★ルチオ・ダルラ (vm) Lucio Dalla
1943年3月4日(ボローニャ生、2012年3月1日スイスのモントルー没。自作自演歌手、サックス、クラリネット、キーボード奏者、俳優。近年ではイタリアの発音に近いルーチョ・ダッラの表記が一般的になった。
PL-31424
サンレモ音楽祭出場5回:1966年参加、67年6位、71年第3位、72年8位、2012年5位(ピエルダヴィデ・カローネとルチオ・ダッラ(Pierdavide Carone e Lucio Dalla)として)
所属レコード会社:ARC, RCA Italiana, Pressing,
1978年11月に出したフランチェスコ・デ・グレゴリとデュエットした”Ma Come Fanno I Marinai (なぜ船乗りなんだ) “が年間ヒット・ランクに入り、79年2月新たなアルバム「Lucio Dalla」をだしました。前年出したシングル盤のB面に入っていた“きっとそうなる”を収録、この曲だけはデ・グレゴリ、チェッラマーレ(ロン)との共作をでした。新アルバムはこれを除きルチオ・ダルラの作詞作曲です。
GA12-03・04
PD-71314
PD-71314
PL-31424 (1979年2月 RCA Italiana – RCA Italiana) LucioDalla ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照
GA12-03・04 1992年 Sorrisi E Canzoni TV – BMGRicordi) CD Lucio Dalla
PD-71314 (1987年 RCA Italiana – BMG Ariola) CD LucioDalla
74321-77345・2 (2001年 RCA Italiana– BMG Ricordi) CD Lucio Dalla
12SC-0079・CD 2 (2012年 Arnoldo Mondadori Editore) CDLucio Dalla
PL-31424 (2013年 RCA – Sony Music Italia) LucioDalla
1.L'Ultima Luna
2.Stella Di Mare (ヒトデ)
3.La Signora
4.Milano
5.Anna E Marco (アンナとマルコ)
6.Tango
7.Cosa Sarà (きっとそうなる) [LucioDalla, Francesco De Gregori]
8.Notte
9.L'Anno Che Verrà (来る年)
PL-31424 74321-77345・2 12SC-0079・CD 2
このアルバム「ルチオ・ダッラ」は100万枚売れて79年年間ベスト・アルバム1位になり、ルーチョ・ダッラはイタリアを代表する歌手、カンタウトゥーリとなりました。
そして2枚目の編集ベスト盤が作られます。編成は最初の盤がシングル盤とヒット曲を、今回は73年から77年に出されたアルバム5枚から2曲づつ選ばれて収録されました。
NL-33140
CD-74368
CD-74368
NL-33140(1979年LineaTre - RCA Italiana) Quel fenomeno di LucioDalla
CD-74368(1990年LineaTre - BMG Ariola) CD Quel fenomeno di LucioDalla
CD-74368(1994年LineaTre - BMG Ariola) CD Quel fenomeno di LucioDalla
74321-51558・2 (1997年LineaTre – BMG Ricordi) CD Quelfenomeno di Lucio Dalla
74321-51558・2 (2006年RCA- Sony BMG) CD Gold Italia collection - Lucio Dalla [743215155829]
1.Come È Profondo Il Mare (77/ Come È Profondo Il Mare)
2.L'Ingorgo (76/ Automobili)
3.L'Operaio Gerolamo (73/ Il giorno aveva cinque teste)
4.Il Coyote (73/ Il giorno aveva cinque teste)
5.Anidride Solforosa (75/Anidride Solforosa)
6.La Borsa Valori (75/Anidride Solforosa)
7.Due Ragazzi (76/ Automobili)
8.Disperato Erotico Stomp (77/ Come È Profondo Il Mare)

CD-74368 74321-51558・2
ルチオ・ダッラとフランチェスコ・デ・グレゴリは79年夏イタリア各地をコンサート・ツアーで回りました。7月ローマのフラミリオ・スタジアムで4万人を集めたこの「Banana Republic」の実況録音をライヴ盤として9月に出します。このLPは50万枚売れ、年間ベスト・アルバム2位の大ベスト・セラーになりました。ダルラとデ・グレゴリは30年後2010年また二人は大規模なコンサートを開き、二人のコンサートはそれが最後となります。
この時バックバンドを務めたのがガエターノ・クッレリ(Gaetano Curreri)、マルコ・ナンニ(Marco Nanni)、ジョヴァンニ・ペッツォーリ(Giovanni Pezzoli)、リッキー・ポルテラ(RickyPortera)の4人で、これを機にバンドを結成し、コンサートの地フラミリオ・スタジアムからバンド名をスタディオ(Stadio)とします。バンドは84年にサンレモ音楽祭デビュー、2016年遂にサンレモ優勝歌手となりました。
PL-31466 (1979年9月 RCA Italiana– RCA Italiana) Lucio Dalla / Francesco De Gregori - Banana Republic
PD-74839(1990年 RCA Italiana – BMG Ariola) Lucio Dalla / FrancescoDe Gregori - Banana Republic
12SC-0086・CD 9 (2012年 Arnoldo Mondadori Editore) CDLucio Dalla / Francesco De Gregori - Banana Republic
1.Banana Republic
2.Un Gelato Al Limon
3.La Canzone Di Orlando
4.Bufalo Bill
5.Piazza Grande (グランデ広場)
6.4/3/1943 (みなし児(1943年3月4日))
7.Santa Lucia (サンタ・ルチア)
8.Quattro Cani
9a.Addio A Napoli (さらばナポリ) (in medley)
9b.Ma Come Fanno I Marinai (なぜ船乗りなんだ) (inmedley)
PL-31466 PD-74839 12SC-0086・CD9
80年9月アルバム「Dalla」が発売され60万枚売れて、80年年間ベスト・アルバム第1位となります。2012年に亡くなるまで、年間ベスト・アルバムに名前を残すイタリアを代表する歌手として活動を続けました。
PL-31537 74321-45071・2 74321-76383・2
PL-31537 (1980年9月 RCA Italiana– RCA Italiana) Dalla
74321-45071・2 (1996年 RCA Italiana – BMG Ricordi) CDDalla
74321-76383・2 (2001年 I Dischi D'Oro – Sony MusicItalia) CD Dalla
BME-23 (2001年 'E Musica – Gruppo Editoriale L'Espresso) CD Dalla
12SC-0084・CD 7 (2012年 Arnoldo Mondadori Editore) CD Dalla
88875045841(2015年 RCA – Sony Music Italia) CD Dalla [88875045841]
1.Balla Balla Ballerino (バラ・バラ・バレリーノ)
2.Il Parco Della Luna
3.La Sera Dei Miracoli
4.Mambo
5.Meri Luis
6.Cara (カーラ)
7.Siamo Dei
8.Futura (未来)
BME-23 12SC-0084・CD 7 88875045841
ルチオ・ダルラの国内盤
PHCA- 171 (1995年7月26日 PHILIPS - マーキュリー・ミュージック・エンタテインメント)CD エリザ (ELISA)
9.カルーソー (CARUSO) ルチオ・ダルラと ルチアーノ・パヴァロッティ(LUCIO DALLA (vm) e LUCIANO PAVAROTTI(tr))
PHCA- 171
UCCL-1019
UCCL-1019
UCCL-1019(2001年9月21日 DECCA- ユニバーサル・ミュージック) CD シネマ・イタリアーノ (CIMETAITALIANO)
10.不幸な女 (MALAFEMMENA)
BVCM-37355(2002年9月4日 RCA -BMGファンハウス) CD ベスト・オブ・イタリアン・ポップス (THEBEST OF ITALIAN POPS)
20.カルーソー (CARUSO)
BVCM-37355
BVCM-38088~9
BVCM-38088~9
BVCM-38088~9 (2006年3月22日 BGM - BMGジャパン) CD 愛のカンツォーネ50(CNZONE 50)
2-23.カルーソー (CARUSO)
ご参考
フランチェスコ・デ・グレゴリは80年にジャンニ・モランディが歌ったサンレモ入賞曲“マリウ(Mariù)”をロザリーノ・チェッラマーレ(ロン)と共作していますが、現時点(2016年)で歌手としてサンレモ音楽祭に出場していません。何れ「サンレモに出なかった歌手たち」で書く予定ですが、ここで少し紹介しておきましょう。
☆フランチェスコ・デ・グレゴリ (vm) Francesco DeGregori
1951年4月4日ローマ生、自作自演歌手。イタリアでも有数のボブ・ディラン・フォロワーで、社会問題への洞察力ある歌詞を歌いますが、デ・グレゴリ自身は詩人やカンタウトゥーリでなく単に『アーティスト』として認知されることを望みます。
82876-88349・2
1966年兄ルイジとフィレンツェ洪水支援のボランティアに行った時、アメリカン・フォークソング(プロテクト・ソング)に触れ、ギターを弾き歌うようになりました。
ローマに戻ってから、60年にローマに出来たフォーク・クラブの『フォークストゥディオ(Folkstudio) 』で歌い始めます。このクラブは62年、まだ無名のボブ・ディランがイタリアで初めてライヴを行った所で、当時15人ほどの若者しか聞いていなかったとのことです。
ここでアントニオ・ヴェンディッティやジョルジョ・ロ・カショ( Giorgio Lo Cascio)と知合い、短期間ですがフランチェスコ&ジョルジョというデュオを組み、ボブ・ディランやレナード・コーエン(LeonardCohen)の曲を歌っていました。
71年二人はヴィンチェンツォ・ミコッチのITのオーディションを受け合格。その後ハンガリーのTV出演予定でしたが手違いとトラブルでこのデュエットは解散し、新たにアントニオ・ヴェンディッティと組み、セオリアス・キャンパス(TheoriusCampus)としてレコード・デビューします。
翌72年二人ともITからソロ・デビュー、73年デ・グレゴリは“アリス(Alice)”を出しました。この曲が年間ヒット・ランク90位になり成功します。これにより才能アリとされ、親会社RCAイタリアーナの契約に切替わります。
74年ルチオ・ダッラのボローニャ・コンサートにヴェンディッティと共に参加しす。
75年に出した“リンメルRimmel)”は75年同74位でしたが、アルバム「リンメル」が75年年間ベスト・アルバム2位の大ベスト・セラーでした。
78年“Generale”が年間ヒット・ランク17位、アルバム「DeGregori」が年間ベスト・アルバム6位で今やルチオ・ダルラを凌ぐ人気歌手となります。こういう状況の下でコンサート「BananaRepublic」が開催されました。
日本では未知の歌手ですが、ジリオラ・チンクェッティの93年日本ツアーで歌われた“輝く女(ひと)”やヴァノーニのCD「愛を歌う.../オルネラ・ヴァノ-ニ」で紹介された“LADONNA CANNONE”をお聞きになった方もあるはずです。
K32Y- 2093 (1987年7月21日 SEVEN SEAS - キング) CD愛を歌う.../オルネラ・ヴァノ-ニ(ORNELLA E...)
ルチオ・ダルラ 5は次回に続きます
8.輝く女(ひと) (LA DONNACANNONE)
K32Y- 2093
KICP- 352〜3
KICP- 352〜3
KICP- 352〜3 (1993年11月3日 SEVEN SEAS - キング) 2CD 愛は限りなく~ジリオラ・チンクェッティ・ライブ・イン東京'93 (DIO COME TI AMO~GIGLIOLA CINQUETTI LIVEIN TOKYO '93)
1-9.輝く女(ひと) (LA DONNA CANNONE)
そんなデ・グレゴリの国内盤は望めないと思っていましたが、たった1曲だけ出ていました。ボブ・ディランの映画「ボブ・ディランの頭のなか」のサントラ盤でした。
SICP- 430 (2003年8月27日 SONY MUSIC - ソニー・ミュージック)CD ボブ・ディラン/マスクト・アンド・アノニマス (MASKED AND ANONYMOUS)
10.彼女にあったら、よろしくと [伊] (NON DIRLE CHE NON E'COSI' (IF YOU SEE HER, SAY HELLO [I]))
SICP- 430
フランチェスコ・デ・グレゴリはまたの機会に掲載します。