★イ・ディク・ディク (compl) I Dik Dik
ミラノで結成されたポップ・ロック・ビート・グループ。
SRL-10・499
オリジナル・メンバー
・エミリオ・“ペペ”・サルヴァドーリ (Erminio “Pepe”Salvadori) ギター、キーボード、ヴォーカル 在籍65年〜現在、 1940年3月19日ミラノ生。
・ピエトロ・“ピエトゥルッチョ”・モンタルベッティ (Pietro“Pietruccio” Montalbetti) ギター、キーボード、ヴォーカル 在籍65年〜現在、 1941年4月16日ミラノ生。
・ジャンカルロ・ズブリツィオーロ “ラッロ”(Giancarlo Sbriziolo “Lallo” ) ギター、ベース、ヴォーカル 在籍65年〜78年、82年〜現在、1939年11月5日ミラノ生。
・セルジョ・パンノ (Sergio Panno) ドラムス 65〜74年、1944年6月1日キァヴェンナ(ソンドリオ)生
・マリオ・トダーロ (Mario Todaro) キーボード65〜74年、1945年6月2日ミラノ生
途中交代メンバー
・ロベルト・カルロット“フンカ・ムンカ”(Roberto Carlotto“Hunka Munka”) キーボード 在籍 74〜77年。元フンカ・ムンカ(Gli Hunka Munka)
・ジョー・ヴェスコーヴィ (Joe Vescovi) キーボード 在籍78〜80年、88〜90年、2007年、1949年サヴォーナ(Savona)生-2014年没。元アクァ・フラジーレ
・ヌンツィオ・ファヴィア “クッチョーロ” (Nunzio Favia “Cucciolo”) ドラムス在籍 74〜82年 1953年4月18日バリ生。元オセイジ・トライブ(Osage Tribe)、トリップ(The Trip)、フンカ・ムンカ(Gli Hunka Munka)
・ダンテ・ロベルト・ファチーニ“ロビー” (Dante Roberto Facini “Roby”) ヴォーカル、ギター 在籍77〜82年
・ロザリーノ・ブランカーティ (Rosario Brancati) ギター、ヴォーカル 在籍78〜82年
ピエトゥルッチョ(Pietro Montalbetti)とラッロ(Giancarlo Sbriziolo)は近所の幼馴染で、ミラノの同じ小学校でした。その後ペペ(Erminio Salvadori)と知合い三人は友達でした。芸術家の子でない彼らは音楽を始め、お互いの友情を育みました。
最初ドリマーズ(Dreamers)、次にスクァッリ(Gli Squali)というバンドを作り、地元学生のパーティーや催事に出て、メジャーなバンドに負けない活動をしました。彼らは外国のロック・ン・ロールのレコードを聞き、一生懸命コピーをして腕を上げます。
遠くに飛び跳ねるディク・ディク(アフリカのガゼル)をバンド名にしました。彼らは万全の態勢で1965年2月、リコルディのオーディションに臨みました。彼らに曲を提供するルチオ・バッティスティ(ルーチョ・バティスティ)も受けに来ていました。
正式デビュー前、サンレモ音楽祭のコンピ盤でカヴァー曲を歌う仕事をします。ディク・ディクはルチオ・ダルラの“パッフ・ブム(Paff... Bum)、ルチオ・バッティスティはセルジョ・エンドリゴの“去り行く今(Adesso Si')”を歌っています。
66年1月シングル・デビューします。マイナーでデビューし、メジャーに認められるのですが、彼らは即メジャー・デビューだったようです。(黎明前の盤は未発見)。A面はレン・バリー(LenBarry)の“1-2-3”のイタリア語カヴァー、B面はルチオ・バッティスティの作った曲“Se rimani con me”でした。まあまあのデビューだったようです。
SRL-10・390(1966:年1月Ricordi - Ricordi) 1-2-3 (1-2-3) /Se rimani con
SRL-10・390
SRL-10・425 
SRL-10・425 
SRL-10・425 (1966:年4月Ricordi - Ricordi) Sognando LaCalifornia (California Dreamin' 夢のカリフォルニア)/Dolce Di Giorno
2枚目が彼らの運命を決定づける曲となります。アメリカのフォーク・ロック・グループ、ママス&パパス(Mama's & Papa's)の“夢のカリフォルニア”のカヴァーでした。年間ヒット・ランク16位のメガヒットになり、一挙に彼らの名前が知れ渡ります。B面はバッティスティの曲です。
後にライバルとなるロークス(The Rokes)は同9位、11位、97位、エキペ84(Equipe84)も5位、17位、19位共に3曲。ジガンティ(I Giganti)は12位、23位、コルヴィ(ICorvi)が50位、87位、ノマーティ(I Nomadi)72位、92位が2曲づつ。イギリス勢のビートルズが7曲、ローリング・ストーンズが5曲送込んでいたのですから、どういう状況かご想像いただけると思います。
67年1枚目はカンタジーロの出場曲で前年から設けられたカテゴリーのジローネC(グループ)に“世界は二人と共に”で出場し、5位入賞、年間ランク55位です。この曲もママス&パパス“アイ・ソー・ハー・アゲイン”、B面は米フォーク歌手ティム・ハーディン(Tim Hardin)の“この小さな願い”のカヴァーでした。
SRL-10・444 (1967年4月Ricordi - Ricordi) Il mondo è con noi (世界は二人と共にI SAW HER AGAIN アイ・ソー・ハー・アゲイン)/SeIo Fossi Un Falegname (If I Were a Carpenterこの小さな願い)
SRL-10・444
SRL-10・464
SRL-10・464
SRL-10・464(1967年8月Ricordi - Ricordi) Senza Luce( A Whiter Shade Of Pale 青い影) Procol Harum) /Guardo te evedo mio figlio
次がプロコール・ハルムの“青い影”のカヴァー、年間ヒット・ランク20位の大ヒットで、競合したはファウスト・レアーリ(Fausto Leali)は同84位でした。この曲も彼らの代表曲となります。B面はバッティスティとモゴールの曲。
最後3枚目、A面が英フラワーポット・メン(Flowerpot Men)の“花咲くサンフランシスコ”、B面が米アソシエーション(Association)の“ウィンディ”で同系統のカヴァーが続くと飽きられたのか、佳作ですが年間ランクにはいりません。
SRL-10・484 (1967年12月Ricordi - Ricordi) Inno (Let’s Go ToSan Francisco花咲くサンフランシスコ) / Windy (ウィンディ)
SRL-10・484
MRP-9035
MRP-9035
MRP-9035 (1967年12月Ricordi - Ricordi) Dik Dik
1.Senza Luce ( AWhiter Shade Of Pale 青い影)
2.Guardo Te e VedoMio Figlio
3.Se Io Fossi UnFalegname (If I Were a Carpenterこの小さな願い)
4.Windy (ウィンディ)
5.Cado GiÙ (My World Fell Down - Ivy League)
6.Serenella (セネレッラ- [BobbySolo])
7.Sognando La California (CaliforniaDreamin'夢のカリフォルニア)
8.Il mondo è con noi (世界は二人と共にI SAW HER AGAINアイ・ソー・ハー・アゲイン)
9.Inno (Let’s Go To San Francisco花咲くサンフランシスコ)
10.Dolce Di Giorno
11.Nel 1303 (Do You Believe? [The Storybook People])
年末、2年目の新人ながら今までのヒット曲を集めたファースト・アルバムを出してもらいます。
ようやく自分達のオリジナル曲で勝負できたのは68年カンタジーロ・ジローネA(スター部門)の出場曲でした。バッティスティとモゴールの作“風の置手紙”が10位入賞、年間ランク75位のヒットをなりました。
SRL-10・499 (1968年4月Ricordi - Ricordi) Il Vento (風の置手紙) /L'eschimese (THEMIGHTY QUINN [Manfred Mann])
※ジャケット写真は顔写真画像をご参照
68年2枚目はピエロ・ソフィッチ作、ヒットになりません、B面はザ・バンドのカヴァー曲です。
SRL-10・515 (1968年10月Ricordi - Ricordi) Dimenticherai /Eleonoracredi (THE WEIGHTザ・ウェイト)
SRL-10・515
SRL-10・531
SRL-10・531
SRL-10・531 (1969年2月Ricordi - Ricordi) Zucchero (恋のズッケロ)/Piccola arancia
ヒットの実績を認められ、69年サンレモ音楽祭にリタ・パヴォーネのパートナーとして“恋のズッケロ”を歌い13位入賞を果たしました。
ディク・ディクの国内盤
SH- 231 (1966年5月 SEVEN SEAS - キング) 30cmLP 第16回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1966)
13.パッフ・ブム (PAFF... BUM)
SH- 231
SR- 176
SR- 176
SR- 176 (1968年5月10日 SEVEN SEAS - キング) 30cmLPヒット・パレード・イン・イタリー第1集 (HIT PAREDE IN ITALY Vol.1)
2.青い影 [伊] (SENZA LUCE (A WHITER SHADE OF PALE[I]))
5.ウィンディ [伊] (WINDY [I])
9.花咲くサンフランシスコ [伊] (INNO (LET'S GO TO SANFRANCISCO [I]))
SR- 233 (1968年11月10日 SEVEN SEAS - キング) 30cmLPカンタジーロ1968 (CANTAGIORO 1968)
3.風の置手紙 (IL VENTO)
SR- 233
HIT-1615
HIT-1615
HIT-1615 (1969年4月 SEVEN SEAS - キング) ズッケロ (ZUCCHERO)/ズッケロ (ZUCCHERO) リタ・パヴォーネ (RITA PAVONE)/ディクディク
GW- 17〜8 (1969年5月20日 SEVEN SEAS - キング) 30cm2LP第19回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1969)
2-3.恋のズッケロ (ZUCCHERO)
GW- 17〜8
SR- 313〜5
SR- 313〜5 (1969年10月20日 SEVEN SEAS - キング) 30cm3LPBoxカンツォーネ・スター大名鑑 (PANORAMA DI CANTANTI)
1-4.青い影 [伊] (SENZA LUCE (A WHITER SHADE OF PALE[I]))
ディク・ディク2は1970年サンレモ音楽祭のあとに続きます