★トニ・サンタガータ (vm) Toni Santagata
本名アントニオ・モレーセ(Antonio Morese) 1935年12月9日ナポリとバリの間の山中にある小さな町サンターガタ・ディ・プーリア(Sant'Agatadi Puglia)生、自作自演歌手、コメディアン、俳優。トニー・サンタガータ (Tony Santagata)、本名アントニオ・モレーセも使います。
活動期間:1959 – 現在
所属レコード会社:Sunset Records, Edibi, RCA Italiana, Ri-Fi, Fonit-Cetra, Carosello, Fonotil, Canta Cabaret
サンレモ音楽祭出場2回:1973年参加、94年19位(スクァドラ・イタリア (Squadra Italia)の一員として)
父フフランチェスコ・サヴェリオ、母フランチェスカ・ボヴェで農協の代理人をしている労働者階級の家庭に生まれ、2人姉妹、2人兄弟として育ちました。
サンタガータ中央学校入学後、彼は仲間の学生と合唱団を結成、慈善の演劇公演を上演し、アントニオは "監督"の愛称を付けられました。勉強のため最初アドリア海沿岸の小都市マンフレドーニアへ、更にルチェラ、最後にフォッジャへ引越しました。
アントニオは幼い頃から歌い始め、フォッジャのヴィンチェンツォ・ランツァ上級高等学校(ナポリターナ歌手レンツォ・アボーラ(Renzo Arbore)は学友)を卒業しました。この時期の事は彼の音楽的アイデンティとなったようで、“Miezz'ALa Piazza (広場にて)”や“Puglia mia”は十代の時ここで作られました。この頃に作った曲を持って、若いアントニオは故郷の地名を使った芸名トニ・サンタガータで南部のクラブを回り始めました。50年代から60年代の初めにはプーリア方言で歌われることは稀れで、彼はその先駆者でした。
やがてトニはナポリに来て、フェデリコ二世大学で法学の勉強をします。この頃市民サークルのフォーク・グループに参加して歌っていました。ローマの西北50kmのチビタベッキアにある第1ベルサリエリ連隊で装甲兵として兵役を果たした後、アンコーナ音楽祭で歌手・ギタリストとして一等賞を獲得ましした(アドリアーノ・チェレンターノは59年“君のキッスはロックのよう(Iltuo bacio è come un rock)”で優勝、サンタガータの「一等賞」の出所は未確認)。
その後ローマに引越しました。中学で国語とラテン語、地理と歴史の代用教師をしながら、ラ・サピエンツァ大学で研究を続けました。
歌も続けましたが、彼の歌を出してくれるレコード会社はありません。ローマ民謡の歌手ランド・フィオリーニ(Lando Fiorini)のショー・レストラン、イル・パフでデビュー間もないリノ・バンフィ(LinoBanfi)とプーリア方言でデュエットをして働き、フォーク・スタジオの設立者の一人となっています。
トニはもう三十才に近くでした。一つのチャンスが訪れます。リコルディの芸術監督になり、新たな才能を探していたヴィンチェンツォ・ミコッチの目に留まったのです。ミコッチはトニにサンレモ音楽祭出場を勧めました。ちょうど世界中の歌手たちが参加する国際音楽祭を目指していたので、標準語の曲が前提でしたが、トニは自作でプーリア方言の”La Zita“で出場したいと譲りませんでした。ミコッチはトニの出場を諦め代わりにボビー・ソロを出場させました。
トニがサンレモ音楽祭に出場するのは73年で、9年待たねばなりません。彼は漸く64年小さなレコード会社サンセットからレコードを出すことが出来ました。
記録に残る最初の盤は64年にサンセットから良く知られる“広場にて”と“禁じられたストルネロ(美しき初恋)”です。“美しき初恋”は玄人筋に評判となり、ミラノのダビー・クラブ、ローマのクラブビーノなどキャヴァレー(クラブ)の出演で忙しくなっていきます。
SNB-3050 (SNP-3050) (1964年 SunsetRecords - O.D.P.) Miezz'A La Piazza (広場にて)/StornelliPugliesi (Quant'è Bello Lu Primm'Ammore) (禁じられたストルネロ)
SNB-3050
SNP-3053
SNP-3053
SNP-3053 (1964年 SunsetRecords - O.D.P.) 'A 'Nnammuratamia/ Chi Non Ha Nessuno (composta dallo stesso Antonio Morese).
SNP-3064 (1965年 SunsetRecords - O.D.P.) SantissimaIncoronata Di Puglia (1ª parte)/ Santissima Incoronata Di Puglia (2ª parte)
SNP-3064
SNP-3065
SNP-3065
SNP-3065 (1965年 SunsetRecords - O.D.P.) Le Ragazze DiPuglia (1ª parte)/ Le Ragazze Di Puglia (2ª parte)
SNP-3066 (1964年 SunsetRecords - O.D.P.) CantataDell'Emigrante/Tarantella Pugliese
SNP-3066
SSP-2001
SSP-2001
SSP-2001(1965年 SunsetRecords - O.D.P.) Ciuccio FaTu!/Gennarino 'O Tifoso {come Antonio Morese, Nico Palumbo , Doretta}
その間サッカー・チームの応援歌、最初はナポリの歌を歌っています。時期は不明ですがトニは66年にはサンセットの販売権を持つようになるイタルレコード(Italrecord)の芸術監督になります。
SNP-3074 (1965年A.&G. Records - O.D.P.) Quanto E' Bello Passeggiare / Lu Taglialegna
SNP-3074
SNP-307X 
SNP-307X 
SNP-307X (1965年 SunsetRecords - O.D.P.) Aggio girato Napoli e Piemonte/Andiamo A Mietere Il Grano (小麦刈る季節)
SNP-3077 (1965年 SunsetRecords - O.D.P.) S.NunzioSulprizio (1ª parte)/ S.Nunzio Sulprizio (2ª parte)
SNP-3077
SNP-3084
SNP-3084
SNP-3084 (1965年 SunsetRecords - O.D.P.) 'E Buon Natalepure sta'vota/Lu Mattutino
66年にヴィッラジェに移籍します。或はトニが作った会社かもしれません。この頃になるとイタリアでキャヴァレー(ナイト・クラブ)の先駆的パフォーマー、第一人者としてイタリアばかりか世界的著名な芸能人も彼の出演しているキャヴァレーを訪れるようになりました。
現在の日本でキャヴァレーの存在を理解してもらうのには難しい所があると思いますが、グレードの高いブルーノートやボトムラインのような存在と思っていただければ良いのかもしれません。
(1966年 Village Music - ) Un Esercito Di Viole /Ragazzi andiamo
この年その後サンレモ音楽祭パンフレットの製作にも携わるイタリア最大部数を誇る芸能週刊誌「TVソリージ・エ・カンツォーニ」誌にトニ・サンタガータのフォーク・ソングに関する特集が掲載されました。
67年(ナポリの?)ポリティアマ劇場で行われたナポリの「爆笑王子」トトことアントニオ・デ・クルティス(ANTONIO DE CURTIS)の追悼式典にキャバレー・パフォーマーとしてただ一人ナポリ人以外で参列し、“CarissimoTotò”を歌いました。
MS-1001 (1967年 Village Music- ) Le Nuove Storielle Pugliesi (Quant'è Bello Lu Primm'ammore) (禁じられたストルネロ)/La Zita
MS-1001
同年初のプーリア方言で歌うキャヴァレーを自分で作っています。またカンタジーロ欧州版第2回「カンタエウロパ」に参加、ナポリのバルカ・ドーロ音楽祭で“Carissimo Totò”を歌っています。
(1967年 Village Music - )S.Antonio a lu deserto/Lu ciucciariello de zì Michele
(1967年 Village Music - ) Pugliamia/Sei bella negli occhi
68年RCAイタリアーナから2枚のシングルとアルバム3枚を出します。「Contro La Jettatura」はキャヴァレーで収録した初のライヴ・アルバムでした。
KIT-216 (1968年 Vik - RCAItaliana) 30cmLP La vita di Padre Pio
1.Mia Povera, Cara Sicilia
2.Il Terremoto Di Messina
3.I Sepolti Vivi
4.Le Mani Rapaci
5.I Gioielli Della Regina
6.Lettera Ad Un Emigrato (La Nuova Tragedia)
7.La Storia Di Una Mamma
8.Nozze Di Morte
9.L'Ultimo Abitante Di Salaparuta
10.Dolce, Cara Sicilia
KIT-216
KIT-219
KIT-219
KIT-219 (1968年 Vik - RCAItaliana) 30cmLP Contro La Jettatura
1.Ticcguani Ferro… Facciamo Corna
2.La Giornata Del Menagramo
3.Pizze E Pompe Funebri
4.Tarantella Scacciamalocchio
5.Ciccillo Provolone
6.La Vita Di Un Povero Jellato
7. L'Impiegato Rovinato
8.Riconoscere Il Menagramo
PM-3461 (1968年 RCA Italiana- RCA Italiana) Dolce, Cara, Sicilia/Bella Bambina
トニ・サンタガ-タ2は1994年サンレモ音楽祭の後に続きます
PM-3461
PM-3467
PM-3467
PM-3467 (1968年 RCA Italiana- RCA Italiana) Tocchiamo Ferro..Facciamo Corna/Ciccillo Provolone
この年は私生活でも重要な年でした。ジョヴァンナ・イゾーラ(Giovanna Isola)と結婚し、政治学の学位を取り、後にラジオ・ディレクターとなる息子フランチェスコ・サヴェリオ・モレーゼ(FrancescoSaverio Morese)が生まれました。またTVで45分のリサシタル番組を持ちましたがRAIの検閲対象となりました。しかし、マルチェロ・マルケージ(MarcelloMarchesi )のお蔭で、その後出演するラジオ番組など検閲されなくなり、番組の曲はアルバム“CiccilloProvolone.”となりました。
(1969年 ? - RCA Italiana) 30cmLPCiccillo Provolone
70年、マルチェロ・マルケージとワルター・キアリ(Walter Chiari)、ジーノ・ブラミエリ(GinoBramieri)が作ったTV番組「TI PIACE LA MIA FACCIA?」を元にしたアルバムをリフィから出しました。
RLF・ST-14045 (1970年 Ri Fi – Ri Fi) 30cmLP Toni Santagata, le sue canzoni, il suocabaret
REL・ST-19164 (1973年 Penny – Ri Fi) Tony Santagata – Il Pendolare
1.Lavatoio
2.Lu Frantoio
3.Cavaliere A Sei Corde
4.La Mia Donna
5.La Trincea
6.La Pagnotta
7.Tony Santagata Show (Tony Santagata E Il SuoCabaret)
RLF・ST-14045
REL・ST-19164
REL・ST-19164
今やトニはプーリアのブルース作家として成功を遂げます。72年にナポリのビデリ家が持つエディビから“Alleria”を出しました。
EDB-11083 (1971年 EDB - SaintMartin) Alleria/Il Seminatore
EDB-11083
(1972年 Village Music - ) Incontriamoci A Rimini / Incontriamoci ARimini (versione orchestrale) [ come Antonio Morese]
翌72年にヴィッラジェから本名のアントニオ・モレーゼで“Incontriamoci A Rimini”を出しています。
73年フォニット・チェトラのチェトラと契約します。4枚のシングル盤とアルバム1枚を作りました。第一弾はサンレモ音楽祭出場曲“灰色の街”、結果は参加曲ですが批評家賞を受賞しています。
SP-1508 (1973年Cetra - FonitCetra) Via Garibaldi (灰色の街)/Il Ragazzo Del Sud
SP-1508
トニ・サンタガータの国内盤
GP- 316 (1973年6月 SEVEN SEAS – キング) 30cmLP 失われた愛を求めて/サン・レモ1973 (SAN REMO1973)
4. 灰色の街 (VIA GARIBALDI)
GP- 316