★ジャンニ ・ ナザーロ (vm) Gianni Nazzaro
本名ジョヴァンニ・ ナッザーロ(GiovanniNazzaro)、1948 年 10 月 27 日ナポリ生歌手、俳優。

所属レコード会社:Kappaò, Fans, Compagnia Generale delDisco, CBS, F1 Team, Dischi Ricordi, Ros Record, PDD / Edit Music Italy
サンレモ音楽祭6回出場:1970年11位、71年7位、72年5位、74年12位、83年21位、94年19位
詳しい生立ちは判りませんが、ナポリの声帯模写(モノマネ)芸人を父に持ち、6才の時には父と一緒に舞台に立ち、2年間オーストラリアにも出稼ぎツアーをしています。
16才の時に イタリアで最古のレコード会社ナポリの老舗フォノタイプ(Phonotype)のカッパ・オー(Kappa-O)からバディー(Buddy)の芸名でレコード・デビューしました。
今回調べると、ジャンニ・ナザーロのウィキペディアにあるディスコグラフィー以外にもカッパ・オー時代のレコードを見つけ、デビューが何時で、どの曲であったかの確証は取れませんでした。
ES-20056

ES-20056 (1965年 Kappaò –Phonotype) Ti Senti Sola (今夜はひとりかい? AREYOU LONESOME TONIGHT)/SI FA SERA (夕陽の砂浜)
A面はミケーレやリトル・トニー(元曲がエルヴィス・プレスリー)、B面はジャンニ・モランディが1966年年間ヒット・ランク6位のメガ・ヒットにした曲。
A面フランコ・トッツィ65年夏のディスク2位、年間ヒット・ランク30位の大ヒット曲、B面はジャンニモランディ。
ES-20060 (1965年 Kappaò – Phonotype) I tuoi occhi verdi (緑の瞳)/I ragazzidello shake (若さを踊ろう)
A面当時アドリアーノ・チェレンターノの彼女だったミレーナ・カントゥ(MILENA CANTU')を覆面歌手“クランの娘”として売出すキャンペーン・ソングを子分のイ・リベルリが歌いました、国内未発売。B面アダモの日本でもヒットした曲、イタリアでは65年年間ヒット・ランク5位のメガ・ヒット。
ES-20065 (1965年 Kappaò – Phonotype) CHI SARA' LA RAGAZZA DEL CLAN (クランの娘は誰でしょう?)/LA NOTTE (La Nuit夜のメロディー)
ES-20065
ES-20069


ES-20069 (1965年 Kappaò –Phonotype) Non Voglio Nascondermi (Car Je Veuxかくさないで-アダモ)/Ogni Mattina (毎晩 - リトル・トニー)(Buddy)
A面アダモで65年年間ヒット・ランク64位のヒット曲、B面リト・ルトニー国内未発売曲、同26位の大ヒット。
A面イタリア系米人歌手テディ・ランダッッツォの曲をトニー・デル・モナコが66年ヒット・ランク27位の大ヒットさせた。B面アダモの曲、同4位のメガ・ヒット。
ES-20071 (1966年 Kappaò –Phonotype) Vita mia (ぼくの生命ONE MORE CHANCE ワン・モア・チャンス)/Lei(彼女ELLE)
ES-20071
ES-20081


ES-20081 (1966年 Kappaò –Phonotype) La Fisarmonica (夜のアコーディオン)/Mi Vedrai Tornare (僕は必ず帰ってくる)
両面ジャンニ・モランディ、A面は66年ヒット・ランク2位のメガ・ヒット曲、1位はフランク・シナトラの“夜のストレンジャー”で、66年イタリア人歌手トップになった曲。B面はこの“夜のアコーディオン”をテーマ曲とした映画と同名の曲ですが国内未発売映画曲。
A面エルベ・ヴィラール“愛してあげて”をリトル・トニーが66年ヒット・ランク3位のメガ・ヒットにした曲、B面はマカロニ・ウェスタンのテーマ“帰って来たガンマン(HOMETO MY LOVE)”で日本でも知られているジーノが元曲。
ES-20082 (1966年 Kappaò –Phonotype) Riderà (明日を信じてFAIS LA RIRE)/ Io Non T'Amo Più (勝手に希望(きぼ)れ)
ES-20082
ES-20087


ES-20087 (1966年 Kappaò –Phonotype) Operazione sole (- Peppino Di Capri)/Se tu vuoi (君がのぞむなら)
A面はナザーロの大先輩ペピーノ・ディ・カプリが66年夏のディスクで歌った曲、B面は66年夏のディスクでクラウディオ・リッピ(Claudio Lippi)が歌った曲。
両面ジャンニ・モランディで国内盤でも聞ける曲、A面は66年ヒット・ランク7位のメガ・ヒット。
ES-20092 (1966年 Kappaò –Phonotype) Notte Di Ferragosto (8月15日の夜)/Povera Piccola (かわいそうな娘)
ES-20093 (1966年 Kappaò –Phonotype) Amo (君を愛す)/Ho in mente te(恋がいっぱい YOU WERE ONMY MIND)
A面はアダモの66年年間ヒット・ランク17位の大ヒット、日本でもヒットした曲、B面はアメリカのウィー・ファイヴ、イギリスのクリスピアン・セント・ピータース等がヒットさせた“恋がいっぱい”をエキペ84が66年カンタジーロ・ジローネCで歌い、優勝、年間ヒット・ランク17位の大ヒットにした曲。
A面はイ・ジガンティが66年年間ヒット・ランク23位の大ヒットにさせた曲、元曲は英国のミッチ・マレー(Mitch Murray)の“DOWN CAME THERAIN”で79年にミーナもカヴァー。B面はママス&パパス(Mama's & Papa's)の“夢のカリフォルニア”、ナザーロはイタリアで年間ヒット・ランク16位の大ヒットをさせたディク・ディクのカヴァーです。
ES-20096 (1966年11月 Kappaò – Phonotype) UNA RAGAZZA IN DUE (二人の少女)/SOGNANDO LA CALIFORNIA (夢のカリフォルニア CALIFORNIA DREAMIN')
ES-20096
ES-20098


ES-20098 (1966年 Kappaò –Phonotype) Solo più che mai (夜のストレンジャーSTRANGER IN THENIGHT) /C'era un ragazzo che come me amava i Beatles e i Rolling Stones (撲のようにビ-トルズとロ-リングスト-ンズが好きな少年がいた)
A面は66年年間ヒット・ランクでナンバー・ワン・ヒットとなったフランク・シナトラの“夜のストレンジャー”、B面は同42位ジャンニ・モランディの国内盤未発売曲。
A面はブラジルの曲“Trem Das Onze”をリカルド・デル・トゥルコがイタリア語の詞を付け“一人息子”として歌い、66年年間ヒット・ランク66位のヒットとした曲、B面はリトル・トニーが尊敬するエルヴィス・プレスリーの“グッド・ラック・チャーム”をイタリア語カ版として同77位のヒットにした曲。
ES-20100 (1966年11月 Kappaò – Phonotype) Figlio Unico (一人息子TremDas Onze)/ PERDONALA (グッド・ラック・チャームGOOD LUCK CHARM)
ES-20100
ES-20101 ((1967年 Kappaò – Phonotype) Bisognasaper perdere (君を失う時 –)/Dove credi di andare (孤独な青春)
両面67年サンレモ音楽祭の曲、A面ルチオ・ダルラとロークスの6位入賞曲、ロークスの方が年間ヒット・ランク32位になっています。B面はセルジョ・エンドリゴとメモ・レミージの7位入賞曲。
両面67年サンレモ音楽祭の曲、A面リトル・トニーとマリオ・ゼリノッティの10位入賞曲、リトル・トニーは67年年間ヒット・ランク3位のメガ・ヒットとなりました。B面はピノ・ドナッジォとカルメン・ヴィラーニの11位入賞曲。
ES-20102 (1967年Kappaò –Phonotype) Cuore Matto (狂ったハート)/ Io, Per Amore (この愛に生きて)
ES-20102
ES-20103


ES-20103 (1967年Kappaò –Phonotype) Pietre (ピエ-トレ)/E allora dai (アロ-ラ・ダイ)
両面67年サンレモ音楽祭の曲、A面ジャン・ピエレッティとアントワーヌの8位入賞曲、アントワーヌは67年年間ヒット・ランク13位のメガ・ヒットとなりました。B面はジョルジョ・ガーベルとレモ・ジェルマーニの13位入賞曲、ジョルジョ・ガーベルは同78位になりました。
両面67年サンレモ音楽祭のカヴァー曲、A面ドン・バッキーとジョニー・ドレルリの9位入賞曲、ジョニー・ドレルリは67年年間ヒット・ランク11位のメガ・ヒット、ドン・バッキーは同51位の二人ともランク・イン。B面はトニー・デル・モナコとベティー・クルティスの参加曲、日本では好評でした。
ES-20105 (1967年Kappaò –Phonotype) L'immensità (涙に咲く花)/È più forte di me (強く愛して)
ジャンニ・ ナザーロの国内盤
HIT-1734 (1970年4月1日 SEVEN SEAS – キング) 恋は鳩のように(L'AMORE E' UNA COLOMBA)/空中の城 (CASTELLI IN ARIA)
HIT-1734
GW- 73〜4


GW- 73〜4 (1970年4月10日 SEVENSEAS – キング) 30cm 2LP第20回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1970)
2-8.恋は鳩のように (L'AMOREE' UNA COLOMBA)
DY-4505-3 (1970年4月 SEVEN SEAS – キング)30cmLP第20回サンレモ音楽祭=万国博来日記念盤= (FESTIVAL DI SAN REMO 1970 DIGEST)
8.恋は鳩のように(L'AMORE E' UNA COLOMBA)
DY-4505-3
HIT-1770


HIT-1770 (1970年7月1日 SEVEN SEAS – キング) 傷あと [日] (KIZUATO[J])/恋は鳩のように [日] (L'AMORE E' UNA COLOMBA [J])
ジャンニ・ナザーロ2は次回に続きます。