ミケーレ (vm) Michele
本名ジャンフランコ・ミケーレ・マイサーノ(Gianfranco MicheleMaisano 19446 29日ミラノ西の郊外にある小都市ヴィジェーヴァノ(Vigevano)生、歌手。
 
イメージ 1
 
 彼は母親は連日のジェノヴァにされる爆撃を避けるため、数日母の祖父母の家に疎開している間に生まれました。ミケーレが間違いなく母から受継いだ芸術的なD...、有望な声は子供の頃からその片りんを見せ始めました。
 子供の頃ミケーレはジェノバの北、内陸部海抜800mにあるリグーリア州の山村ミンチェト(Minceto)で夏休みを過ごします。そこで沢山のジェノヴァの民俗音楽と歌を農民の家族から教わりました。
 1957年、まだ両親と暮らす少年でしたが偶然にもミケーレはヴィルゴ・ポテンス劇場の歌手としてデビューし、上手なロック・ン・ロールのアクロバット・ダンサーとなっていました。
 ロック・ン・ロールの様々なバンドを経験した後、ジェノヴァのサンピエルダレーナ地区にあるザンティ楽団に雇われました。日中はジェノヴァ海事学校の生徒をしながら歌う生活を送っています。そしてアザレアからシングル・デビューしました。
 
NR-067 (1958Azalea – DischiAzallea) Sono dannato/Flirt
NR-067イメージ 2 SAS-1002イメージ 3
SAS-1002 (1962Assolo -Karim) Ma se tu vorrai/Piango
 
 数年後62年、ミケーレはスカウトのレンゾ・レンツィのおかげでレベルベリ兄弟と顔見知りとなり、ファブリツィオ・デ・アンドレの父が設立に加わったカリム(Karim)のサブ・レーベル、アッソロから2枚目のシングルを出しました。
 
 同年RCAイタリアーナに変わってきたばかりのニンナ・リコルディに紹介され移籍が成立、翌63年エツィオ・ラダエリが始めて2年目のカンタジーロのジローネBに“恋の恨み”で出場することが出来ました。その後歌手となって大成したのは2位になったイザベラ・ヤンネッティ(Isabella Iannetti)くらいで、強敵がなく幸運でにも優勝してしまいます。この曲は63年年間ヒット・ランク4位のメガ・ヒットになり一躍アイドル・スターに祭り上げられます。
 
PM45-3215 (19636 RCA Italiana - RCA Italiana) Se mi vuoi lasciare (恋の恨み)/Cosa vuoi da me
PM45-3215イメージ 4 PML-10377イメージ 5
PML-10377 (1963 RCAItaliana - RCA Italiana) 30cmLP Michele
.SeMi Vuoi Lasciare (恋の恨み)
.No,Non E' Vero
.Piango
.MaSe Tu Vorrai
.SeiConvinta
.MaNeanche Per Idea
.Ridi(いとしのリディー)
.Un'Ora
.SeProprio Vuoi Saperlo
10.Si, Lo So
11.Nessuno Potrà (二人の幸福)
12.Cosa Vuoi Da Me
 
 メジャー・デビュー1曲目でメガ・ヒットを出し、すぐさま異例のアルバムを作り、その中からシングル盤を出していきます。多忙な日々が続き、海事学校の卒業練習航海に参加できなくなりました。
 
 2枚目のシングルは“いとしのリディー”で、アメリカのロバート・ナイト(Robert Knight)の“FREE ME”のカヴァーでした。その頃、RCAイタリアーナの歌手だけが出演する日本での「イタリヤ・カンツォーネ・フェスティバル」のメンバーの選定があり、有望新人歌手としてミケーレも日本行が決まりました。彼の“いとしのリディー”は年間ヒット・ランク34位の大ヒット、日本デビュー曲となりました。
 
PM45-3227 (1964 RCAItaliana - RCA Italiana) Ridi (いとしのリディー)/Ma neanche peridea
PM45-3227イメージ 6 PM45-3278イメージ 7
PM45-3278 (1964 RCAItaliana - RCA Italiana) Ti ringrazio perché (きみに感謝を...)/Vado da lei (彼女の家へ)
 
 来日した時、イタリアでは誰からも声をかけられたのに、日本では誰も彼のことを見向きもしないのに戸惑ったそうです。64年最後のシングルは“きみに感謝を...”、カンタジーロのジローネA(スター部門)で2位となった曲です。年間ヒット・ランク14位のメガ・ヒット、日本でもシングル盤が発売されました。
 
 3年連続出場のカンタジーロ出場の曲“恋の日々の後に”で順位は少し落とし6位、年間ヒット・ランク87位の曲。イタリアでのエルヴィス・プレスリーの信奉者は多く、良く知られているのはリトル・トニーやボビー・ソロで、ミケーレもその一人です。念願のプレスリーの“今夜はひとりかい?”をB面でカヴァーしました。
 
PM45-3321 (1965 RCAItaliana - RCA Italiana) Dopo i giorni dell'amore (恋の日々の後に)/Ti senti sola stasera (今夜はひとりかい? ARE YOU LONESOME)
PM45-3321イメージ 8 PM45-3345イメージ 9
PM45-3345 (1966 RCAItaliana - RCA Italiana) )/ È stato facile (簡単だ)/ Quandosei con me (センチメンタル・ミー SENTIMENTAL ME)
 
 66年最初のシングル盤はカンタジーロの曲“簡単だ”でジャンニ・モランディ、リトル・トニーに次いで第3位、年間ヒット・ランク56位になります。B面はプレスリーのカヴァーです。カンタジーロでは常連になりましたが、サンレモ音楽祭には縁がありません。65年はRCAイタリアーナが出場辞退、66年はエドアルド・ヴィアネッロのみの出場と言う出場機会がなく不運でした。
 
 66年2枚目はレイ・ピーターソン(Ray Peterson)の“ロ-ラに好きだと云ってくれ”のカヴァーです。67年年間ヒット・ランク54位のヒットになりましたが、この頃になるとヒットする曲が減っています。
 
PM45-3382 (1966 RCA Italiana - RCA Italiana) Dite a Laura che l'amo (ラに好きだと云ってくれTELL LAURA I LOVE HER)/Quando parlo di te
PM45-3382イメージ 10 JBPM45-3376イメージ 11
PM45-3376 (1966 RCAItaliana - RCA Italiana) OK/Sei mia
 
 この“OK”はジャケット画像のようにJB(ジューク・ボックス専用)盤しか見つからず、一般市販盤は売れなかったのでしょうか?
 
 RCAイタリアーナで2枚目のアルバムを出します。“きみに感謝を...”以降の曲を集めています。映画「もしもお許し願えれば・・・」の“Parliamodi donne”も収録されています。国内盤は演奏物しか出ていません。ところでこのジャケットをご覧になって見たことがあるはずです。マカロニ・ウェスタン「夕陽の用心棒(UNAPISTOLA PER RINGO)」の“流れ者のギター(ANGEL FACE)”シングル盤ジャケットに流用されました。
 
PML-10403 (1966 RCAItaliana - RCA Italiana) 30cmLP Se sei sola
.Tisenti sola stasera (今夜はひとりかい? ARE YOU LONESOME TONIGHT -Elvis Presley, Charles Hart)
.Scordatidi me
.Quandosei con me (センチメンタル・ミー SENTIMENTAL ME - Ames Brothers,Elvis Presley)
.Parliamodi donne (もしもお許し願えれば女について話しましょう)
.Vadoda lei (彼女の家へ)
.E'stato facile (簡単だ)
.DopoI giorni dell'amore (恋の日々の後に)
.Seimia
.Oggiè triste il cielo
10.Ti ringrazio perchè (きみに感謝を...)
11.OK
12.Senza me
PML-10403イメージ 12 PM45-3421イメージ 13 
PM45-3421 (1967 RCA Italiana - RCAItaliana) Viva le donne come te/La voglia di vivere
 
 67年になると発売は“Viva le donne come te”1枚のみとなります。
 
 68年トム・ジョーンズの“家路”をカヴァーしました。
 
PM45-3449 (1968 RCAItaliana - RCA Italiana) Che male c'è/Io tornerò (家路 I'M COMINGHOME)
PM45-3449イメージ 14 PM-3474イメージ 15
PM-3474 (1968 RCA Italiana- RCA Italiana) Giovanna non piangere/L'aeroplano (? - Chanters)
 
B面“L'aeroplano”はチャンターズ (Chanters)のカヴァー曲だとしか判っていません。
 
RCAイタリアーナは69年に大改革をします。ベテラン歌手に企業内子会社を興させたり、サブ・レーベルに転籍させます。ミケーレはRCAイタリアーナを離れリフィ(RiFi)への移籍を選びます。
 

※現在“いとしのリディー”の国内シングル盤がヤフオクに出品中
 
 
 
ミケーレ (vm)の国内盤
SHP-5337 (19648VICTOR – 日本ビクター) 30cmLP太陽!    (FESTIVAL IN CASA)
. リディ (RIDE)
SHP-5337イメージ 16  SS-1470イメージ 17
SS-1470 (19649VICTOR 日本ビクター) いとしのリディー (RIDE)恋の恨み (SE MIVUOI LASCIARE)
 
SHP-5376 (196410 VICTOR – 日本ビクター) 30cmLP イタリアン・カンツォーネ・フェスティバル (ITALIAN CANZONEFESTIVAL)

.いとしのリディー (RIDE)
SHP-5376イメージ 18 
SS-1494イメージ 19

SS-1494 (196412 VICTOR – 日本ビクター) きみに感謝を...  (TI RINGRAZIO PERCHE')/彼女の家へ (VADO DA LEI)
 
SS-1504 (19652 VICTOR – 日本ビクター) もしもお許し願えれば女について話しましょう (SE PERMETTETEPARLIAMO DI DONNE)/二人の幸福 (NESSUNO POTRA') カテリーネ・バルボーニ楽団 (orch)/ミケーレ (vm)
               SS-1504イメージ 20


 
(ご参考)
SS-1685 (19668 VICTOR – 日本ビクター) 流れ者のギター(UNA POSTOLA PERRINGO/ ANGEL FACE) エンニオ・モリコ-ネ楽団/マウリツィオ・グラフ (MAURIZIO GRAF)
               SS-1685イメージ 21
 
 
ミケーレ2は1972年サンレモ音楽祭の後に続きます。