イギリスのグループ、ホリーズは最初2曲歌う予定になっていましたが、最終的にはミーノ・レイターノのパートナーで“世界を信じたい(Non prego per me)”だけとなりました。幻のもう1曲はロベルタ・アマデイのパートナーとして“私を信じて(Devi aver diducia in me)”です。資料によってはホリーズが歌ったことになっているものが有ったようです。この曲、最終段階でアメリカのジョニー・リヴァース(Johnny Rivers)に割り振られましたが、彼から準備不足を理由に出場を断られ、最終的に新人のカルメロ・パガーノが出場することになりました。ドメニコ・モドゥーニョのパートナーとなったジディウリとカルメロ・パガーノのシングル盤は今ではレア物となり、サンレモ・マニアの間では高値が付いているようです。


ミ-ノ・レイタ-ノ (Ricordi) シェ-ル (Liberty)
第17回 1967年1月26日(木)~28日(土) サンレモ市カジノ付属劇場
司会:マイク・ボンジョルノ (Mike Bongiorno)、レナータ・マウロ(Renata Mauro )
楽団指揮: 25名の指揮者で演奏された。
オーガナイザー:サンレモ市ホテル観光協会 (ATA-Azienda Turistico Alberghiera)、監督ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)
形式:出場曲数26曲を各曲外国人歌手またはイタリア人歌手とパートナーを組み1曲2歌唱で第1夜、第2夜に15曲を歌い、各夜の中から6曲の入賞曲を選出し、敗者復活でもう1曲を選び各夜7曲づつ最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。
楽団指揮: 25名の指揮者で演奏された。
オーガナイザー:サンレモ市ホテル観光協会 (ATA-Azienda Turistico Alberghiera)、監督ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)
形式:出場曲数26曲を各曲外国人歌手またはイタリア人歌手とパートナーを組み1曲2歌唱で第1夜、第2夜に15曲を歌い、各夜の中から6曲の入賞曲を選出し、敗者復活でもう1曲を選び各夜7曲づつ最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。


マリオ・ゼリノッティ (Durium) マリオ・ガルネラ (Ariston)
出場歌手は58歌手(グループは1歌手)で、アメリカのジーンン・ピットニーとイギリスのバチェラーズ、デュエットとソロ歌手で出場したソニーとシェールのシェールが2曲歌った以外は、総て1歌手1曲の歌唱でした。
初出場34歌手(内外人13歌手)、出場レコード会社19社で初出場4社、外人歌手のみの出場会社は4社です。ただしボビー・ゴールヅボローが出場しているユナイテッド・アーティスツがどこの販売か分かりませんので不明1社としておきます。 [数]は外人歌手数
CGD10 [5]; RCA ITALIANA 7 [1]; RICORDI 7 [2]; FONIT CETRA 5 [0]; SAAR 4 [2]; RI FI 3 [0]; DURIUM 2 [0]; CAROSELLO 2 [0]; ARISTON 2 [0]; CARISCH 2 [1] ;V.C.M. 1 [0]; PHONOGRAM 1 [0]; Clan Celentano 1 [0] ; VEDETTE 1 [0]; BLUE BELL 1 [1];新Parade2 [0];新Interrecord 1 [0]; 新CDI 1 [1];新Tiffany 1 [1] ●不明 United Artists 1 [1]
それにもう1曲外人パートナーが何人か候補に挙がりながら実現しなかった曲があります。これは作者の思い入れが激しく、到底サンレモ音楽祭のような新曲コンクールに出場するような歌手でない人を想定したためでした。もし出ていたら前年のヤードバーズのように、悲惨な結果となっていたことでしょう。その曲は“ピエ-トレ(Pietre)”で、最終的には作者の一人でもある歌手ジャン・ピエレッティとフランスのアントワーヌが歌い8位入賞となりました。
当初ジャン・ピエレッティと彼のレコード会社ヴェデッテはアメリカのフォーク・ロック神様ボブ・ディランに連絡を取ろうとしました。ボブ・ディラン(Bob Dylan)から拒否の応答に直面し、困った挙句イギリスのフォーク・ロックの神様ドノヴァン(Donovan)に変えて依頼をしました。かれらはCBSの所属でしたが、イタリアでライセンス契約を撮っているCGDの大物歌手のパートナーとして養成しても受けるような歌手達ではなかったと思われます。ましてやイタリアのマイナー・レーベルで海外に名前の知られていない歌手が相手では無理でした。最終的にフランスの異才アントワーヌにきまり、これが功を奏し入賞できたと思われます。
<入賞曲>
13位 アローラ・ダイ …E allora dai! (G.Gaber)出版社 SETTE BELLO <3> ジョルジョ・ガーベル (vm) Giorgio Gaber (RI FI – RI FI) RFN・NP-16180 [45] : レモ・ジェルマーニ (vm) Remo Germani (MGM – Ricordi) CI-20180 [45]



13位 恋の革命 La rivoluzione (Mogol - P.Soffici) 出版社SUPER SONIC <3> ジャンニ・ペッテナーティ (vm) Gianni Pettenati (Cetra – Fonit Cetra) SP-1326 [45] : ジーン・ピットニー (vm=a) Gene Pitney (Musicor - CGD) MR-6031 [45]



<参加曲>
◆ 風に消えた恋 Il cammino di ogni speranza (U.Napolitano)出版社 MASカテリーナ・カセルリ (vf) Caterina Caselli (CGD - CGD) N-9651 [45] : ソニー & シェール (duo=a) Sonny & Cher (Atlantic – SAAR) AT-90196×45 [45]



◆ 少女 Canta ragazzina (Prog - C.Donida - I.Pattacini) 出版社 FAMA ボビ-・ソロ (vm) Bobby Solo (Ricordi – Ricordi) SRL-10・450 [45] : コニ-・フランシス (vf=a) Connie Francis (MGM – Ricordi) MG-70・008 [45]



◆ 希望の鐘 (平和の鐘) C'è chi spera (D.Pace - M.Panzeri - G.Colonnello) 出版社 ARISTON リキ・マイオッキ (vm) Riki Maiocchi (CBS - CGD) 2538(CBS)[45] : マリアンヌ・フェイスフル (vf=e) Marianne Faithfull (Derby – CGD) DB-5171 [45]



◆チャオ・アモーレ・チャオ(青春の墓標)Ciao amore ciao (L.Tenco)出版社 RCA - R.R.RICORDI ルイジ・テンコ (vm) Luigi Tenco (RCA Italiana – RCA Italiana) PM45-3387 [45] : ダリダ (vf) Dalida (Barclay – RCA Italiana) BN-7010 [45]



参加曲の残りは次回に続く



3番目の初出場のレコード会社はCDIです。興行師、またミルバの初期のヒット曲 “フラメンコ・ロック(FLAMENCO ROCK)”の作詞家でもあるピエール・クィント・カリアッジ(Pier Quinto Cariaggi) が1963年に興した小さな会社です。彼はそれまでにジャズのクィンシー・ジョーンズと親しく、イタリアへの招聘などを行っていました。スターは後に彼の妻となるララ・サン・ポール、ポーランドの美人歌手アンナ・ゲルマンで、68年サンレモ音楽祭に“サッチモ”ルイ・アームストロングを出場させたことでした。70年にレーベルは閉鎖されました。
・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。
・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。
・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。
・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。