日本人にとっては二人目の歌手となる岸洋子の出場が話題となりましたが、現地ではともかくジャズの聖者(セイント)、“サッチモ”ルイ・アームストロングの出場でした。You-Tubedで』見てもらえば分かりますが、観客、ミュージシャン、スタッフ全員がスタンディング・おヴェーションをしています。しかも何とルイ・アームストロングにイタリア語で出場曲を歌わせたのですから、サンレモ音楽祭も「出世」したものです。で今回の大会の特徴はアフリカ系ミュージシャンの出場が特徴とされています。1962年(第12回)に当時タニヤの芸名だったララ・サン・ポールがサンレモ音楽祭に有色人種として初めて歌いました。
 その後、64年から外国人歌手がパートナーとして出場するようになり、“スタンド・バイ・ミー”などで名の知られたベン・E.キングなど黒人歌手が歌うようになってきました。ただ16回はルイ・アームストロングを出場させるため他にも、アフリカをルーツに持つ音楽家が出場しています。
 
 
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           ルイ・アムストロング (CDI)                   シャ-ー・バッシー (United Artist)         
 
第18回 1968年2月1日()~3日() サンレモ市カジノ付属劇場
司会:ピッポ・バウド (Pippo Baudo)、ルイザ・リヴェッリ(Luisa Rivelli)
楽団指揮: 24名の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:
サンレモ市ホテル観光協会 (ATA-Azienda Turistico Alberghiera)、監督ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)
形式:出場曲数24曲を各曲外国人歌手またはイタリア人歌手とパートナーを組み1曲2歌唱で第1夜、第2夜に12曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し各夜7曲づつ最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。
 
出場歌手は48歌手(グループは1歌手)で、外人出場歌手も総て1歌手1曲の歌唱でした。
初出場20歌手(内外人11歌手)、出場レコード会社17社で初出場3社、外人歌手のみの出場会社は3社です。 []は外人歌手数
CGD[]RCA ITALIANA []V.C.M. []FONIT CETRA[]RI FI []RICORDI []ARISTON []CDI []Clan Celentano [] PHONOGRAM []DURIUM []CAROSELLO []; 新DET(CAM)[0];新BDM []SAAR []BLUE BELL 1 [1]; 新SIF 1 [1]

 
 
<入賞曲>
7位 青空の想い出 Da bambino (R.Pradella - R.Angiolini) 出版社 EL'&CHRIS <123>.マッシーモ・ラニエリ (vm) Massimo Ranieri (CGD – CGDN-9674 [45] : イ・ジガンティ (compl)  I Giganti RI FI - RI FIRFNNP-16243 [45]
 
N-9674イメージ 3 RFNNP-16243イメージ 4
 
8位 夕べのしあわせ Sera (R.Pradella - R.Angiolini) 出版社 EL'&CHRIS <97>.ジュリアナ・ヴァルチ (vf) Giuliana Valci (CBS – CGD3219(CBS) [45] : ジリオラ・チンクェッティ (vf) Gigliola Cinquetti CGD - CGDN-9676 [45]
 
 
3219(CBS)イメージ 5 イメージ 6
HIT-2206
 
N-9676イメージ 8 イメージ 7HIT-1514
 
 
9位 愛の垣根 La siepe (V.Pallavicini - P.Massara) 出版社 BELRIVER <92> アル・バーノ (vm) Al Bano V.d.P. – V.C.M.MQ-2122 [45] ボビー・ジェントリー (vf=a) Bobbie Gentry Capitol – V.C.M.QCL- 197 [45]
 
 
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  MQ-2122            OR- 1873                        QCL- 197
 
10恋に泣く男 Un uomo piange solo per amore (M.Gaspari - M.Marrocchi) 出版社 DURIUM - ARISTON <82> マリオ・ガルネラ (vm)  Mario Guarnera Ariston  – AristonAR-0241 [45] リトル・トニー (vm)  Little Tony Durium – DuriumLdA-7550 [45]
 
 
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AR-0241 
                      LdA-7550                   JET-1830
 
 
11位ささやく瞳 Gli occhi miei (Mogol - C.Donida)出版社R.R. Ricordi <71> ウィルマ・ゴイク (vf) Wilma Goich Ricordi – RicordiSRL-10491 [45] ディーノ (vm) Dino (ARC - RCA ItalianaAN-4143 [45]
 
SRL-10491イメージ 15 イメージ 16HIT-1515
 
AN-4143イメージ 18 イメージ 17SS-1804
 
12位今宵あなたが聞く歌は Stanotte sentirai una canzone (T.Queriolo - G.Bracardi) 出版社ABERBACH <53> アンナリタ・スピナーチ (vf) Annarita Spinaci Philips – Phonogram Italiana363-726PF [45] 岸 洋子 (vf=j) Yoko Kishi (Fonit – Fonit CetraSPF-31219 [45]
 
363-726PFイメージ 19 イメージ 20SFL- 1146
 
SPF-31219イメージ 22 イメージ 21HIT-1513
 
 
 
入賞曲の残りは次回に続く
 
 2番目に紹介する初参加のレコード会社はBDMです。非常に情報が少ない会社、まるっきりないに等しいと言ったようが良いかもしれません。こういう社名のばあいは、頭文字から取った略なのですが、まずそれが分かりません。分かっているのは60年代に存在し約10年間活動していたことと、在籍していた若干の歌手たちの名前と僅かなレコードの事だけです。
 現時点で分かるレコード番号から推測すると1966年に第1回サンレモ音楽祭優勝歌手、ニラ・ピッツィが作られたばかりのBDMに入ったようです。と言ってもその時の1枚きり。2番目がこの68年サンレモ音楽祭に出場したミルバの甥のピエルジョルジョ・ファリーナでした。
どうも彼だけがスターで彼が移籍してしまうと、早々に閉じてしまったような様子が見て取ります。60年代一杯で会社はなくなったのではないでしょうか。他には日本でも発売グラツィエラ・カリー()が1枚出しており、女性歌手マリア・グラツィア・フェイ(Maria Grazia Fei)、バンドのリ・アウトゥーリ(Maria Grazia Fei)、片面づつですがA面がボローニャ市バンド(Banda Città Di Bologna)とジュリオ・ピッツィール(Giulio Pizzir)と言うクレジットが読み取れます。
 
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JET-1519 (1965.5GLOBE - 日本ビクター) 君に涙とほほえみを (SE PIANGI SE RIDI)/花咲く丘に涙して (LE COLLINE SONO IN FIORE) トニ-・ロベルト (TONY ROBERT (vm))/グラツィエラ・カリ- (GRAZIELLA CALY (vf))
 
 
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  ジュリアナ・ヴァルチ (CBS)     カウシルズ,{ザ・} (MGM)  ファウスト・レア (Ri Fi)
 
 
 
・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。
・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。
・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。
・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。