★アレッサンドロ (vm) Alessandro
本名アレッサンドロ・ピントゥス(Alessandro Pintus) 1954年1月14日ローマ生、自作自演歌手、レコード・プロデューサー。
活動期間:1972 – 1979
所属レコード会社:CBS, Philips
サンレモ音楽祭出場1回:1973年14位
ローマで生まれのミラノ育ち、少年の頃はミラノで学生やヒッピーの集まるサン・バビラ広場(Piazza San Babila)にたむろする若者でした。
アドリアーノ・チェレンターノ(Adriano Celentano)のレコード会社クラン・チェレンターノの代表取締役、チェレンターノの妻クラウディ・モーリ(Claudia Mori)のオジにあたるコッラド・ピントゥスの息子でクランのプロデューサーとして働きます。
CBSと歌手契約が出来、73年サンレモ音楽祭に“想い出の3分”で出場し14位に、また一方棄権曲となったアドリアーノ・チェレンターノの“ただ一つのチャンス(L'Unica Chance)”をプロデュースしています。しかし歌手としての限界を知り、プロデューサー業に戻りました。
1305(CBS) (1973年3月 CBS- CBS Sugar) Tre minuti di ricordi (想い出の3分)/Laverde panca
1305(CBS)
6025-168
6025-168
6025-168 (1977年 Philips -Phonogram) L'Hai Voluto Soltanto Tu/Stai Con Me
4年後フィリップスから“L'Hai Voluto Soltanto Tu”を出しますが、TVプロデューサーに転身しました。
アレッサンドロの国内盤はありません、アレッサンドロは以上です。
★ジェット (compl) J.E.T.
1971年ジェノヴァで結成された4人編成のバンド、ジェットは74年に解散。
74年メンバー3人にドラムスと女性ヴォーカルのマティア(Matia)ことアントネッラ・ルッジェロ(AntonellaRuggiero)を加えた5人編成バンド、マティア・バザール(MatiaBazar)として再出発し、女性ヴォーカルや他のメンバーも変更しながら活動を続ける。
活動期間:1971-1974
所属レコード会社:Durium
サンレモ音楽祭出場1回:1973年参加曲(ジェットとして)
メンバー構成
・アルド・ステッリタ (Aldo Stellita):ベース、ヴォーカル
本名アルド・サルヴァトーレ・ステッリタ(Aldo SalvatoreStellìta) 1947年8月2日シチリア島最西端近くの小さな町カンポベッロ・ディ・マツァーラ(aCampobello di Mazara)生れ学生時代をジェノヴァでおくる、1998年7月9日イタリア最東北部の都市ウーディネ(Udine)没、作詞家、歌手、ベース奏者。マティア・バザールの創立メンバーの一人でジェット、マティア・バザールの「静かなる」リーダー。
・ピエロ・カッサーノ (Piero Cassano):キーボード、作曲
本名ピエランジェロ・エウジェニオ・カッサーノ(Pierangelo EugenioCassano) 1948年9月13日ジェノヴァ生、作曲家、編曲家、演奏家、歌手。マティア・バザールの創立メンバーの一人で81年に脱退し、ソロ歌手として82年サンレモ音楽祭で参加曲に終わる、同年ヤマハ国際歌謡祭出場。
・カルロ・マッラーレ (Carlo Marrale):ギター、ヴォーカル
1952年3月15日ジェノヴァ生、歌手、ギタリスト、仇名は」ビンボ(Bimbo)。マティア・バザールの創立メンバーの一人で93年に脱退し、ソロ歌手として94年サンレモ音楽祭出場15位。
・レンゾ・コッキス (Renzo Cochis):ドラム、作曲
仇名がルッチ(Rucci)という以外は一切不明
アルド・ステッリタはシチリア島最西端カンポベッロ・ディ・マツァーラで生まれ、その後家族と一緒にヴェネツィアの北北西、オーストリアのチロル地方に近い山間の都市ボルツァーノで少年期を過ごし、ジェノヴァに引越して大学で化学の学位をとりました。
一方ピエロ・カッサーノは、音楽に接したのはピアノを弾くことから始まりました。彼が1才年上のアルドと知合ったのは60年代の半ばで、アルドが最初に結成したグループ、レ・オンダ・ソノーレ(Le Onde Sonore)にいた頃だったようです。
1971年に二人が中心となりジェノヴァでジェット(J.E.T.)を結成するのですが、その間、どういう経過で、どんな活動をしていたか資料がありませんでした。
メンバーは二人にカルロ・マッラーレ、レンゾ・コッキスを加えた4人編成のバンドを結成しました。
この約10年前、同じジェノヴァで6人編成のバンド、イ・ファンタスティーチ・ジェッツ(I FANTASTICI"JETS")が作られました。通称ジェッツ(JETS)と呼ばれます。
その中の男性2人、フランコ・ガッティ(Franco Gatti)とアンジェロ・ソトジュー(AngeloSotgiu)が2人の女性歌手と66年にアメリカ・スタイルのコーラス・グループをファマ・メディウム(FamaMedium)を結成しました。後にリッキとポーヴェリ(Ricchi ePoveri)と改名、ビッグなグループに成長します。
時としてジェット(J.E.T.)とジェッツ(JETS)を混同して語られているので、2つはジェノヴァで結成されたバンドですが、時期もメンバーも全く別物だとあらためて書いておきます。
ジェットはやや落ち目になっていましたが、大手レコード会社ドゥリウムと契約して、メジャー・デビューします。71年夏のディスク・フェスティヴァルの出場曲で、 ドラムスのレンゾ・コッキスとキーボードのピエロ・カッサーノに、主にドゥリウムの作詞やプロデューサーをしているフェリックス・ピッカッレダ(Felix Piccarreda)の別名を持つフェリーチェ・ピッカッレダ(Felice Piccarreda)が作りました。
この年の夏のディスクの参加歌手は56歌手、新人は本選に残ることは至難の業でした。
Ld・A-7711 (1971年 Durium - Durium) Vivere In Te/Uomo
Ld・A-7711
Ld・A-7752
Ld・A-7752
Ld・A-7752 (1972年 Durium - Durium) Non La Posso Perdonare/Donna Dove Sei?
彼らの目指す音楽はプログレッシヴ・メロディコであったようで、72年2枚目のシングル盤のジャケットは如何にもロック・バンド風な出来上がりでした。この曲はジェットのレンゾ・コッキスとピエロ・カッサーノ、それにアルバム「消えゆく希望の灯」の作詞もしているルビアック(Lubiak)です。ルビアックはデビューシングルの作詞をしたフェリーチェ・ピッカッレダのペンネームです。
“Non La Posso Perdonare”は直ぐにB面を“Il Segno Della Pace”に差替えて再発売されました。
Ld・A-7758 (1972年 Durium - Durium) Non La Posso Perdonare/Il Segno Della Pace
Ld・A-7758
ms・Al-7307
ms・Al-7307
ms・Al-7307 (1972年 Durium - Durium) Fede Speranza Carità
VM-057 (1995年 Vinyl Magic -Vinyl Magic) CD Fede Speranza Carità
AMS・LP-27 (2010年10月 AMS - AMS) Fede Speranza Carità[8016158302745]
1.Fede Speranza Carità (消えゆく希望の灯)
2.Il Prete E Il Peccatore (聖人、罪人)
3.C'è Chi Non Ha (希望)
4.Sinfonia Per Un Re (王に捧げるシンフォニア)
5.Sfogo (怒り)
VM-057
AMS・LP-27
AMS・LP-27
彼らの唯一のアルバム「消えゆく希望の灯」が出ました。日本と韓国で人気を得たようです。今回聞き直して感じることは、我々の持っているイタリアン・ロックのイメージ通りのバンドと言えるかもしれません。イタリアでもオリジナル初版はめったに無いようで、当時販売面では苦しかったことでしょう。
彼らの努力が認められたのか、73年サンレモ音楽祭に出場が決まりました。歌った曲は“アニカ・ナ・オ”で、バック・コーラスにマティア・バザール(Matia Bazar)に入るアントネッラ・ルッジェロ(Antonella Ruggiero)が既にいたそうです。
Ld・A-7796 (1973年 Durium - Durium) Anikana-O (アニカ・ナ・オ)/GuardaCoi Tuoi Occhi (君の瞳)
Ld・A-7796
Ld・A-7805
Ld・A-7805
Ld・A-7805 (1973年 Durium - Durium) Gloria Gloria (グロリア、グロリア)/SinfoniaPer Un Re (王に捧げるシンフォニア)
73年の夏にディスクに“グロリア、グロリア”で出場しますが、決勝戦には進めませんでしたが成功した曲でした。
この後サンレモ音楽祭出場曲“アニカ・ナ・オ”の英語版“Voo Doo Woman”を出しましたが、74年に解散し最後の盤になります。
Ld・A-7818 (1973年 Durium - Durium) Anikana-O (Voo Doo Woman アニカ・ナ・オ)/Satan Is Waitin'
Ld・A-7818
ND・CD-219
ND・CD-219
ND・CD-219 (19?年 Durium – Durium) CD Durium Revival J.E.T.[8 013461 012194]
1.Vivere In Te
2.Uomo
3.Non La Posso Perdonare
4.Donna Dove Sei
5.Il Segno Della Pace
6.Anika Na O (アニカ・ナ・オ)
7.Guarda Coi Tuoi Occhi (君の瞳)
8.Gloria, Gloria (グロリア、グロリア)
9.Fede Speranza E Carità
10.C'è Chi Non Ha (希望)
11.Sfogo (怒り)
12.Sinfonia Per Un Re (王に捧げるシンフォニア)
13.Il Prete E Il Pescatore
CD時代に1度編集ベスト盤が出ました。
ジェットの国内盤
K28P- 716
K32Y- 2142
K32Y- 2142
K28P- 716 (1988年7月5日 CRIME- キング) 30cm LP ジェット/消えゆく希望の灯 (J.E.T. FEDE,SPERAZA, CARITA') ※7なし
K32Y- 2142 (1988年7月5日 CRIME- キング) CD ジェット/消えゆく希望の灯 (J.E.T. FEDE, SPERAZA, CARITA')
KICP-2825 (1996年3月6日 NEXUS- キング) CD ジェット/消えゆく希望の灯 (J.E.T. FEDE, SPERAZA, CARITA')
BVCM-37588 (2005年4月6日 DURIUM- BMGジャパン) CD ジェット/消えゆく希望の灯 (J.E.T. FEDE, SPERAZA, CARITA') ※ボーナス・トラックなし
1.消えゆく希望の灯 (FEDE,SPERAZA, CARITA')
2.聖人、罪人 (IL PRETE E ILPECCATORE)
3.希望 (C'E' CHI NON HA)
4.王に捧げるシンフォニア (SINFONIAPER UN RE)
5.怒り (SFOGO)
6.グロリア、グロリア (GLORIA,GLORIA) ※
7.君の瞳 (GUARDA COI TUOIOCCHI) ※
KICP-2825
BVCM-37588
BVCM-37588
マティア・バザール 2は1977年サンレモ音楽祭の後に続きます