★ジュリアーナ・ヴァルチ (vf) Giuliana Valci
1946年1月28日ローマ生、歌手、引退後占星術に専念。
3515 (CBS)
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/18/cnz27hiro/6a/2f/j/o0175017514529406088.jpg?caw=800)
父マルチェロ・ヴァルチ(Marcello Valci)は1930年代の楽団指揮者・作曲家母マルチェラ・ルミーニ(Marcella Lumini)は40年代の流行歌手、タレント二世の環境で、兄弟たちとラジオの公開音楽番組、リタ・パヴォーネのTV番組「collettoni」やパイパークラブに出演していました。
67年、サンレモ音楽祭のオーガナイザーでもあるジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)から、CBSからシングル盤を出す話が舞い込み、9月にレコード・デビューしました。A面はサイモン&ガーファンクルの“THE DANGLING CONVERSATION”のイタリア語カヴァー“Un inutile discorso (夢の中の世界 [伊])”と B面がまだ24才だったルチオ・バティスティ(ルーチョ・バッティスティ)が初めてクレジットされる“Quando gli occhi sono buoni (ノン・ノン・ノン)”という曲です。
この曲で67年の新人コンテスト、カラヴェッラ・ディ・バリ「成功の帆船」に出場しましたが明らかに失敗いでした。
2811(CBS) (1967年9月 CBS – CGD) Un inutile discorso (夢の中の世界 [伊]) / Quando gli occhi sono buoni (ノン・ノン・ノン)
2811 (CBS)
3219(CBS)
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/18/cnz27hiro/b1/92/j/o0175017514529406092.jpg?caw=800)
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/18/cnz27hiro/f2/ce/j/o0175017514529406099.jpg?caw=800)
3219(CBS) (1968年1月 CBS – CGD) Sera (夕べのしあわせ)/L'attesa è breve
翌68年ジャンニ・ラヴェーラの助けを借りてサンレモ音楽祭に出場します。CGDの先輩ジリオラ・チンクェッティのパートナーとして“夕べのしあわせ(SERA)”を歌い8位入賞することが出来ました。これが2枚目のシングルです。
3枚目のシングル、“Amore mi manchi”が勝負の盤になる筈でした。この曲はボビー・ゴールズボロの“ハニー (HONEY)”のイタリア語ヴァージョンですが、ボビー・ソロ(Bobby Solo)も出し、これを勝ることはできませんでした。
3515 (CBS) (1968年CBS – CGD) more mi manchi (Honey - ハニー [伊]) / Una sola via ジャケット画像は顔写真画像をご覧ください
ジュリアーナは69年サンレモ音楽祭で再起をかけ曲目もセルジョ・エンドリゴの“瞳はるかに (Lontano dagli occhi)”が内定していましたが、最終的には“悲しき天使”がヒットしていた英国のメリー・ホプキンに決まり、彼女はカンタジーロの出場に廻されましたスター部門のジローネAで参加しましたが、強豪揃いで入賞出来ませんでした。曲はフランスのキャンディッド (Candide)の“LES ROSES DU BROUILLARD”で大変難しい曲でカンタジーロ向きでありません。
4064 (CBS) (1969年CBS – CGD) Le rose nella nebbia/ Due parole dette al vento
4064 (CBS)
LMD-3
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/18/cnz27hiro/cb/e8/j/o0175017514529406103.jpg?caw=800)
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/18/cnz27hiro/b0/67/j/o0175017514529406109.jpg?caw=800)
LMD-3 (1970年CAT Records – RCA ITALIANA) Zitto/ Parlo al vento
70年RCAイタリアーナ傘下のマイナー・レーベル“キャット(CAT)”に移籍します。B面は父マルチェロ・ヴァルチの作曲です。キャットでの2枚目はデット・マリアーノの作曲、マウリツィオ&グイド・デ・アンジェリス編曲で一番まともそうですが、You-Tubeにありません。
ZCA-50088 (1970年CAT Records – RCA ITALIANA) Uno qualunque/ Parlo al vento
ZCA-50088
AMP-94
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/18/cnz27hiro/8c/41/j/o0175017514529406112.jpg?caw=800)
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/18/cnz27hiro/43/35/j/o0175017514529406118.jpg?caw=800)
AMP-94 (1971年CAM – CAM) Lyonesse/Un Momento
再びカムに移籍し、チプリアーニの映画音楽を2曲、A面「A Cuore Fredo」、B面TV映画「Senza Lasciare Tracce」。
72年更にマイナーで最後の盤を出します。このあと来日、ライヴ盤を入れた後、歌手を引退し、タレントそして占星術師になります。
PP-2022 (1972年People) Cavaliere di latta/Come un vecchio amico
PP-2022
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/18/cnz27hiro/46/53/j/o0175017514529406124.jpg?caw=800)
ジュリアーナ・ヴァルチの国内盤
SONG-80029 (1968年12月CBS SONY - CBSソニー) ノン・ノン・ノン (QUANDO GLI OCCHI SONO BUONI)/夢の中の世界 [伊] (UN INUTILE DISCORSO - THE DANGLING CONVERSATION [I])
SONG-80029
DY-5004-1
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/18/cnz27hiro/08/bb/j/o0185018414529406130.jpg?caw=800)
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/18/cnz27hiro/8d/52/j/o0184018514529406138.jpg?caw=800)
DY-5004-1 (1975年4月SEVEN SEAS -キング) 30cm LPカンツォーネ特別ダイジェスト盤《来日アーティスト特集》試聴盤非売品
15.夕べのしあわせ (SERA)
16.瞳はるかに (LONTANO DAGLI OCCHI)
15.夕べのしあわせ (SERA)
16.瞳はるかに (LONTANO DAGLI OCCHI)
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HIT-2206 (1975年6月SEVEN SEAS -キング) 夕べのしあわせ (SERA)/瞳はるかに (LONTANO DAGLI OCCHI)
HIT-2206
GEM-1067~8
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/18/cnz27hiro/d9/06/j/o0185018314529406139.jpg?caw=800)
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/18/cnz27hiro/82/68/j/o0184018514529406143.jpg?caw=800)
GEM-1067~8 (1975年10月5日 SEVEN SEAS -キング) 30cm 2LPカンツォーネ100年史(第1回民音イタリア音楽祭) (MIN-ON PRIMO FESTIVAL DELLA CANZONE ITALIANA)
1-6.アネマ・エ・コーレ <L> (ANEMA E CORE <L>)
1-13.花咲く丘に涙して <L> (LE COLLINE SONO IN FIORE <L>)
2-5.愛の花咲くとき <L> (QUANDO M'INNAMORO <L>)
2-6.夕べのしあわせ <L> (SERA <L>)
1-6.アネマ・エ・コーレ <L> (ANEMA E CORE <L>)
1-13.花咲く丘に涙して <L> (LE COLLINE SONO IN FIORE <L>)
2-5.愛の花咲くとき <L> (QUANDO M'INNAMORO <L>)
2-6.夕べのしあわせ <L> (SERA <L>)
★エリオ・ガンドルフィ (vm) Elio Gandolfi
1951年6月26日ボローニャの東北東50kmにある小都市アルジェンタ生、、60 年代の歌手。
CI-20210
![イメージ 13](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/18/cnz27hiro/9f/74/j/o0175017514529406148.jpg?caw=800)
中学卒業後、地元レッジョ・エミリアーナのダンスホールで一晩千リラの歌手のアルバイトを続けていました。ジリオラ・チンクェッティなどを送り出した1967年カストロ・カーロ新人コンテストでジュシー・ロメオ(Giusy Romeo)に次ぐ2位となりました。ジャンニ・モランディ・スタイルの16才の歌手でした。カロセッロと契約することが出来ました。
翌68年サンレモ音楽祭に“人生”でシャーリー・バッシー(Shirley Bassey)とパートナーを組んで歌いましたが、入賞できませんでした。シャーリーの方は好評で、エリオはその陰に隠れてしまいます。(イタリアのレコードの資料が少なく、また信頼性に欠けるため※確かなことが言えませんが)、このサンレモ出場曲がレコード・デビューだったようです。
2枚目のシングル盤がユニオン・ギャップ(THE UNION GAP)の“ヤング・ガール(Young Girl)”のイタリア語カヴァー“Un anno di più”、68年第7回カンタジーロ・ジローネBで3位入賞をしました。その後ピッポ・バウドが司会する日曜午後の2時間音楽バラエティ番組「セッテ・ヴォーチ」にも出演しました。翌69年サンレモ音楽祭に“沈んだ太陽(Il sole è tramontato)”を元ジガンティのケッコ(Checco)とパートナーで歌いましたがまたもや参加曲どまりでした。スペインのマヨルカ音楽祭に出場しましたが、イタリアでのレコード発売はされません。 彼のレコード・セールス的成功はロック・オペラ“ヘアー(Hair)”のイタリア語版“Capelli”だったようです。
70年代に入りレコードも発売されず、地元に帰りダンス・クラブの歌手にも取ったようです。
※資料として使っている「Discogs」のディスコ・グラフィで67年ゼウスから2枚のシングルが出たことになっていますが、エリオ・パンドルフィ(俳優)の人間違いです。
エリオ・ガンドルフィの国内盤
SR- 180 (1968年4月10日 SEVEN SEAS -キング) 30cmLP第18回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1968)
12.人生 (LA VITA)
12.人生 (LA VITA)
SR- 180
GW- 17~8
![イメージ 15](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/18/cnz27hiro/43/42/j/o0185018414529406151.jpg?caw=800)
![イメージ 14](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/18/cnz27hiro/c4/b1/j/o0183018514529406157.jpg?caw=800)
GW- 17~8 (1969年5月20日 SEVEN SEAS -キング) 30cm 2LP第19回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1969)
2-12.沈んだ太陽 (IL SOLE E' TRAMONTATO)
2-12.沈んだ太陽 (IL SOLE E' TRAMONTATO)
GW- 239~40 (1973年3月SEVEN SEAS -キング) 30cm 2LPラヴ・ミー・トゥナイト/くたばれサンレモ (NON FINALISTE DI SAN REMO)
2-1.人生 (LA VITA)
2-1.人生 (LA VITA)
GW- 239~40
GXF- 81~90
![イメージ 16](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/18/cnz27hiro/ed/a7/j/o0185018314529406162.jpg?caw=800)
![イメージ 17](https://stat.ameba.jp/user_images/20190810/18/cnz27hiro/70/11/j/o0185018414529406168.jpg?caw=800)
GXF- 81~90 (1979年2月5日 SEVEN SEAS -キング) 30cm 10LP Boxサン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO)
6-20.人生 (LA VITA)
6-20.人生 (LA VITA)