これまでも優勝経験のある大物歌手のパートナーについては色々トラブルが起きています。この回は前年優勝者ドメニコ・モドゥーニョかやらかしています。1966年はボビー・ソロがゴネにゴネ、RAIから「いやならサンレモの楽団とコーラスだけで曲を流す」とまで言われ、結果は予選落ちの参加曲になりました。この17回もモドゥーニョがモメて、結果は予選落ちの参加曲になっています。
 何をしたかと言うと、以前から決まっていたフランスで売出し中の歌手クリストフ(Christophe)がパートナーだったのですが、初日に訳のわからない理由で、「彼の鼻にかかる声」が気に入らないとも書いてありましたが、突然彼を拒否しました。モドゥーニョの歌う前日です。
なにしろイタリアの看板歌手、最多優勝4回(この年クラウディオ・ビルラが優勝し4回で並びます)の超大物で、作者自身ですから、だれも逆らえずクリストフは降ろされました。そして新たなパートナーをメモ・レミージ、アンナリタ・スピナーチ、カルメロ・パガーノを要求しましたが、これも駄々をこねているだけ、実現不可能な要求でした。相手となったのは無名の新人ジディウリでした。
 
 
   
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ドン・バッキ- (Clan Celentano)         マリアンヌ・フェイスフル (Derby)         
 
 
第17回 1967年1月26日()~28日() サンレモ市カジノ付属劇場
司会:マイク・ボンジョルノ (Mike Bongiorno)、レナータ・マウロ(Renata Mauro )
楽団指揮: 25名の指揮者で演奏された。

オーガナイザー:
サンレモ市ホテル観光協会 (ATA-Azienda Turistico Alberghiera)、監督ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)
形式:出場曲数26曲を各曲外国人歌手またはイタリア人歌手とパートナーを組み1曲2歌唱で第1夜、第2夜に15曲を歌い、各夜の中から6曲の入賞曲を選出し、敗者復活でもう1曲を選び各夜7曲づつ最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。
      
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  ジャン・ピエレッティ (Vedette)    ジャンニ・ペッテナ-ティ (Cetra)
 
 
出場歌手は58歌手(グループは1歌手)で、アメリカのジーンン・ピットニーとイギリスのバチェラーズ、デュエットとソロ歌手で出場したソニーとシェールのシェールが2曲歌った以外は、総て1歌手1曲の歌唱でした。
初出場34歌手(内外人13歌手)、出場レコード会社19社で初出場4社、外人歌手のみの出場会社は4社です。ただしボビー・ゴールヅボローが出場しているユナイテッド・アーティスツがどこの販売か分かりませんので不明1社としておきます。  []は外人歌手数
CGD10 [5]RCA ITALIANA 7 [1]RICORDI 7 [2]FONIT CETRA 5 [0]SAAR 4 [2]RI FI 3 [0]DURIUM 2 [0]CAROSELLO 2 [0] ARISTON 2 [0]CARISCH 2 [1] V.C.M. 1 [0]PHONOGRAM 1 [0]Clan Celentano 1 [0] VEDETTE 1 [0]BLUE BELL 1 [1];新Parade2 [0];新Interrecord 1 [0]; 新CDI 1 [1];新Tiffany 1 [1] ●不明 United Artists 1 [1]

 
 急遽出場が決まったジディウリにはレコードを作る時間もなく、クリストフのカラ・オケを使い、5分で録音したと言われています。モドゥーニョ、ジディウリ、クリストフの“青空に叫ぶ”を聞いた人の中では、クリストフの曲の出来が一番良かったという声が幾つも残されています。 “ミンモ”ドメニコ・モドゥーニョの傲慢が出たのだと言われています。
サンレモ優勝者の翌年は入賞出来ないようです。このモドゥーニョはじめ65年のボビー・ソロ、63年のトニー・レニス、エミリオ・ペリコーリ、61年のルチアノ・タヨーリなどが「ジンクス」とまではいきませんが参加曲にとどまりました。
 
 
<入賞曲>
7位 孤独な青春 Dove credi di andare (S.Endrigo)出版社 USIGNOLO <12> セルジョ・エンドリゴ (vm)  Sergio Endrigo Cetra – Fonit CetraSP-1324 [45] メモ・レミージ (vm) Memo Remigi Carosello – CaroselloCI-20180 [45]
 
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SP-1324           HIT-1421            CI-20180
 
 
8位 ピエートレ Pietre (D.Pieretti - R.Gianco) 出版社SCIASCIA <11> ジャン・ピエレッティ (vm) Gian Pieretti Vedette – VedetteVVN-33129 [45] アントワーヌ (vm=f) Antoine (Vogue - SAARJ-35127×45 [45]
 
VVN-33129イメージ 11 J-35127×45イメージ 12
 
 
9位 涙に咲く花 L'immensità Don Backy - Mogol - D.Mariano)出版社 CLAN < 9> ドン・バッキー (vm) Don Backy Clan Celentano – Clan CelentanoACC-24047 [45] ジョニー・ドレルリ (vm)  Johnny Dorelli (CGD - CGDN-9648 [45]
 
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N-9648イメージ 15 イメージ 16HIT-1424
 
 
10位 狂ったハ-ト Cuore matto (A.Ambrosino - T.Savio) 出版社 DURIUM <8>リトル・トニー (vm) Little Tony (Durium – DuriumLdA-7500 [45] マリオ・ゼリノッティ (vm) Mario Zelinotti CIRCUS – DuriumCNA-9230 [45]
 
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LdA-7500          JET-1740            CNA-9230
 
11位 この愛に生きて Io per amore (V.Pallavicini - P.Donaggio) 出版社 ACCORDO <5> ピノ・ドナッジォ (vm) Pino Donaggio Columbia – V.C.M.SCMQ-7038 [45] カルメン・ヴィラーニ (vf)  Carmen Villani Cetra – Fonit CetraSP-1325 [45]
 
SCMQ-7038イメージ 20 イメージ 21OR- 1672

SP-1325イメージ 22 イメージ 23HIT-1423
 
11位 夢の誓いPer vedere quanto grande è il mondo (Mogol - C.Donida) 出版社 R.R.RICORDI  <5>ウィルマ・ゴイク (vf) Wilma Goich (Ricordi – RicordiSRL-10447 [45] : ザ・バチェラーズ  (compl=e) The Bachelors  (Ricordi International – RicordiSIR-20041 [45]
 
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入賞曲の残りは次回に続く
 

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ソニ- & シェ- (Atlantic)    ジディウリ (Jolly)         ザ・ハプニングス (CDB INT.)
 
 
 2番目に紹介する初出場のレコード会社はティファニー(Tiffanyです。純粋なイタリアのマイナー・レーベルで、戦後期に一世風靡した歌手、バンドリーダーのマリーノ・マリーニが1962年に彼の妻と共に立ち上げたレーベルでした。看板歌手はニキー(彼の姪だと昔聞いた事がありましたが、確認できる資料はありません)、他にはトランペットのガストーネ・パリージやジョルジョ・ガーベルの奥さんオンブレッタ・コッリが一時所属していました。ニキーについては私の過去ブログ「ニキー(NIKY)をご存知ですか?」(http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/5730617.html をご覧ください。それに外国人で発売権を持っていたロス・ブラボースなどでした。10年後の72年マリーノ・マリーニがフォニット・チェトラの支配人となり、レーベルを閉鎖しています。
 
 
 
・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。
・順位をつけない入賞曲の頭には""を、参加曲の頭には""を付けます。
・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。
・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。