★ブレントン・ウッズ Brenton Wood (vm=a)
本名アルフレッド・ジェシー・スミス(Alfred Jesse Smith)、1941 年 7 月 26 日、米国ルイジアナ州の北西端にある中都市シュリーブ・ポート(Shreveport)生、アメリカの歌手、ソング・ライター。
正しい読みはブレントン・ウッドですが、ここでは彼の代表作“ウーガム・ブーガム・ソング”と“ギミ・リトル・サイン”が紹介された当時のブレントン・ウッズを使用いたします。悪しからず!

サンレモ音楽祭出場は1969年参加曲“汽車(Il treno)”のみ。
ウッドは子供の頃、家族はロサンゼルスの港に近いサン・、ペドロに引越し、彼はサン・ペドロ高校に入学しましたが、コンプトンに引越ししてコンプトン高校に転校しました。アルフレッドはそこで陸上部に入り、いくつかの輝かしい賞を受賞しました。
高校卒業後、彼はイースト・ロサンゼルス大学に在籍。すぐに、ブレントン・ウッド芸名を付けました。それは彼の故郷カリフォルニア州のロサンゼルスにある高級住宅地の地名ブレントウッドから思いついたものでした。 この時期にジェシー・ベルヴィン(Jesse Belvin)、サム・クック(Sam Cooke)に触発され、彼の音楽的な興味は目覚めました。彼はソング・ライターの才能を育み、有能なピアニストになります
63年、彼の初期のシングル盤、ブレント(“Hide-A-Way”)やワンダ(“I Want Love”)で吹き込んだものは明らかに失敗でした。ウッドは改めてハリウッドにある独立系レーベルのダブル・ショット(活動期間1966〜72年)と契約し、“ウーガム・ブーガム・ソング(The Oogum Boogum Song)”を録音しました。この曲は カリフォルニア南部のFM曲から火が付き、1967 年の春に米国ビルボードのR&Bチャート19位、 同ホット100の34位になる大ヒット、イタリアの週間ランク30位(3週在位)のヒットとなりました。
その後にリリースしたシングル盤“ギミ・リトル・サイン(Gimme Little Sign)”がポップス・チャート9位、R&Bチャート19位のミリオン・ヒットになったばかりでなく、全英ヒット2位、イタリアでは68年週間ランクで17週ランク・インし、ついには1位になり、彼の代表作となりました。
67年3枚目が“ベイビー・ユー・ガット・イット (BABY YOU GOT IT)”はホット100の34位のR&Bチャート30位、と一躍ヒット歌手の仲間入りをします。68には“恋のラヴィ・ダヴィ(Lovey Dovey Kinda Lovin')”がホット100の99位に入ったものの、その後はランク・インできません。
イタリアでは“Gimme Little Sign”が年間ヒットランキングに16位になるメガ・ヒットとなり、翌69年のサンレモ音楽でロザンナ・フラレルロと“汽車(Il treno)”を歌いますが参加曲に終わりました。
BD-8001 (1968 Belldisc - Belldisc Italiana) Gimme Little Sign (ギミ・リトル・サイン)/I Think You've Got Your Fools Mixed Up
BD-8001
BD-8017


BD-8017 (1969 Belldisc - Belldisc Italiana) Il Tuo Ritorno/A Change Is Gonna Come (チェンジ・イズ・ゴナ・カム)
サンレモ音楽祭後、ベルディスクの看板デュオのサリス&サリス(Salos & Salis)の書いた曲“Il Tuo Ritorno”をイタリア・ローカルで発売、B面はサンレモ参加曲のB面の曲が流用されました。
69年の秋に来日。米国ヒット・チャートに再登場するのは77年シャーリー・グッドマン(Shirley Goodman)とのデュエット曲“Come Softly to Me”(R&Bチャート92位)でした。
ブレントン・ウッズの国内盤(イタリア関係はありません)
LR- 1938 (1968年7月10日 LIBERTY - 東芝音楽工業) ギミ・リトル・サイン (GIMME LITTLE SIGN)/恋のラヴィ・ダヴィ (LOVEY DOVEY KIND LOVIN') ブレントン・ウッズ
LR- 1938
LR- 2118


LR- 2118 (1968年11月1日 LIBERTY - 東芝音楽工業) ウーガム・ブーガム・ソング (THE OOGUM BOOGUM SONG)/君が好きだよ (I LIKE THE WAY YOU LOVE ME) ブレントン・ウッズ
LR- 2167 (1969年2月1日 LIBERTY - 東芝音楽工業) 恋はゲームで (IT'S JUST A GAME, LOVE)/トラブル (TROUBLE) 以降ブレントン・ウッド
LR- 2167
LR- 2270


LR- 2270 (1969年6月10日 LIBERTY -東芝音楽工業) チェンジ・イズ・ゴナ・カム (A CHANGE IS GONNA COME)/何処へ (WHERE WERE YOU)
LR- 2325 (1969年9月1日 LIBERTY - 東芝音楽工業) 恋のチャンス (TAKE A CHANCE)/ちっちゃな恋 (A LITTLE BIT OF LOVE)
LR- 2325
LR- 2497


LR- 2497 (1970年5月5日 LIBERTY - 東芝音楽工業) 恋の爆弾 (GREAT BIG BANDIE OF LOVE)/もらったかい? (CAN YOU GET IT)
LR- 2853 (1971年8月25日 LIBERTY - 東芝音楽工業) ラ・ティータ (SAD LITTLE SONG)/フー・バット・ア・フール (WHO BUT A FOOL)
LR- 2853
IJR-10839


IJR-10839 (1975年10月 MIDGET - 東芝EMI) オール・ザット・ジャズ (ALL THAT JAZZ)/レイニン・ラヴ (RAININ' LOVE)
LP- 8529

LP- 8529 (1968年X月XX日 LIBERTY - 東芝音楽工業) ギミ・リトル・サイン/ブレントン・ウッド登場 (GIMME LITTLE SIGN/BRENTON WOOD) ブレントン・ウッド
1.ギミ・リトル・サイン (GIMME LITTLE SIGN)
2.サイコティック・リアクション (PSYCHOTIC REACTION)
3.恋のチャンス (TAKE A CHANCE)
4.ベイビー・ユー・ガット・イット (BABY YOU GOT IT)
5.バードマン (BIRDMAN)
6.君が好きだよ (I LIKE THE WAY YOU LOVE ME)
7.ギヴ・イット・アップ (GIVE It UP)
8.ウーガム・ブーガム・シング (THE OOGUM BOOGUM SONG)
9.恋はトラブル (TROUBLE)
10.リトル・ハッピー・ゴー・ラッキー・ガール (LITTLE HAPPY-GO-LUCKY GIRL)
11.ランニン・ワイルド (RUNNIN‘ WILD)
12.カム・ヒア・ガール (COME HERE GIRL)
13.キャッチ・ユー・オン・ザ・リバウンド (CATCH YOU ON THE REBOUND)
14.グッドナイト・ベイビー (GOOD NIGHT BABY)
★レオナルド Leonardo (vm)
本名レオナルド・マリノ(Leonardo Marino)1945年10月18日ミラノ生、歌手、俳優。
AR- 259

資料が少ない歌手の一人です。1965年、前年出来たばかりのアリストンから“Joanathan”デビューしました。
AR-090〜091 (1965 Ariston - Ariston) Joanathan/E va, se hai deciso
AR-090〜091
AR- 168


AR- 168 (1967 Ariston - Ariston) Pioggia nelle strade/Giù in città
67年2枚目のシングルを出しますが、注目されることはありません。ただ声質がトム・ジョーンズやエンゲルベルト・フンパーディンクに似ていたので彼らのカヴァーを出すようになります。
AR- 202 (1967 Ariston - Ariston) Please amore(Release meリリース・ミー)/L'erba verde di casa mia (Green Green Grass Of Home思い出のグリーングラス)
AR- 202
AR- 216


AR- 216 (1968 Ariston - Ariston) L'erba verde di casa mia (思い出のグリーングラス)/Questa specie d'amore
AR- 259 (1968 Ariston - Ariston) La nostra favola (デライラ DELILAH)/Io per lei (トゥー・ギヴ TO GIVE))
6枚目が米国のブレンダン・ハンロン(Brendan Hanlon)のカヴァー“Rose per te”。
AR- 282 (1968 Ariston - Ariston) Rose per te (Roses For Her (Heartaches For Me)/Una strega dagli occhi blu
AR- 282
AR- 285


AR- 285 (1968 Ariston - Ariston) La freccia nera/Il bene che volevo a lei
La freccia nera”は68年12月から69年2月に放送されたTVドラマと同名のテーマ。リズ・オルトラーニの作曲でレオナルド最大のヒット曲になりました。
そのお蔭で翌69年サンレモ音楽祭にニュー・トロスルが歌った“君だけのぼく(Io che ho te)”出場しました。結果は参加曲。続いてエンゲルのカヴァー曲“心の太陽”でカンタジーロに参加しました。
AR- 285 (1969 Ariston - Ariston) Io che ho te(君だけのぼく)/Quanto bene (Ariston, AR- 306)
AR- 306
AR- 324


AR- 324 (1969 Ariston - Ariston) Il sole nel cuore (心の太陽Happy Heartハッピー・ハート) /La più vera (Trueトゥルー)
リフィのサブ・レーベルVarietyに移籍。71年第1弾をだします。
FNP・NP-10166 (1971 Variety – Ri Fi) Come sei sola Teresa/Un albero di mele
FNP・NP-10166
FNP・NP-10183


FNP・NP-10183 (1972 Variety – Ri Fi) Giramondo/C'è un po' di vento fuori
72年ロベルト・ヴェッキオーニ作詞の、曲“Giramondo”で参加、その後はトニー・クッキアーラのミュージカル「CAINO E ABELE」、「PIPINO IL BREVE」などに出演、ミュージカル俳優業を本職としていきました。
レオナルドの国内盤はありません