この年の最大の話題は優勝、第二位の曲を歌ったのがペピーノ・ディ・カプリとペピーノ・ガリアルディの二人のペピーノは共にナポリの歌手だった。と言うことであればよかったのですが、またしてもサンレモ音楽祭のお騒がせ男アドリアーノ・チェレンターノが主役になってしまいました。
3月6日、音楽祭の始まる前々夜に運営管理本部のヴィットリオ・サルヴェッティ(VittorioSalvetti)と市会議員ナポレオーネ・カヴァリエーレ(NapoleoneCavaliere)宛てに1通の電報が届きます。発信人は出場歌手のアドリアーノ・チェレンターノからでした。
ウンベルト・バルサモ (POLYDOR) ウェスとドリ・ゲッツィ (DURIUM)
内容は「名も知らぬ歌手達が出場することで有名歌手の多くが出場できない事を思うと胃が痛み、胃炎になって出場できません。」ということでした。直ちに真偽を確認するために電話をしました。本人からの物で出場放棄とし、代替曲の選定をしませんでした。サンレモの「チェレンターノ・エスケープ事件」です。私も顔ぶれを見ると、そう言いたくなる気持ちも理解できなくもありません。
しかし、クラウディオ・ビルラは風邪で寝込んだ時は会場にレコードだけでも流し、ボビー・ソロは声が出なかったためレコードに合わせ「口パク」だけで舞台に立ちました。過去に病欠した歌手はなく、サンレモ音楽祭はそのような厳しい場でした。チェレンターノは舞台から逃げたと思われても仕方がありません。
第23回 1973年3月8日(木)~10日(土) サンレモ市カジノ付属劇場
司会:マイク・ボンジョルノ (Mike Bongiorno)、ガブリエッラ・フェリノン (Gabriella Farinon)
楽団指揮: 16名の指揮者で演奏された。
オーガナイザー:サンレモ観光協会(Comunedi Sanremo)とヴィトリオ・サルヴェッティ(Vittorio Salvetti)、芸術助監督ブルーノ・パルレージ(Bruno Pallesi)
形式:出場曲数30曲を第1夜、第2夜に15曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から16位までの入賞曲を発表する。
[数]は外人歌手数
RICORDI 9[1] (RICORDI4[0]); ARCOBALENO1[0], ; SIF2[1] ; CAR JUKE BOX2[0])
FONIT CETRA 7[1](FONITCETRA 4[1]; CAROSELLO 1[0] ; KING UNIVERSAL1[0] ;DUCALE1[0])
PHONOGRAM 4[0](POLYDOR 2[0] ; PHILIPS1[0] ;SIDET1[0])
CBS SUGAR 4[3](CGD 1[0]; CBS2[0] ; SPLASH1[0])
ARISTON 2[0]
DURIUM 2[0]
SAINT MARTIN 1[0]
さらに悪いことにローザ・バリストレリが大会規定に反し、音楽祭開始以前に出場曲を公に歌ってしまったことが判明しました。彼女の“愛なきふるさと”は失格となります。このことは次回お話ししましょう。結果32曲が30曲の出場曲になってしまいました。直前立ったため、イタリアでのコンピ盤、ルフェーブルの演奏盤はそのままこれらの曲は収録されます。
後のヒット状況は最悪でした。前年は14曲の入賞曲の内ララ・サン・ポールを除く13曲が年間ヒット・ランクに入りましたが、73年は入所曲16曲中7曲しかランク・インせず半減となり、さらに出場棄権したアリドアーノ・チェレンターノの“ただ一つのチャンス”が37位で、優勝曲“失われた愛を求めて”の29位に次ぐ成績でした。これでサンレモ音楽祭の存在意義が問われかねません。
クリスチャン・デ・シ-カ (RICORDI) アレッサンドロ(CBS/CBS SUGAR)
ジルダ・ジュリアーニは新人初参加で5位、年間ヒット・ランク42位の好成績でした。彼女は現在も続いている新人コンテストUna Voce Per Sanremoでアルベルト・フェーリと共に優勝し、出場資格を得ました。RCAイタリアーナが出場辞退したのか、アルベルトは彼一人の出場でまともなプロモートもなく参加曲に終わります。
他の曲の年間ヒット・ランクの状況は第2位の“夢に消えた詩”43位、第3位の“愛遥かに”63位、“愛の果実”88位、“太陽の旗”94位、“美しい君(夢見るあなた)”47位でした。後にフランスで大ヒットしたため注目を浴びたドゥルピの“去り行く君”ですが、イタリアの年間ヒット・ランクでは100位以内には入っていません。
< <入賞曲>
11位 美しい君 (夢見るあなた) Come sei bella (G.Bigazzi -C.Cavallaro) 出版社 APRIL Mus. <1170> イ・カマレオンティ (compl) Camaleonti (CBS – CBS Sugar) 1293(CBS) [45]
1293(CBS)
ECPB- 251
ECPB- 251
12位 若い恋人 Tu giovaneamore mio (D.Pieretti - F.Monachesi - R.Gianco -A.Nicorelli) 出版社 JUBAL <1131>ドナテッロ (vm) Donatello (Ricordi –Dischi Ricordi) SRL-10・690 [45]
SRL-10・690
CI-20347
CI-20347
13位 花開く世界 Il mondo è qui (M.Remigi) 出版社D'ANZI <1111> メモ・レミージ (vm) Memo Remigi (CAROSELLO – FONIT CETRA) CI-20347 [45]
14位 想い出の3分 Tre minuti di ricordi (M.DelPrete - A.Pintus) 出版社 TIBER <1065> アレッサンドロ (vm) Alessandro (CBS – CBS Sugar) 1305(CBS) [45]
1305(CBS)
ARC・NP-2076
ARC・NP-2076
15位 異国の女 Stranierastraniera (F.Chiaravalle - F.Specchia) 出版社TELCAR - LUISIANA <1050>リオネッロ (vm) Lionello (ARCOBALENO – DISCHI RICORDI) ARC・NP-2076 [45]
16位木枯しの家 Una casagrande (A.Lo Vecchio - N.Villa) 出版社 ALFIERE<990 > ララ・サン・ポ-ル (vf) Lara Saint Paul (Polydor – Phonogram) 2060-047 [45]
2060-047
<参加曲>
◆アディオ・アモール Addioamor (G.M.Gallerani -G.Bosisio - M.Nobile) 出版社 USIGNOLO モセダデス (compl=sp) Mocedades(NUVOLA (ZAFIRO,Spain) – FONIT CETRA) IS-20119 [45]
IS-20119
RAR・NP-77586
RAR・NP-77586
◆アンジェリーヌ Angeline (R.Marsella - Daiano) 出版社 COME IL VENTO - FRAGOLA BLU ポップ・トップス (compl=sp) Pop Tops (RARE – SIF) RAR・NP-77586 [45]
◆アニカ・ナ・オ Anika na-o (A.Piccaredda - P.Cochis- P.Cassano) 出版社 DURIUM ジェット (compl) J. E. T. (DURIUM – DURIUM) Ld・A-7796 [45]
Ld・A-7796
SMR-1701
SMR-1701
◆カラ・アミーカ Caraamica (P.Principe - V.Caruso) 出版社 SAINT MARTIN RECORD バッサーノ (vm) Bassano (SAINT MARTIN – SAINTMARTIN RECORD) SMR-1701 [45]
◆消え去った青い空 Doveandrai (D.Mariano)出版社 FRAGOLA BLU カルメン・アマート (vf) Carmen Amato (RARE – SIF) RAR・NP-77587[45]
RAR・NP-77587
次回の参加曲に続きます
2社目に紹介するのはS.I.F.(Società Italiana Fonografica)です。すでに「サンレモ音楽祭 (FESTVALDI SANREMO) 48 1968年」でニーノ・フェレールが出場した時に書いておりますが、イタリアでラーレ・レーベルを使い、73年にイタリア人歌手(カルメン・アマート)を初出場させておりますので、この場に取上げています。

54年フランスのエディ・バークレイ(Eddie Barclay)が興したバークレイ・レコード(BarclayRecords)のイタリア法人で、68年ミラノで設立され、国内販売権はリフィが持ち、翌年からリコルディが販売権を持っています。
当初Flèche、Rare、Riviera、SIFのレーベルを発売しますが、本体のBarclayは69年までRCAイタリアーナ(64年まではSAARが発売)との契約が残っており、70年になって初めてSIFから出ました。リヴィエラは60年代のはじめフランスで新しい音楽の歌手のために創設したレーベルのベル・エアー(BelAir)から生まれ、ラーレは同じく新たなグループ、バンドの音楽のために作られたレーベルでした。
イタリア現地法人のSIFではイタリア系フランス人歌手ニーノ・フェレール(NinoFerrer)やペーター・ホルムにリヴィエラを使い、イタリア人歌手にはラーレを使っています。ただ話はややこしいのですが、イタリアのリヴィエラはバークレイと別契約で65年頃はCGDから、68年SIFから販売されるようになりました。
シングル盤ではCGD時代は接頭記号RIV、リフィ時代SIF・NP、リコルディ時代RIV・NPが使われます。ラーレもリフィ時代SIF・NP、リコルディ時代RAR・NPが使用されました。
本格的イタリア現地法人でのイタリア歌手のレコード制作が進むと、各レーベルトもRAR・NPに統一されていきます。
前回最終的に『最後はCGDに吸収合併された』としておりますが、リコルディに吸収されたという説もあります。いずれも「いつ」と言う事が不明なので、2説あることを書くにとどめます。
カルメン・アマート (SIF/RARE) ポップ・トップス (SIF/RARE)
・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。
・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。
・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。
・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazonMP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。