★ヴァレンティーナ・グレコ(vf) Valentina Greco
本名ローザ・ジルベルティーニ (Rosa Gilbertini)1954年5月7日ジェノヴァの北郊外山間の小さな村ミグラネーゴ(Mignanego)生、歌手。
CPT・OK-17

活動期間:1972-1979
所属レコード会社:Cipiti
サンレモ音楽祭出場2回:1974年入賞(9番目),75年5位
1973年にサンレモ音楽祭登竜門のソリージ・エ・カンツォーニTV誌が主催するDue voci perSanremoに出場し、チピティ(Cipiti)との契約権とサンレモ音楽祭出場権を獲得しました。同年” Il Sole...Il Vento... La Mia Gioventù”でデビューします。
CPT・NP-1010 (1973年 Cipiti - CBS Sugar) Il Sole...Il Vento... La MiaGioventù/Donna Di Una Sola Volta
CPT・NP-1010
CPT・NP- 1026


CPT・NP-1026 (1974年 Cipiti - CBS Sugar) Notte Dell'Estate (夏の夜)/Cos'è L'Amore Mio
74年サンレモ音楽祭にカテゴリーAで“夏の夜”を歌い、決勝戦に進める4人に選ばれ初出場初入賞を果たしました。
次に“Vai Amore Vai”でヴェネチア国際音楽祭銀のゴンドラに出場、ペサーロ音楽祭では優勝しました。
CPT・NP-1032 (1974年 Cipiti - CBS Sugar) Vai Amore Vai /GiraL'Amore (ジーラ・ラモーレ)
CPT・NP-1032
CPT・NP- 1035


CPT・NP-1035 (1975年 Cipiti - CBS Sugar) Un grande addio (わかれ道)/Quando non c'è amore
75年サンレモ音楽祭に“わかれ道”で5位入賞、4月に民音第一回イタリア音楽祭のため初来日しました。この実績で新人ながらアルバムが作られます。
CPT・OK-17(1975年 Cipiti - CBS Sugar) LP Per Gioco O Per Amore ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照
1Vai Amore Vai
2.Venere
3.Innamorarsi No
4.Per Scommessa
5.Cos'è L'Amore Mio
6.Gira L'Amore (ジーラ・ラモーレ)
7.Notte Dell'Estate (夏の夜)
8.18 Anni
9.Quanto Tempo Passera'
10.La Vedova Bianca
11.Per Gioco O PerAmore
12.Luce Bella LuceBlu
78年イタリア盤は未確認ですが、日本最後のシングル“渚の想い出”の原盤はアトラス(Atlas)でした。移籍したのでしょう。その後の消息は不明です。
ヴァレンティーナ・グレコの国内盤
DY-5004-1 (1975年4月 SEVEN SEAS - キング)30cmLP カンツォーネ特別ダイジェスト盤《来日アーティスト特集》
3.わかれ道 (UN GRANDE ADDIO)
4.夏の夜 (NOTTE DELL'ESTATE)
DY-5004-1
HIT-2200


HIT-2200 (1975年4月25日 SEVEN SEAS - キング) わかれ道(UN GRANDE ADDIO)/夏の夜 (NOTTE DELL'ESTATE)
GW- 273~4(1975年4月 SEVEN SEAS - キング)30cm 2LPカンツォーネの歴史/民音第一回イタリア音楽祭 (1゚FESTIVAL DELLA CANZONE ITALIANA/THE HISTORY OF CANZONE)
2-12. わかれ道(UN GRANDE ADDIO)
GW- 273~4
GEM-1067~8


GEM-1067~8 (1975年4月 SEVEN SEAS- キング) 30cm 2LP カンツォ-ネ100年史(第1回民音イタリア音楽祭)(MIN-ONPRIMO FESTIVAL DELLA CANZONE ITALIANA)
1-10.しあわせがいっぱい<L> (IL CIELO IN UNA STANZA <L>)
1-111.アモール、モン・アムール、マイ・ラヴ<L> (AMOR, MON AMOUR, MY LOVE <L>)
2-1.ジーラ・ラモーレ <L> (GIRA L'AMORE <L>)
2-2.わかれ道 <L> (UN GRANDE ADDIO <L>)
CM- 17 (1975年4月25日 SEVEN SEAS - キング)傷心 (PIANGEREI)/ジーラ・ラモーレ (GIRAL'AMORE)
CM- 17
GXG- 15~6


GXG- 15~6 (1976年9月21日 SEVEN SEAS - キング)30cm 2LPサン・レモ音楽祭ヒット曲集(SAN REMO BEST HITS)
2-5.わかれ道 (UN GRANDE ADDIO)
GXC- 5~6 (1977.年2月21日SEVEN SEAS - キング) 30cm 2LP ネグロ・炎・別離のローマ空港/イタリアン・ポップスの新星たち(NEGRO/NESSUNO MAI/VOLO AZ504 ITALIANPOPS ALL STARS)
1-13.夏の夜 (NOTTE DELL'ESTATE)
1-14.わかれ道 (UN GRANDE ADDIO)
GXC- 5~6
GXC- 30~1


GXC- 30~1 (1978年3月 SEVEN SEAS - キング)30cm 2LP カンツォーネ・スター・オン・ステージ (CANZONE STAR ON STAGE)
2-12.わかれ道<L> (UN GRANDE ADDIO <L>)
CM- 159 (1978年11月 SEVEN SEAS - キング) 渚の想い出 [日](UN AMORE D'ESTATE [J])/渚の想い出 (UN AMORE D'ESTATE)
CM- 159
GXF- 81~90


GXF- 81~90 (1979年2月5日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 2LPサン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SANREMO)
10-9.わかれ道 (UN GRANDE ADDIO)
ヴァレンティーナ・グレコは以上です。
★ソニア・ジリオラ・コンティ (vf) Sonia Gigliola Conti
1952年6月8日フィレンツェの東100kmアドリア海沿岸の小都市セニッガリア(Senigallia)生、歌手。ソニア・コンティ(Sonia Conti)の芸名も使います。

所属レコード会社:Ri-Fi
サンレモ音楽祭出場1回:1974年参加
彼女はリショを演奏する音楽一家に生まれ、やがてアコーデオン演奏家マルコ・ヴィジタ(Marco Visita)の楽団付き歌手としてデビューし、ロマーニャ州(Romagna 州都はボローニャ)地方のダンスホールで歌っていました。
リフィのオーナーの息子で芸術監督(イヴァザ・ニッキのご主人)のトニーノ・アンソルディ(Tonino Ansoldi)に見出され、リフィと契約出来ました。
74年サンレモ音楽祭に“春ふたたび”に出場しましたが入賞できませんでした。
RFN・NP-16566 (1974年Ri Fi - Ri Fi) Ricomincerei (春ふたたび)/Perché non parli stasera
RFN・NP-16566
RFN・NP-16567


RFN・NP-16567 (1974年4月 Ri Fi - Ri Fi) Parlami D'Amore(Touch Me In The Morning タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング)/C'È La Notte Tra Di Noi
同年4月にダイアナ・ロスの“タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング”のイタリア語カヴァー“Parlami D'Amore”を出します。スイスでヒットしたようです。
3枚目が“ローマのギター”と“夕映えの二人”をソニア・コンティ名義で出しています。レコードはこの3枚しか確認できず、その後の消息も不明です。
RFN・NP-16643 (1974年Ri Fi - Ri Fi) Chitarra Romana (ローマのギター)/Che Vuoi Che Sia (夕映えの二人) [come Sonia Conti]
RFN・NP-16643

ソニア・ジリオラ・コンティの国内盤
GP- 328 (1974年5月 SEVEN SEAS - キング)30cmLPさよならも言わずに/サンレモ1974 (SAN REMO 1974)
8.春ふたたび (RICOMINCEREI)
GP- 328

ソニア・ジリオラ・コンティは以上です。
★エマヌエラ・コルテージ (vf) Emanuela Cortesi
1958年5月5日ボローニャの東25kmにある小さな町フジニャーロ(Fusignano)生、歌手。バッキング・コーラスで参加する場合に別名マヌ・コルテージ(Manu Cortesi)も使っています。
SP-1529

活動期間:1969 – 現在
所属レコード会社:Edig, Fonit-Cetra
サンレモ音楽祭出場1回:1974年入賞(5番目)
1969年11才の時にリショを演奏するカステッリーナ=パシ楽団(Orchestra Castellina-Pasi.)の伴奏で“La mia nonnina”を歌いデビューしました。
GB-0075 (1969年 Edig - Galletti) La mia nonnina/La bambolina (lato B cantatoda Nadia Bissi)
GB-0075

73年フォニット・チェトラと契約し、サンレモ音楽祭への登竜門の一つカストロカーロ新人コンテストに“Io Ci Credo Ancora”を歌い、マイラ・マッツェランギ(Maila Mazzeranghi)と優勝し、サンレモ音楽祭の出場権を得ます。マイラはその後名前が出てきません。この曲で秋開催のヴェネチア銀のゴンドラ(新人部門)に出場し優勝しました。
SP-1529 (1973年 Cetra - Fonit Cetra) Io Ci Credo Ancora/Non Mi Sposerò Mai ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照
74年サンレモ音楽祭に“白い飛行”で注目の新人として出場し見事入賞を果たします。
SP-1545 (1974年 Cetra - Fonit Cetra) Il mio volo bianco (白い飛行)/Ilpretesto
SP-1545
SP-1557


SP-1557 (1974年 Cetra - Fonit Cetra) Ci si innamora solo al tempo della scuola(初恋の学園)/Anni caldi
続いて夏のディスク・フェスティヴァル出場で“初恋の学園”を歌い本選に進むことが出来ました。
デビューから幸先の良いスタートを切ったのですが、内向的な性格のためか残念なことに作曲家とバッキング・コーラスの道を選び、第一線から姿を消してしまいます。
彼女の名前が何時バッキング・コーラスでクレジットに出るようになったかは不明です。しかし89年にエキペ84(Equipe 84)が再結成しROSE ROSSEからアルバム「UN AMORE VALE L'ALTRO」(ROSE-5O31)をリリースしていますが、その時すでにエマヌエラ・コルテージの名前がクレジットされています。
ディスコグス(Discgs)でManuCortesiで検索すると91年以降30枚ほど彼女の名前がクレジットされたアルバムが出てきます。
92年のサンレモ音楽祭を見に行った折、バック・ステージに一般観客用パンフレット以外のプレス用パンフレットが積んであり、それには楽団とコーラス・メンバーの集合写真と名前が載っていました。そこに彼女の名前を見つけ、元サンレモ出場歌手が陽の当たらないバッキング・コーラスをしていることに驚きました。
96年アドリアーノ・チェレンターノのアルバムに収録された“Solo Da Un QuartoD'Ora”ではバッキング。コーラスでなく、ソロで1コーラスを歌っています。
CLCD-375032 (1996年 Clan - BMG) CD Celentano – Arrivano Gli Uomini [0 743213 750323]
6.Solo Da Un QuartoD'Ora (con Emanuela Cortesi)
CLCD-375032
WDR-489310・2


WDR-489310・2 (1997年Walt Disney - ) CD Disney'sHercules
10.Questa è la realtà1
11.Questa è la realtà2
12.Questa è la realtà3
17.Ieri era zero
18.Ti vada o no
19.È nata una star
ディズニー・アニメ映画「ポカホンタス」、「ヘラクレス」、「トイ・ストーリー2」でもイタリア版の吹替えをしています。マヌは裏方で息の長い歌手生活を続けています。
エマヌエラ・コルテージの国内盤
GP- 328 (1974年5月 SEVEN SEAS - キング)30cmLPさよならも言わずに/サンレモ1974 (SAN REMO 1974)
7.白い飛行 (IL MIO VOLO BIANCO)
GP- 328
MW-2089


MW-2089 (1974年 5月 RICORDI - ポリドール)30cmLP サンレモ1974 (SAN REMO 1974)
10.白い飛行 (IL MIO VOLO BIANCO)
SR- 874 (1974年8月 SEVEN SEAS - キング)30cmLP愛をたずねて (ST. VINCENT FESTIVAL)
6.初恋の学園(CI SI INNAMORA AL TEMPO DELLA SCUOLA)
SR- 874

エマヌエラ・コルテージは以上です。