毎年出場歌手の決定で直前までバタバタするのが恒例ですが、第19回は比較的穏当に決まっていったようです。大物歌手で変更になったのは1967年にイタリアでもナンバーワン・ヒット“青い影(A WHITER SHADE OF PALE)”を出したプロコール・ハルム (PROCOL HARUM)が“美しき君(Tu sei bella come sei)”を歌うことになっていたようですが、ナポリ出身のグループ、ショウメンに変更されました。また劇的なサンレモ・デビューをした“天才少女”ナーダですが、彼女の曲“なんて寒い(Ma che freddo fa)”は、日本のヤマハ世界歌謡祭にスアン(Suan)の名前を変えましたが“ティ・アモ (TI AMO)”、“ドンナ・リベーラ(Donna Libera)”を歌ったアンナマリア・バラッタ(Annamaria Baratta)のために書かれた曲でした。
ナーダ (RCA Talent) メリー・ホプキン (Apple)
第19回 1969年1月30日(木)~2月1日(土) サンレモ市カジノ付属劇場
司会:ヌッチオ・コスタ (Nuccio Costa)、ガブリエラ・ファリノン(Gabriella Farinon)
楽団指揮: 24名の指揮者で演奏された。
オーガナイザー:サンレモ市ホテル観光協会 (ATA-Azienda Turistico Alberghiera)、監督エツィオ・ラダエリ (Ezio Radaelli)
形式:出場曲数24曲を各曲外国人歌手またはイタリア人歌手とパートナーを組み1曲2歌唱で第1夜、第2夜に12曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し各夜7曲づつ最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。
楽団指揮: 24名の指揮者で演奏された。
オーガナイザー:サンレモ市ホテル観光協会 (ATA-Azienda Turistico Alberghiera)、監督エツィオ・ラダエリ (Ezio Radaelli)
形式:出場曲数24曲を各曲外国人歌手またはイタリア人歌手とパートナーを組み1曲2歌唱で第1夜、第2夜に12曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し各夜7曲づつ最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。
出場歌手は48歌手(グループは1歌手)で、外人出場歌手も総て1歌手1曲の歌唱でした。
初出場20歌手(内外人11歌手)、出場レコード会社14社で初出場1社、外人歌手のみの出場会社は1社です。 [数]は外人歌手数
RICORDI 7[0]; CGD6[1]; RCA ITALIANA 6[1]; FONIT CETRA4[0]; DURIUM 4[0]; ARISTON 4[0]; RI FI 4[2]; CAROSELLO 3[0]; SAAR 3 [2]; PHONOGRAM 2[0]; V.C.M. 2[1]; DET(CAM)1[0];新MIURA1 [0]; BLUE BELL 1 [1]
曲の傾向は、当時一大勢力だったR&B (リズム&ブルース)とイタリア歌謡曲との戦いとなりましたが、イタリア的メロディアスな曲が勝利を収めました。R&B的な曲は4位になったファウスト・レアーリの“過ぎ去ったひととき”、9位ルチオ・バッティスティの”冒険“、12位リトル・トニーの“バダ・バンビーナ”、参加曲ではジュニア・マッリ“恋の終わり(ラヴ・ミー・トゥナイト)、ロッキー・ロバーツ“女性が最高”、ガブリエラ・フェッリとスティービー・ワンダーが歌った“恋人だった”などと言えると思います。
<入賞曲>
13位 ズッケロ(恋のズッケロ) Zucchero (G.Cassia - S.Bardotti - M.Marrocchi) 出版社 R.R.R. <53> ディク・ディク (compl) Dik Dik (Ricordi – Ricordi) SRL-10・531 [45] :リタ・パヴォーネ (vf) Rita Pavone (Ricordi – Ricordi) SRL-10・528 [45]
14位 愛の妙薬 Cosa hai messo nel caffè (G.Bigazzi - R.Del Turco) 出版社 ARION <29> リカルド・デル・トゥルコ (vm) Riccardo Del Turco (CGD – CGD) N-9707 [45] :アントワ-ヌ (vm=f) Antoine (Vogue – SAAR) J-5300×45 [45]
N-9707 PS- 124 J-53004×45
<参加曲>
◆ 恋の終り (ラヴ・ミー・トゥナイト) Alla fine della strada (D.Pace - M.Panzeri - L.Pilat) 出版社MAS ジュニア・マッリ (vm) Junior Magli (Jolly – SAAR) J-20446×45 [45] : ザ・カジュアルズ (compl=e) The Casuals (Joker – SAAR) M-7019×45 [45]
J-20446×45 HIT-1648
M-7019×45 TOP-1437
◆ バーチ・バーチ・バーチ Baci baci baci (S.Bardotti - G.Bracardi) 出版社 PEGASOウィルマ・ゴイク (vf) Wilma Goich (Ricordi – Ricordi) SRL-10・530 [45] : ザ・スウィ-ト・インスピレ-ションズ (coro=a) The Sweet Inspirations (Atlantic – Ri Fi) ATL・NP-03098 [45]
◆ 女性が最高 Le belle donne (V.Pallavicini - P.Conte - M.Varano) 出版社 CURCI ロベルティーノ (vm) Robertino (Carosello – Carosello) CI-20219 [45] : ロッキー・ロバーツ (vm) Rocky Roberts (Durium – Durium) CN・A-9292 [45]
CI-20219 CN・A-9292
◆ 愛のだんらん Una famiglia (A.Testa - M.Remigi) 出版社 D'ANZI メモ・レミージ (vm) Memo Remigi (Carosello – Carosello) CI-20220 [45] : イザベラ・ヤンネッティ (vf) Isabella Iannetti (Durium – Durium) QC・A-1394 [45]
CI-20220 QC・A-1394
参加曲の残りは次回に続く
“レウッチョ”クラウディオ・ビルラ(Claudio Villa)は67年(第17回)にイヴァ・ザニッキと“愛のわかれ(Non pensare a me)”でドメニコ・モドゥーニョと並ぶ4回優勝し、翌68年はサンレモ出場をしなかったのですが、「出場してもらえれば、入賞させて恥はかかせない」というような説得をされたのか渋々出場を承諾したようです。ルイジ・テンコの自殺事件以後、色々な方面からの強い要請が通らなくなったのか、“しのび泣く今宵(Meglio una sera (piangere da solo))”は予選第1日目の12曲中11位で見事に落選してしまいました。それ以降クラウディオ・ビルラはサンレモ音楽祭で入賞することはありませんでした。
レオナルド (Ariston) ガブリエラ・フェッリ (RCA Italiana) アレッサンドラ・カッザチャ (Ariston)
・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。
・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。
・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。
・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。