューサーのフランク・ラブリオーラ(Franco Labriola)によって発見され、ジーン・ローマン(GeneRoman)の芸名でマカロニ・ウェスタン映画「風来坊Ⅱ/ザ・アウトロー(Trinity Stand Tall (Continuavano A Chiamarlo Trinity))」のグイド&マウリツィオ・デ・アンジェリスが作った主題歌を歌って1971年にデビューしました。
 
 で普通の場合これで済むのですが、パトリツィオ・サンドレッリの場合は少々混みいった状況があります。71年7月1日から3日までの第19回ナポリ音楽祭に本名でジョルジョ・フェッラーラ (Giorgio Ferrara)のパートナーとして“TuNun Me Pienze Cchiù”で出場しています。
 
 映画の公開は71年秋(10月)でしたので、ナポリ音楽祭に本名パトリツィオ・サンドレッリで出場した方が歌手デビューとなります。しかしナポリ音楽祭はストライキのため中断し、最終日が行われなかったため優勝、順位が付きませんでした。前年26回サンレモ音楽祭の成功者アンジェラ・ルーチェ(Angela Luce)も出場しており、不成立のナポリ音楽祭出場曲でも彼女クラスになるとレコードを出してもらいましたが、サンドレッリのように新人歌手だとレコードは発売されていないようです。
 まあ映画の封切りが10月だと7月には映画の主題歌は吹込まれていたかもしれませんし、確実にレコードが発売されたのが“Trinity Stand Tall”なのので、これをデビュー曲(レコード・デビュー)としておきましょう。
 
OC-  20(197110 RCA ORIGINAL CAST - RCA ITALIANA) Trinity StandTall (風来坊/ザ・アウトロー)/Remember (comeGene Roman)
LP0M-00745 (2017 Digitmovies ‎– DigitmoviesAlternative Entertainment) Trinity Stand Tall (風来坊Ⅱ/ザ・アウトロー)/Remember (come Gene Roman)
OC-  20イメージ 11  LP0M-00745イメージ 12
 
 翌72年フランコ・ラブリオーラがローマで設立した会社スマッシュ(後にスマッシュ・オリジナル・キャスト)から2枚目のシングル“Don't Lose Control”を出しました。このレコードも映画「…EPoi Lo Chiamarono Il Magnifico/Man Of The East (自転車紳士西部を行く)」の主題歌で、B面が前作「風来坊Ⅱ/ザ・アウトロー」と同様に映画の音楽担当がデ・アンジェリス兄弟が自らの演奏曲でした。この映画は日本で劇場未公開、TV放映のみでした。
 
SM-6001 (1972 Smash ‎– CBSSugar) Don't Lose Control […E Poi Lo Chiamarono Il Magnifico/Man Of The East (自転車紳士西部を行く)/ Tema Di Candida[G. & M. De Angelis E La Loro Orchestra] (comeGene Roman)
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SM-6002 (1972 Smash ‎– CBS Sugar) You and I/Junk
 
 72年スマッシュ2枚目(通算3枚目)のシングルで芸名ジーン・ローマンから本名パトリツィオ・サンドレッリに戻します。作曲はデ・アンジェリス兄弟、作詞は自分ですがペン・ネームでローマンを使っていました。B面の“ジャンク”はポール・マッカートニーの70年のアルバム「マッカートニー」に収録された曲のカヴァーです。
 
 73年ファースト・アルバム「PatrizioSandrelli」が発売されました。シングル盤で発売された曲に数曲足した10曲入りでした。この頃からレーベル名にオリジナル・キャスト表記が付け加えられます。
 
SM-904 (1973 Smash OriginalCast ‎– CBS Sugar) Patrizio Sandrelli
.Dimensione Irreale
. You And I
.Morire A Vent'Anni
.Don't Lose Control
.Junk
.When You Call My Name This Way
.L'Oro Del TuoGrembo
.Un Breve Amore
.Remember
10.Notte Giorno Vita Morte
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 74年に出したシングル盤“Rosa”が息の長いヒットとなり、75年年間ヒット・ランク61位に入りました。このヒットでセカンド・アルバムが発売されます。と言ってもファースト・アルバムの2曲を落として“Rosa”と未発表曲“Gente Umanità”に差替えただけでした。
 
SM-6006 (1974 Smash Original Cast ‎– CBS Sugar) Rosa/Don't Lose Control
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SM-906 (1975 Smash Original Cast ‎– CBS Sugar) Rosa
.Rosa
.Gente Umanità
.You And I
.DimensioneIrreale
.Morire A Vent'Anni
.When You Call My Name This Way
.Junk
.Un Breve Amore
.Remember
10.Notte Giorno Vita Morte
 
 75年3月に出した“Fratello In Amore”も同年年間ヒット・ランク62位になりました。(“Rosa”が61位で連続ランク・インと珍しい事が起こりました)
 
SM-6007 (19753 Smash Original Cast ‎– CBS Sugar) Fratello In Amore/PiccoloFiore Nero
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SM-6008 (19762 Smash Original Cast ‎– CBS Sugar) Piccola Donna Addio (暁に消えて)/ L'Oro Del Tuo Grembo
 
 この快挙で翌76年サンレモ音楽祭に出場することが決まります。結果は14位入賞となりました。
 
 直ぐに次のシングル盤“A Letto Senza Cena”が出されます。実はサンドレッリの顔写真はこれまでジャケットに使われず、初めて彼の顔が載りました。
 
 ここでお詫びです。2018年9月23日の私のブログでパトリツィオ・サンドレッリとして掲載した顔写真は、次のシングル盤“Brother In Love”から取ったのですが、別人(俳優アレッサンドロ・モモ)の写真でした。謹んでお詫びし、正しい顔写真を訂正掲載した事を報告いたします。
 
SM-6009 (1976 SmashOriginal Cast ‎– CBS Sugar) A Letto Senza Cena/Senza Di Lei
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SM-6010 (19765Smash Original Cast ‎– CBS Sugar) Brother In Love/Woman's Parfume(Profumo Di Donna)
 
 76年5月に“Brother In Love”を出しました。74年11月に交通事故で亡くなった俳優アレッサンドロ・モモ(Alessandro Momo)に捧げた曲でした。モモは「青い体験」、「続・青い体験」で人気が出てて来たところで、まだ17才でした。この盤を最後にスマッシュも経営に行き詰まり閉鎖されます。
 
 サンドレッリは聞いたこともないティーンというレーベルから78年“Lisa”という曲を出しますが、それを最後に消息がなくなりました。
 
TNI-16000 (1978 Teen - )Lisa/Gente Umanità
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パトリツィオ・サンドレッリの国内盤
GP- 425 (19765 SEVEN SEAS - キング) 30cmLP26回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1976)
13.暁に消えて (PICCOLA DONNA ADDIO)
 
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パトリツィオ・サンドレッリは以上です。