18回でアフロ系歌手は前回書いたイタリの歌手ララ・サンポール、“サッチモ”ルイ・アームストロング、サラ・ヴォーンの代役アーサ・キット、ウィルソン・ピケット、ディオンヌ・ワーウィック、シャーリー・バッシーと6人で顔ぶれも錚々たる歌手たちでした。
またヨーロッパ系の歌手は、フランスの前年サンレモで大受けしたアントワーヌ、サッシャ・ディステル、ダリダの男性版ニーノ・フェレールにオーストリアのウド・ユルゲンス。アメリカからは入賞しませんでしたが2度目のポール・アンカ、ティミ・ユーロー、ボビー・ジェントリー、コーラス・グループノサンドパイパースカウシルズ。
イタリアでの人気の高い優勝したブラジルのロペルト・カルロスに日本の岸洋子と幅広く多彩な外人歌手の出場で、サンレモ史上でも最も充実した顔ぶれの大会として評価されています。


マッシ-モ・ラニエリ (CGD) ウィルソン・ピケット (Atlantic)
第18回 1968年2月1日(木)~3日(土) サンレモ市カジノ付属劇場
司会:ピッポ・バウド (Pippo Baudo)、ルイザ・リヴェッリ(Luisa Rivelli)
楽団指揮: 24名の指揮者で演奏された。
オーガナイザー:サンレモ市ホテル観光協会 (ATA-Azienda Turistico Alberghiera)、監督ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)
形式:出場曲数24曲を各曲外国人歌手またはイタリア人歌手とパートナーを組み1曲2歌唱で第1夜、第2夜に12曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し各夜7曲づつ最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。
楽団指揮: 24名の指揮者で演奏された。
オーガナイザー:サンレモ市ホテル観光協会 (ATA-Azienda Turistico Alberghiera)、監督ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)
形式:出場曲数24曲を各曲外国人歌手またはイタリア人歌手とパートナーを組み1曲2歌唱で第1夜、第2夜に12曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し各夜7曲づつ最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。
出場歌手は48歌手(グループは1歌手)で、外人出場歌手も総て1歌手1曲の歌唱でした。
初出場20歌手(内外人11歌手)、出場レコード会社17社で初出場3社、外人歌手のみの出場会社は3社です。 [数]は外人歌手数
CGD7[2]; RCA ITALIANA 5[1]; V.C.M. 5[2]; FONIT CETRA4[1]; RI FI 4[1]; RICORDI 4[2]; ARISTON 3[0]; CDI 3[2]; Clan Celentano 2[0] ; PHONOGRAM 2[0]; DURIUM 2[1]; CAROSELLO 2[1]; 新DET(CAM)1[0];新BDM1 [0]; SAAR 1 [1]; BLUE BELL 1 [1]; 新SIF 1 [1]
<入賞曲>
13位 歌が出る Mi va di cantare (V.Buonassisi - G.Bertero - A.Valleroni - M.Marini) 出版社 EQUIPE <49>.ララ・サン・ポール (vf) Lara Saint Paul (CDI – CDI) CDI-2018 [45] : ルイ・アームストロング (tp,vm=a) Louis Armstrong (CDI – CDI) CDI-2017 [45]
CDI-2018
CDI-2017


14位 静けさの声 La voce del silenzio (P.Limiti - Mogol - E.Isola) 出版社 LA TURRIA <28>.トニー・デル・モナコ (vm) Tony Del Monaco (CGD – CGD) N-9675 [45] : ディオンヌ・ワ-ウィック (vf=a) Dionne Warwick (Scepter - CGD) N-9676 [45]



<参加曲>
◆ 消え去らぬ影 Che vale per me (M.Terzi - C.A.Rossi) 出版社 C.A.ROSSI - EQUIPE ペピーノ・ガリアルディ (vm) Peppino Gagliardi (DET – Campi.) DTP- 22 [45] : アーサー・キット (vf=a) Eartha Kitt (CDI – CDI) CDI-2021 [45]



◆ 狂った蝶々 La farfalla impazzita (Mogol - L.Battisti)出版社 EL'&CHRIS ジョニー・ドレルリ (vm) Johnny Dorelli (CGD – CGD) N-9673 [45] : ポール・アンカ (vm=ca) Paul Anka (RCA Victor – RCA Italiana) 45N-1537 [45]



◆ノー・アモ-レ No amore (V.Pallavicini - E.Intra) 出版社BELRIVER ジュシー・ロメオ (vf) Giusy Romeo (Columbia - V.C.M.) SCMQ-70821 [45] :サッシャ・ディステル (vm=f) Sacha Distel (Pathè - V.C.M.) AQ-1364 [45]
SCMQ-7082
AQ-1364


◆バルトロメオの想い出 Le opere di Bartolomeo (S.Bardotti - R.Cini) 出版社RCA ITALIANA ザ・ロークス (compl) The Rokes (ARC – RCA Italiana) AN-4142 : ザ・カウシルズ (compl=a) The Cowsills (MGM – Ricordi) MG-70・026 [45]



参加曲の残りは次回に続く
3番目に紹介する初参加のレコード会社はSIFです。ウィキペディア・イタリア版で探しても昔は書かれていたようが、消されています。資料的にたどれるのは、持っていたレーベル、バークレイ(Barclay)、リヴィエラ(Riviera)、ラーレ(Rare)がウィキペディアで残されています。これらはレコード会社表示になっていますが、SIFがもっているフランスのバークレイとそのサブ・レーベルでレーベル(etiche'tta)になります。
これでお分かりのようにSIFはフランスのバークレイのイタリア子会社として存在していました。正式にはSocietà Italiana Fonografica(直訳すればイタリア蓄音器会社)で何ということのないネーミングです。イタリアでのバークレイはSAARのJollyが持っており、60年代の半ば頃にはシャルル・アズナヴールやダリダのトップ・スターの販売はRCAイタリアーナがしていましたので、販売権は移籍していたのかもしれません。
SIFのスタートは1967年から始まります。レコード番号もSIFを使っていたようですが、すぐにレーベル(バークレイ、リヴィエラ、ラーレ)別のシリーズ番号に変わったようです。この68年として初参加したフランス人歌手ニーノ・フェレールがシングル盤第一号でした。彼もダリダと同じようにイタリア人でフランスの歌手として活動しています。このサンレモの出場曲“イギリスの王さま”も彼のペンネーム、アゴスティーノ・フェッラーリ(Agostino Ferrari)で出品しています。イタリア人にとって彼はイタリア人歌手なのです。会社が出来てすぐにロベルタ・マッツォーニ(ROBERTA MAZZONI)、ピエロ・フォッカチャ (Piero Focaccia)、その後スアン(SUAN)の芸名を使うアンナマリア・バラッタ(ANNAMARIA BARATTA)など中堅歌手たちが移籍してきます。
70年代になるとディストリビューションをリコルディがするようになったようです。ウィキペディアのディスコグラフィで追えるのは73年までですが、ミラノに本社を置いて活動を続けていたようです。そして最後はCGDに吸収合併されたことになっていますが、何時だったかというのは現時点では不明です。



・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。
・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。
・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。
・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。