カサデイセコンド・カサデイ、ラオール・カサデイ、ミルコ・カサデイ、オルケストラ・カサデイ、及びカサデイの名を冠した彼らのバンド名を総称するため便宜的に使っています。
 
オルケストラ・カサデイ (compl)  L'Orchestra Casadei
1928年にセコンド・カサデイ(Secondo Casadei)が結成したリショ(ダンスホール、ナイトクラブ、キャバレーでダンスなブル演奏音楽)楽団。60年に加入したセコンドの甥、ラオール・カサデイ(Raoul Casadei)は71年セコンドが亡くなった後、楽団を引継いだイタリアを代表するリショ楽団。2002年正月ラオールはボローニャで彼の息子ミルコ・カサデイ(Mirko Casadei)に引継ぎ、約90年にわたり栄枯盛衰を経て、現在はポップ・フォーク楽団として活動を続けている。
 
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活動期間1928– 現在
所属レコード会社FonitDisco GrammofonoV.d.P.Odeon,Columbia
サンレモ音楽祭出場1974年参加
 
サンレモ音楽祭出場メンバー
・ラオール・カサデイ(RaoulCasadei)
・アル・ペデュッリ(Al Pedulli):本名アルテロ・ペデュッリ(Altero Pedulli)
・リタ(Rita):本名アンナリタ・バルドーリ(Annarita Baldoni)
・ロベルティーノ(Robertino):本名ロベルト・リヴェラーニ(Roberto Liverani)
・エンリコ・ムッチョーリ(Enrico Muccioli
・レンツォ・イル・ロッソ(Renzo Il Rosso):本名 ロレンツォ・ヴァッリチェッリ(Lorenzo Vallicelli)
ラ・グリッタ(La Grinta):本名サウロ・ロッキ(Sauro Rocchi)
・ルチオ・ディ・チェザナティコ(Lucio Di Cesenatico):本名エンリコ・アルディーニ(Enrico Aldini)
・イル・マルキジャーノ(Il Marchigiano):本名ルチオ・フランコ(Lucio Franco)
 
ラオール・カサデイ(Raoul Casadei)
1937815日サン・マリノの北西10kmにある小さな町ロマーニャ州ガッテーオ(Gatteo)生、作曲家、楽団リーダー。
 
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活動期間1960–2001
所属レコード会社FonitCetra.Odeon,Columbia,Produttori Associati (Ricordi), WEA Italiana, Ariston, Musica Solare
サンレモ音楽祭出場1回1974年参加
 
 
 
 1975年から6年にかけてプロドットリ・アソシアーティ(Produttori Associati= P.A.)の販売権を持っているリコルディからオルケストラ・カサデイのヒット曲の再発シングル盤が発売されています。1枚がラオール最大のヒット曲“チャオ・マーレ”とオジのセコンド・カサデイの最大のヒット曲をカヴァーした“ロマーニャ・ミア”です。
 
 76年に代目として育ったP..から最後のアルバム「Amico Sole」を出し、“Amico Sole”をシングルカットして発売しました。年間ヒット・ランクに入りませんでしたが、夏のヴァカンス・シーズン用でダンスの出来るワルツ曲“AmicoSole”もラオールのヒット曲として良く知られています。 アルバム「AmicoSole」からもう1枚“Pedala, Pedala...”もシングル盤として出ました。B面は当時流行していたディスコ・ヴァージョンとなっています。
 
 旧籍のチェトラから71年に発売されたアルバム「RaoulE La Romagna Ricordano」と「Complesso Raoul Casadei  ‎– Forza Romagna」の2枚をセットした、2枚組編集ベスト盤が出ています。
 
 77年WEAイタリアーナに移籍しました。WEAイタリアーナは75に年にワーナー・ブラザーズ、アトランティック、エレクトラが世界戦略として3社が中心となり設立した音楽産業グループです。WEAがイタリア法人として作ったばかりの会社ですがフレッド・ボングスト(FredBongusto)など有力歌手が集まり始めました。
 
 WEAで最初のアルバムは「JaJa Allegria」、タイトル曲“Ja Ja Allegria”がシングルカットされています。これ以降は1年にアルバムを1枚、その中の曲をシングル盤として出すペースになります。前籍P.A.原盤でリコルディの廉価盤シリーズ、オリソンテからベスト盤「Ballate Con Raoul Casadei」が発売されます。
 
 78年はアルバム「OrchestraSpettacolo Raoul Casadei」を出ました。前々年76年から始まり現在まで続くRAI1で日曜午後のTVヴァラエディー番組「ドメニカ・イン(DomenicaIn)」に出演し“...E Viene Sabato, E Poi Domenica”をシングル盤として発売、79年このアルバムからもう1枚“ProntoChi Parla”をシングルとして出しています。
 
 79年のアルバムは「IoTi Do...L'Amore」で、タイトル曲“Io Ti Do...L'Amore”がシングル盤となりました。旧籍のチェトラからリショの曲を集めたシリーズ「‎IMaestri Del Ballo Liscio(ダンス曲リショの巨匠たちと言ったところでしょうか)」の7、8集にラオール・カサデイが収録されています。
 
 80年アルバム「Com'E'Triste La Domenica... Senza Di Te」を発売し、アルバム・タイトル曲“Com'ÉTriste La Domenica... Senza Di Te”をシングル盤として出しました。ラオール・カサデイは81年にトニーノ・チェルヴィ(ToninoCervi.)監督の喜劇映画「Il Turno」の挿入曲“Il Turno”を出していますが、80年のアルバムが実質WEAイタリアーナで最後の盤となります。
 
 この頃からラオールは自分の会社ムジカ・ソラーレ(MusicaSolare)を作る準備をしていたようです。最初は制作プロダクションのレベルから始まり、大手レコード会社に委託していましたが、やがてレーベル名を表に出し、独立レーベルとして大手に販売を任しせています。この辺りの話は次回にいたしましょう。
 旧籍のチェトラの廉価盤、ペリカーノから「IGrandi Del Liscio」シリーズの3~6集でラオール・カサデイとオジのセコンド・カサデイの共演盤がリリースされています。