イタリアでは長引く不況で音楽産業にも大きな影を落とします。サンレモ音楽祭は緊縮運営をしないと表明しますが、前々年から始められたシングル・キャスト制は定着し、前年まで外国から有名指揮者を呼び再演奏して音楽祭の信頼性を保っていましたが、74年はその再演奏も廃止されました。新曲フェスティヴァルには変わりありませんが、新たに2カテゴリーを設け、一段と出場歌手の個性に依存する傾向が強まりました。
 
 カテゴリーB(Bigの部)に選ばれたスター歌手14名は、予選をすることなく最終日の決勝戦に進め、今までの入賞歌手扱いとなります。カテゴリーA(Aspirant i=候補者)は第1夜、第2夜で各7歌手が歌い、各2歌手(計4歌手)が決勝戦に進みます。最初は残る10歌手で敗者復活戦を考えていたようですが、RAI(イタリア国営放送)は放送時間が長くなることを理由に取りやめとなりました。
 このようにRAIの緊縮策は厳しく、第1夜、第2夜はTV中継をせずラジオのみの放送で、最終夜(決勝)はユーロヴィジョンの国際中継があるためカラー・カメラを使いましたが、国内放送はモノ・クロで放送しました。
 
 
第24回 1974年3月7日()~9日() サンレモ市カジノ付属劇場

司会:コラッド (Corrado)、ガブリエッラ・フェリノン (Gabriella Farinon)
楽団指揮:14人の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:サンレモ観光協会(Comune diSanremo)とエリオ・ジガンテ(Elio Gigante)、ジャンニ・ラヴェーラ(GianniRavera)、ヴィトリオ・サルヴェッティ(VittorioSalvetti
形式:カテゴリー制を導入。カテゴリーB(ビッグ部門)14曲は最終夜の決勝戦に進め、カテゴリーA(候補者部門)も14曲が出場しますが、第1夜、第2夜に各7歌手が歌い上位2歌手、合計4歌手のみに決勝戦の出場権を与え、最終夜に18歌手が歌います。その中から優勝を決め、上位3歌手のみ得票を翌日に新聞公表し、他の歌手は入賞曲としました。

 
 前年ベトナム戦争加担企業として排除されたRCAイタリアーナ・グループは5歌手の出場で復活しました。昨年主流の座を取ったリコルディ・グループが74年もトップ7歌手を出場させています。またボイコット組のリフィ、EMIイタリアーナ、ドゥリウムが復帰してきました。
 参加枠が減った影響はCBSシュガー・グループが3歌手、フォニット・チェトラが2歌手に後退してしまいます。初参加はリコルディ・グループのプロドゥットリ・アッソチアーティ(..)、スパーク、CBSシュガー・グループのチピティの3社、なおP..はブルー・ベルの継承会社です。
 
[]は外人歌手数
RICORDI [] (RICORDI []); Produttori Associati [] Spark []Ariola [])
RCA Italiana [] (RCAItaliana 4[]EDIBI [])
Ri Fi []
CBS SUGAR [] CGD []CiPiTi [] Vogue []
FONIT CETRA 2[]
ARISTON []
EMI Italiana [] (EMIItaliana []PDU [])
PHONOGRAM [] (POLYDOR [] PHILIPS[])
 
      イメージ 1     イメージ 2            
      リッカルド・フォッリ (RCA Italiana)     ヴァレンティ-ナ・グレコ (CiPiTi)
 
 このところサンレモ音楽祭の視聴率が落ち続けていましたが、年末のカンツォニッシマに比べサンレモの人気は急落し、音楽関係者の関心すら薄らぐ危機的な状況となります。また音楽祭の成功、不成功を計る目安は年間ヒット・ランクにその年の曲がどれだけ入っているかでした。優勝曲イヴァザ・ニッキの“さよならも言わずに”は74年間ヒット・ランク44位でまずまずの成果でしたが、その他は惨敗、実質第2位のドメニコ・モドゥーニョが歌った“これが私の人生”が70位、入賞でも下から2番目だったミルバの“人形のモニカ”が90位と健闘したものの、全て大ベテランの歌手たちで、新人歌手が一人も入らず、この結果が成功と言えるのか?番狂わせが参加曲止まりだったカサデイの“ラ・カンタ”が80位と大健闘したのが目を引きます。
 
 ただカサデイは1928年に結成されたバンドで、戦前のダンス・ホール、キャバレーで流行ったリショ(Liscio)を演奏するグループでした。リショは70年代の中頃リバイバルしていたので、ヒットするのは当然でしたが、彼らはビッグ部門が相当だったのではないかという批判がありました。
 
 
 
 <優勝曲> 
さよならも言わずに Ciao,cara, come stai? (Daiano - Dinaro - Italo Ianne - CristianoMalgioglio) 出版社 RI FI Mus. DURIUM<36>イヴァ・ザニッキ (vf) Iva Zanicchi (Ri Fi – Ri FiRFNNP-16564 [45]
 
 RFNNP-16564イメージ 3  HIT-2135イメージ 4
 
 
 <入賞曲> (表中で出版社の後にある<A>は、候補の部から勝ち上がった曲です)
 ◇これが私の人生 Questaè la mia vita Luciano Beretta - Domenico Modugno - Elide Suligoj) 出版社 RCA – CURCI<27> ドメニコ・モドゥーニョ (vm) Domenico Modugno RCA Italiana – RCA ItalianaTPBO-1022 [45]
 
                     TPBO-1022イメージ 5
 
 
 ◇バラ色の瞳 Occhirossi (tramonto d'amore) (Daniele Pace - Mario Panzeri - LorenzoPilat - Corrado Conti) 出版社SUCCESSO - ALFIERE <21> オリエッタ・ベルティ (vf) Orietta Berti POLYDORI – Phonogram2060-068 [45]
 
2060-068イメージ 6  DP-1932イメージ 7
 
 
◇そっと雨が降る Stapiovendo dolcemente Maurizio Piccoli - Pino Donaggio) 出版社出版社FAMA - CURCI<19A> アンナ・メラート (vf) Anna Melato RICORDI – DISCHI RICORDISRL-10718 [45]
 
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◇白い飛行 Ilmio volo bianco Daiano - Zanon - Italo Janne) 出版社 USIGNOLO <17> エマヌエラ・コルテージ(vf) Emanuela Cortesi <A> CETRA – FONIT CETRASP-1545 [45]
 
 
◇わかれの中に Senza titolo VitoPallavicini - Francesco Ferrari - Gino Mescoli) 出版社 SENNA ジルダ・ジュリアーニ(vf) Gilda Giuliani Ariston – AristonAR-0624 [45]
 
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もし、あなたが怖かったら Se haipaura LuigiAlbertelli - Roberti Soffici - Gmassimo uantini) 出版社 FONO FILMRICORDI - PDU) <A> イ・ドモドッソ- (coro) I Domodossola PDU – EMI ItalianaPA-1097 [45]
 
 
◇モナミ・タンゴ Mon ami tango Daniele Pace - Mario Panzeri - Lorenzo Pilat - Corrado Conti) 出版社 CA.MO レ・シャルロ (compl=f)Les Charlots VOGUE – CBS SugarVI-2027 [45]
 

                       VI-2027イメージ 12

 

 

残りの入賞曲は次回に続きます

 

 

 

 74年初参加のレコード会社は3社チピティ(CiPiTi)、プロドゥットリ・アッソチアーティ(ProduttoriAssociati)、スパーク(Spark)です。これらレコード会社3社は過去のレーベルを引継ぐものや、後に社名を変え存続するものなど、歴史の流れを感じさせるレーベルたちです。

 

 

 まずヴァアレンティーナ・グレコを出場させたチピティ、CPTのイタリア式アルファベットの読みをレーベル名にしています。時としてCPTを表示されることもあります。

 

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 1972年クラウディオ・チェッリ(Claudio Celli)とアルド・ブオノコーレ(AldoBuonocore)がミラノに設立した新興レコード会社です。

 クラウディオ・チェリは振付師からテノールの美声が認められコーラス・グループのクァルテット・ラダール(QuartettoRadar)のメンバーとなり、サンレモ優勝曲“アル・ディ・ラ”を歌ったベティー・クルティス(BettyCurtis)と結婚したことで知られる歌手、作詞家、レコード・プロデューサーです。

 アルド・ブオノコーレは作・編曲家、楽団指揮者でヴァアレンティーナ・グレコのサンレモ出場曲もチェリの作詞に作曲しています。

 チピティ設立当時からサンレモ優勝曲“アル・ディ・ラ”を歌ったルチアーノ・タヨーリ(LucianoTajoli)が在籍しており、カンタウトゥーリのアンドレア・ミンガルディ(Andrea Mingardi)、プログレ・バンドのグルッペ・エックス(Le GroupeX)、サリス&サリスとしても知られるサリス(I Salis)も所属していました。

 75年頃閉鎖してしまいますが、チピティのカタログはアルファ(A.R.ALPHARECORD)に引き継がれたようです。アンドレア・ミンガルディはそのままアルファで再発売され、ルチアーノ・タヨーリも続けてレコードを出しています。82年にクラウディオ・ビルラ(ClaudioVilla)がこのアルファから最後のサンレモに出場しましたし、ベティー・クルティスやリトル・トニーなど往年のスター達もアルファからレコードを出しました。CD時代となりこのアルファのカタログを受け継いだのがフォノティル(FONOTIL)のようです。 この辺りの話はまたアルファの紹介の時に致しましょう。

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 エマヌエラ・コルテ-ジ (Cetra)     マウス & マクニ- (Philips)     カムビス (Ricordi)

 

 

 

・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。

・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。

・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。
・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、音声映像は貼り付けておりません。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。