レア・マッサ-リは過去に「サンレモの歌手たち 116 ジーノ・パオーリ2 、(レア・マッサーリ)」と「インテルメッツォ~ミュージカル「ルガンティーノ(Rugantino)」」で取上げましたが、ここでもう一度整理しながら見ていきたいと思います。
★レア・マッサ-リ (Lea Massari)
本名アンナ・マリア・マッサターニ(Anna Maria Massatani)1933年6月30日ローマ生、女優。日本で映画俳優としての紹介名はレア・マッセリ、レア・マッサリです。.
PM45-3026
活動期間:1955 – 90年
所属レコード会社:
サンレモ音楽祭への出品、出場はありません
公式ブログ:
レア・マッサーリの詳しい経歴は分かりませんが1950年代にスイスで建築を学び、その後スペイン、フランス住んでいました。その間洋装品店でマヌカンをしていた時、アカデミー賞衣装デザイン賞を受賞したことのあるデザイナーのピエロ・ゲラルディ(Piero Gherardi)に見いだされます。
50年代の半ば22才の頃に映画俳優を始めました。結婚の直前に突然に亡くなったフィアンセのレオ(Leo)からレア・マッサ-リという芸名をつけました。54年メル・ファーラー(MelFerrer)の伊仏合作映画「Proibito」に出演した頃がデビューだと思います。
57年レナート・カステッラーニ(Renato Castellani)監督の「I Sogni Nel Cassetto」では主演女優になり、順調な俳優生活を歩みだしました。58年のロルフ・ハンゼン監督作品で日本でも公開(60年)されたトルストイの「復活」を映画化した「カチューシャ物語Auferstehung(Resurrezione)」にも出演しています。
国際的に評価されたのは60年ミケランジェロ・アントニオーニ(MichelangeloAntonioni)監督の「情事 (L'Avventura」)」で忽然と姿を消す主役サンドロの恋人アンナを演じてからでした。また本邦公開の「狂った情事 La GiornataBalorda...Giorno Bolardo」」にも出演しています。
SS-1261 (1961年6月VICTOR - 日本ビクター) わたしを信じて (TRUSTME)/ 太陽の誘惑 (SU NEL CIELO) [ニコ・フィデンコ (Nico Fidenco)]
SS-1261
61年の歴史ドラマ「ロード島の要塞 Il Colosso Di Rodi (The Colossus Of Rhodes)」はアメリカのロリー・カルホーン(RoryCalhoun)と共演する主演女優でした。本邦未公開では「Una Vita Difficile (困難な人生)」やレア・マッサーリの挿入歌だけ日本で発売された未公開映画「山賊の死MorteDi Un Bandito」と「夢あかつきに死す I Sogni Muoiono All'Alba」でも主演女優を演じています。
PM45-3026 (1961年 RCA SerieEuropa - RCA Italiana) Morte Di Un Bandito (山賊の死)/ MorteDi Un Bandito (山賊の死) (strumentale) ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照
PM45-3027 (1961年 RCA SerieEuropa - RCA Italiana) I Sogni Muoiono All'Alba (夢あかつきに死す)(Lea Massari Con Orchestra)/I Sogni Muoiono All'Alba (夢あかつきに死す)(Solo Orchestra)
PM45-3027
KW- 117
KW- 117
KW- 117 (1961年 PublidiscoItaliana - Publidisco Italiana) Flexi I Sogni Muoiono All'Alba (夢あかつきに死す)(Lea Massari Con Orchestra)
これらの歌は歌手のような訓練した歌い方ではありませんが、オルネラ・ヴァノーニのデビュー当時のような低く呟くような歌い方で、シャンソンのような雰囲気を漂わせています。後にミュージカル「ルガンティーノ」でヴァノーニの代役に立ったのも頷けます。
62年はデビュー前フランスやスペインで暮らした経験が生き、初のフランス映画「夜のエレベーター Le Monte-charge (La Morte Sale In Ascensore)」、「祖国は誰のものぞ Le Quattro Giornate Di Napoli」、「LaCittà Prigioniera」に主演女優として出ています。それからもう一つ彼女にとって大きな経験が巡ってきました。オルネラ・ヴァノーニの代役ですが、ミュージカル「ルガンティーノ(RUGANTINO)」のヒロインを務めます。
「ルガンティーノ」はイタリアを代表するミュージカル・コメディで、イタリアでは何処かで誰かが再演している1962年初演の作品。当初はガリネイ(Pietro Garinei)とジョヴァンニーニ(Sandro Giovannini)の台本とされていましたが、近年では映画版も含めパスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ(Pasquale Festa Campanile)、マッシーモ・フランチョーザ(Massimo Franciosa)も原作表示され、音楽は日本で映画のサントラでもお馴染のアルマンド・トロヴァヨーリ(Armando Trovajoli,)が担当しています。
●初演の配役 1962年12月15日~
・ルガンティーノ(Rugantino)=ニーノ・マルフェルディ(Nino Manfredi)後トニ・ウッチ(ToniUcci)に交代
・マエストロ・ティッタ(Mastro Titta)=アルド・ファブリッツィ(Aldo Fabrizi)
・ロゼッタ(Rosetta) =レア・マッサーリ(Lea Massari)後オルネラ・ヴァノーニ(Ornella Vanoni)に交代
・エウゼビア(Eusebia)=ビーチェ・ヴァローニ(Bice Valori)後アンジェラ・ルーチェ(Angela Luce)に交代
・グネッコ(Gnecco)=ファウスト・トッツィ(Fausto Tozzi)
・ドン・ニッコロ・パリテッリ(Don Niccolò Paritelli)=トニ・ウッチ(Toni Ucci)
・語り部=ランド・フィオリーニ(Lando Fiorini.
CMS-30・051 (1963年 CAM - Campi) RUGANTINO
3.Omini, bisommini e cazzabbubboli (Lea Massari eLando Fiorini)
6.Roma nun fa' la stupida stasera (ローマよ、今夜はふざけないで) (Nino Manfredi, Lea Massari, Aldo Fabrizi, BiceValori, Lando Fiorini)
8.'na botta e via (Lea Massari)
12.È l'omo mio (Lea Massari)
13. Stornelli e finale (Nino Manfredi, LeaMassari, Bice Valori)
CA-2467 (1963年CAM– Campi) Roma Nun Fà La Stupida Stasera (ローマよ、今夜はふざけないで)[Nino Manfredi E Lea Massari]/ Ballata Di Rugantino [Nino Manfredi]
ZF-50081 (1970年11月 Amico – RCA Italiana) Roma Nun Fà LaStupida Stasera (ローマよ、今夜はふざけないで) [Nino Manfredi E LeaMassari]/ Ballata Di Rugantino [Nino Manfredi]
CA-2467
ZF-50081
ZF-50081
「ルガンティーノ」の初演オリジナル・キャスト盤は1963年に発売されました。ローマ・システィーナ劇場で初演したオリジナル・キャスト・メンバーでロゼッタ役はレア・マッサーリ(Lea Massari)でした。
アメリカのワーナーから出たオリジナル・キャスト盤は幾つかの資料を総合すると以下の通り、若干の違いはありますが、レア・マッサーリの部分がオルネラ・ヴァノーニに置換えられたと言えそうです。
初演は1962年12日15日からロゼッタ役はレア・マッサーリで始まっています。なぜロゼッタ役がヴァノーニに代わったのでしょうか。以下は私の想像で確たる証拠はありません。
このミュージカルが企画された時のロゼッタの役柄はヴァノーニを想定していた。しかし60年6月ルチオ・アルデンツィと結婚、妊娠し62年息子クリスティアーノ(Cristiano)を出産。彼が何月生まれは分かりませんが、「ルガンティーノ」の舞台稽古は二カ月も前から入ったと何処かに書いてあり、物理的にヴァノーニは初演初日からロゼッタ役が出来ずレア・マッサーリになった、と思っています。
マッサーリは63年は「ルガンティーノ」の舞台があったためか西仏伊合作映画「ICavalieri Della Vendetta」1本だけの出演だけでしたが、歌が評価されたのかこの年から始まり68年に終わるドキュメンタリーTV番組「Almanacco」のエンディング・テーマを歌い、そのレコードを出しました。
CA-2493 (1963年CAM– Campi) La Ballata Del Tempo/ È L'Omo Mio
AMP- 9 (1963年CAM– CAM) La Ballata Del Tempo/ È L'Omo Mio
CA-2493
AMP- 9
AMP- 9
64年以降も華やかな主役というより、個性的な助演女優に地位を固めていきます。
66年ルイジ・スカルツィーナ(Luigi Squarzina)作の喜劇の“サントラ”盤で全曲ジーノ・パオーリが書き、彼自身とミュージカル“ルガンティーノ(RUGANTINO)”の初代ロゼッタを演じたレア・マッサーリ(Lea Massari)が歌いました。パオーリは第2のオルネラ・ヴァノーニを思い描いたのかもしれません。
FGP-5027 (1966年3月10日 CGD - Messaggerie Musicali) 30cm LPGino Paoli/Le canzoni per Emmeti [Gino Paoli e LeaMassari]
1.Il Gatto D'Angora [Lea Massari]
5.Due Fontane [Lea Massari]
FGP-5027
MDF-027
MDF-027
MDF-027 (1971年 Cinevox -Cinevox) Che D’e’ Sta Vita/La Fortuna De Chi… [è un film diretto dal registaAntonio Racioppi]
71年の映画「Mio Padre Monsignore」の挿入歌“Che D’e’ Sta Vita”をチネヴォックスから出しています。
72年本邦でも公開された「狼は天使の匂い La Course Du Lièvre à Travers Les Champs」や「高校教師 LaPrima Notte Di Quiete」にも出演しています。
JET-2203 (1973年10月 GLOBE - ビクター音楽産業) 狼は天使の匂い(AND HOPE TO DIE)/自由な男 (UN HOMME LIBRE) [ニニ・ロッソ(NINI ROSSO)]
JET-2203
ECPB- 243
ECPB- 243
ECPB- 243(1973年9月 EPIC -CBSソニー)高校教師のテーマ (TITOLI DI TESTA (LA PRIMA NOTTE DI QUIETE))/ ダニエレの死(VIAGGIO E MORTE DI DANIELE) [メイナード・ファーガソン(MAYNARD FERGUSON)]
フランス映画「Le Silencieux (死にゆく者への調べ)」の挿入歌をフランスで出しました。
2056-216 (1973年 Polydor – Polydor,France) La Chanson de Maria [レア・マッサーリ] /Générique/Theme De Tibère
2056-216
90年頃まで現役女優を続けています。
レア・マッサ-リの国内盤
SS-1340 (1963年7月 VICTOR -日本ビクター) アルバとの四日間(QUATTRO NOTTI CON ALBA)/山賊の死(MORTE DI UN BANDITO) カルロ・サビ-ナ楽団 (CARLO SAVINA (orch))/ レア・マッサーリ
SS-1386 (1963年12月 VICTOR -日本ビクター) 太陽は傷だらけ(LES GRANDS CHEMINS)/夢あかつきに死す(I SOGNI MUOIONO ALL'ALBA) ヌーベル・マリーエ楽団(NOUVELLE MARIE'E)/レア・マッサーリ
レア・マッサ-リは以上です。歌う映画女優は次に続きます


