★ドナテッラ・レットーレ (vf) Donatella Rettore
1955年7月8日ヴェネツィアの北西20kmにある小都市カステルフランコ・ヴェネート(CastelfrancoVeneto)生。自作自演歌手、女優。レットーレを芸名とした時期もある。
EDF-1094
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/19/cnz27hiro/79/ce/j/o0175017514529447307.jpg?caw=800)
活動期間:1973 – 現在
所属レコード会社:Edibi, Produttori Associati, Ariston, CGD,Ricordi, Bubble, Lupus,Fonit Cetra, RCA Italiana,, Ros, Tring International,Sony, Nar International, Novunque, Edel
サンレモ音楽祭出場4回:1974年参加、77年入賞、86年13位、94年10位
サンレモ音楽祭出品4曲:78年入賞”Ora”と自分の出場曲で86年以外の3曲
ドナテッラはヴェネツィア総督の家系で、ヴェネツィア・ゴルドリアーナ喜劇の女優テレシータ・ピザーニ(Teresita Pisani)と貿易商セルジョ・レットーレ(Sergio Rettore)の娘として裕福な家庭に生まれました。3才の時ヴェニスのカフェ・フロリアンで歌い、神童と言われていました。
学校は演技者として優秀な成績で卒業しますが、ロック・ミュージックに情熱を燃やし、最初にコブラ(I Cobra)というバンドを作り、地元でカテリーナ・カセルリの曲を演奏し、一晩で500リラを稼ぐ腕前でした。
厳しい規則に反抗する少女は高校卒業後、歌手になる夢を叶えるためにローマに出ていきます。困難な修行の開始はヌオーヴァ・コンパーニャ・ディ・カント・ポポラーレ(NCCP=Nuova Compagnia di Canto Popolare)のツアーに付いて回ることから始まりました。
1973年、ルチオ・ダッラ(Lucio Dalla)のサマー・ツアーに協力しました。ここで真剣に歌うことと舞台メイクを学びました。ローマでは貧乏生活でしたが、多くのポップス・コンサートに参加をします。タラントの会場であったシチリア出身でRCAイタリアーナでレコードを出したこともある実験的ロック・バンド「水瓶座時代(L'Era Dell'Acquario)」のクラウディオ・レゴ(Claudio Rego)と意気投合してローマで再開することを約束しました。
レゴは本名クラウディオ・フィラッキオーニ(Claudio Filacchioni)といい、作曲もするドラマーでした。後々ですがドナテラと30年以上パートナー関係を続けた後に結婚します。
ローマに戻りドナテラが作詞をし、それにクラウディオが作曲した曲をレコード会社に送っていました。お金のない二人なので、プレス・リリースは彼女が書いていました。採用してくれたのがエディビ(Edibi)で、“Quandotu”がデビュー曲となりました。
EDF-1094 (1973年Edibi – S.D.M.) Quando Tu/ Amore E... ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照
2作目は当初デビュー盤と同じ写真でジャケットを作りましたが、途中でイラストに変え、2種類が存在します。
EDF-1097 (1975年Edibi – S.D.M.) Ti Ho Preso Con Me/Anche Se Non Lo Sai
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/19/cnz27hiro/4f/df/j/o0175017514529447309.jpg?caw=800)
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/19/cnz27hiro/39/ca/j/o0175017514529447315.jpg?caw=800)
ZEDB-50236 (1974年Edibi - RCA Italiana) Capelli Sciolti (自由な髪)/Il TangoDella Cantante
ZEDB-50236
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/19/cnz27hiro/5d/f6/j/o0175017514529447319.jpg?caw=800)
幸運にも第3作“自由な髪”で74年サンレモ音楽祭出場権を得ました。エディビは66年にルチアーノ・トメイ(Luciano Tomei)をサンレモに送っていますが、何分ナポリの弱小会社で販売力がありません。この頃RCAイタリアーナが参加の中小会社を販売するために設けた「Z」シリーズがあり、本来は一定期間結ぶディストリビューション契約だったものを、全国販売したい一部対象盤のみの契約も認めたようで、エディビはこのシステムを利用しています。
これまでのシングル曲も収録したアルバム「DonatellaRettore Ogni Giorno Si Cantano」をRCAイタリアーナの販売網にのせ発売、99年カルト復刻カルト・レーベルのオン・セール・ミュージックからCD化されました。
ZLEDB-55500(1975年 Edibi - RCA Italiana) 30cmLP Donatella Rettore OgniGiorno Si Cantano Canzoni D'Amore
52・OSM-039 (1999年 On Sale Music - On SaleMusic) CD Donatella Rettore ...Ogni Giorno Si Cantano Canzoni D'Amore...
1.MariaSole
2.QuandoTu
3.TiHo Preso Con Me
4.AncheSe Non Lo Sai
5.Stasera,Ogni Sera
6.ÈStato Il Fumo
7.17Gennaio
8.L'AmoreE...
9.IlTango Della Cantante
10.CapelliSciolti (自由な髪)
ZLEDB-55500
52・OSM-039
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/19/cnz27hiro/28/10/j/o0175017514529447321.jpg?caw=800)
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/19/cnz27hiro/5f/f1/j/o0175017514529447325.jpg?caw=800)
この後PA(プロドットリ・アソシアーティ)にカンタウトゥーリチェとして移籍、77年2度目のサンレモ音楽祭に出場します。
ドナテラ・レットーレ 2は1977年サンレモ音楽祭の後に続きます
★フランコ・シモーネ (vm) Franco Simone
本名フランソチェスコ・ルイジ・シモーネ(Francesco Luigi Simone ) 1949年7月21日長靴の踵の先端付近の山中にある小さな町アクァリーカ・ デル・カーポ(Acquarica del Capo)生、自作自演歌手、作曲家、TVプロデューサー・司会者。
RFN・NP-16501
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/19/cnz27hiro/0a/6a/j/o0175017514529447333.jpg?caw=800)
活動期間:1972 – 現在
所属レコード会社:Ri Fi, Simone/WEA, Skizzo, SGM,Targa, Discomagic, Fonit Cetra, D.V. More, Itwhy、CGD East West, D'Autore, Azzurra,
サンレモ音楽祭出場2回:1974年参加、85年13位
9人兄弟の6番目に生まれ、プーリア州のカサラーノ・ダンテ高等学校を卒業後、ローマ大学工学部に入学しました。1972年7月に開かれたカストロカーロ新人コンクールで“Con Gli OcchiChiusi E I Pugni Stretti”を歌い、優勝してから本格的に歌の道に入りました。この年の出場者で後に名前が残ったのは77年サンレモ音楽祭で第2位となったバンドのコラジェ(I Collage)ぐらいです。
72年フランコ・シモーネはカストロカーロ新人コンクール優勝曲の“Con Gli OcchiChiusi( E I Pugni Stretti)”でリフィからデビューしました。両面とも彼の作詞・作曲です。秋に開催されるヴェネチア国際音楽祭銀のゴンドラ(新人部門)に出場し決勝戦まで勝ち残りました。
RFN・NP-16501 (1972年Ri Fi - Ri Fi) Con Gli Occhi Chiusi E I Pugni Stretti/ Senza Un'Ombra D'Amore ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照
直ぐに新たなカンタウトゥーリ誕生としてアルバム「SeDi Mezzo C'è L'Amore」が制作され、このアルバムからシングル盤が発売されます。
RDZ・ST・S-14226 (1973年3月 Ri Fi - Ri Fi) Se Di Mezzo C'è L'Amore
1.MiEsplodevi Nella Mente
2.Allegramente
3.PerchèPiangi? (涙のきらめき)
4.13-15-20
5.CciBbuliti Bbe Dicu?
6.ConGli Occhi Chiusi (E I Pugni Stretti)
7.AncoraLei
8.QuestaCosa Strana
9.OgniGiorno Nuovo (E' Un Giorno Mio)
10.GialloGiallo
11.SenzaUn'Ombra D'Amore
12.DiNotte
RDZ・ST・S-14226
RFN・NP-16534
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/19/cnz27hiro/ac/8d/j/o0175017514529447336.jpg?caw=800)
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/19/cnz27hiro/27/97/j/o0175017514529447343.jpg?caw=800)
RFN・NP-16534 1973年4月 RiFi - Ri Fi) Questa Cosa Strana/Ancora Lei
2枚目のシングル盤はファースト・アルバムから両面とも自作曲で、B面の“AncoraLei”は夏のディスク・フェスティヴァル出場曲ですが本選には残れなかったようです。
3枚目のシングルもファースト・アルバムの収録曲、両面自作でプロデューサーは作曲家のエンツォ・レオーニ(EnzoLeoni)です。
RFN・NP-16549 (1973年 Ri Fi - Ri Fi) MiEsplodevi Nella Mente/Allegramente
RFN・NP-16549
RFN・NP-16565
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/19/cnz27hiro/05/2c/j/o0175017514529447345.jpg?caw=800)
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/19/cnz27hiro/e7/a9/j/o0175017514529447348.jpg?caw=800)
RFN・NP-16565 (1974年 Ri Fi - Ri Fi) FiumeGrande (流れ去った青春)/La Bella Spettinata
幸運にも74年サンレモ音楽祭の出場権を得ました。カストロカーロは元々サンレモ音楽祭の登竜門だったので、本来なら前年73年に出場してもおかしくなかったところです。しかしサンレモはこの年からカテゴリーA(Aspiranti= 候補者)というのができて、カテゴリーAで上位4人に入らなければ決勝戦に出られない方式となりました。
彼は第二夜の7人の中に入り、二日目の3位で決勝戦に出られませんでした。良い曲だったのですがイタリアではヒットしませんでしたが、フランスでは“Jene comprends plus rien”、スペインでは“Rio Grande”のタイトルが付けられ大ヒットしました。
単色カラー・スリーブに文字だけのデザインの2枚はいかにもプロモート盤かと思わしが、セカンド・アルバム「LaNotte Mi Vuole Bene」と一緒にリリースされた正規盤のようです。
RFN・NP-16585 (1974年 Ri Fi - Ri Fi) Il Corvo(Il Vulcano E La Notte)/Mi Darai Da Bere (copertina gialla)
RFN・NP-16585
RFN・NP-16586
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/19/cnz27hiro/cc/00/j/o0175017514529447353.jpg?caw=800)
![イメージ 13](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/19/cnz27hiro/82/e9/j/o0175017514529447356.jpg?caw=800)
RFN・NP-16586 (1974年6月 RiFi - Ri Fi) La Notte Mi Vuole Bene/Darling Christina (copertina rosa)
サンレモ音楽祭出場曲“流れ去った青春”を収録したアルバムが6月に発売されました。3曲目“”はアメリカ・モータウンに所属するフォーク歌手セヴリン・ブラウン(Severin Browne)の“DarlingChristina”以外はすべてフランコ・シモーネの自作自演です。
RDZ・ST・S-14240 (1974年6月 Ri Fi - Ri Fi) La Notte Mi Vuole Bene
1.IlCorvo (Il Vulcano E La Notte)
2.MiDarai Da Bere
3.DarlingChristina
4.NonTi Vendere, Rosa
5.LaBella Spettinata
6.FiumeGrande (流れ去った青春)
7.C'ÈLa Notte Tra Di Noi
8.CheCosa Vuoi?
9.Un UomoCon Qualche Peccato
10.LaNotte Mi Vuole Bene
RDZ・ST・S-14240
RFN・NP-16600
![イメージ 14](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/19/cnz27hiro/82/c0/j/o0175017514529447360.jpg?caw=800)
![イメージ 15](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/19/cnz27hiro/13/0e/j/o0175017514529447363.jpg?caw=800)
RFN・NP-16600 (1974年12月 RiFi - Ri Fi) Mi Darai Da Bere/Il Corvo (Il Vulcano E La Notte)
6月にアルバムと同時発売されたシングル盤(RFN・NP-16585)のAB面逆転しピクチャー・スリーブに変更して12月に再発売されました。
76年“ある雨降りの日(Tu... E Così Sia)”が大ヒットし、70年代後半活躍する歌手となります。
フランコ・シモーネの国内盤
GP- 328 (1974年5月SEVEN SEAS - キング) 30cmLPさよならも言わずに/サンレモ1974(SAN REMO 1974)
4.流れ去った青春 (FIUME GRANDE)
GP- 328
GXC- 5~6
![イメージ 16](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/19/cnz27hiro/9e/f1/j/o0184018514529447366.jpg?caw=800)
![イメージ 17](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/19/cnz27hiro/00/33/j/o0185018414529447369.jpg?caw=800)
GXC- 5~6 (1977.年20.月21日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 2LP ネグロ・炎・別離のローマ空港/イタリアン・ポップスの新星たち(NEGRO/NESSUNO MAI/VOLO AZ504 ITALIANPOPS ALL STARS)
11.ある雨降りの日 (TU... E COSI' SIA)
12.流れ去った青春 (FIUME GRANDE)
フランコ・シモーネ 2は1985年サンレモ音楽祭の後に続きます