★ニコラ・ディ・バリ (vm) Nicola Di Bari
本名ミケーレ・スコッメーニャ (Michele Scommegna) 1940年9月29日長靴の足首辺りの飛びだした半島の付け根の南、小さな町ザッポネタ (Zapponeta)生、自作自演歌手。故郷の地名ザッポネタをペンネームとして作曲している事もある。
LPJ-5041
65年に初めてのアルバム(LP)が出ました。
LPJ-5041 (1965年 Jolly – SAAR) NICOLA DI BARI 30cm LP (Pro. & Orch. di Ezio Leoni)
1.AMICI MIEI (青春に恋しよう) 65年サンレモ音楽祭入賞曲
2.PIANGERÒ (ピアンジェロ) 65年カンタジーロ ジローネA12位
3.TU NON POTRAI CAPIRE (涙で終った恋) エディ・コクラン(Eddie Cochran)作、元曲不明。
4.AMO TE, SOLO TE (アモ・テ・ソロ・テ)
5.SENZA MOTIVO (恋を抱きしめたい)
6.PIANO... PIANINO (ピアノ・ピアニーノ)
7.AMORE RITORNA A CASA (アモーレ帰っておくれ) 元曲ベイビー、カム・オン・ホーム(BABY, COME ON HOME) ソロモン・バーク (Solomon Burke))
8.TI TENDO LE BRACCIA (リーチ・アウト REACH OUT FOR ME) ディオンヌ・ワーウィック (Dionne Warwick)
9.UNA COSA DI NESSUNA IMPORTANZA (秘密の恋)
10.NON FARMI PANGERE PIÙ (作曲がLen Mercerなので外国曲と思違いしますが、エンツォ・レオーニ(Ezio Leoni) の変名です)
11.STO TORNANDO DA TE (今夜は眠れないI Had Too Much To Dream Last Night)エレクトリック・プルーンズ (The Electric Prunes)
12.PERCHÉ TE NE VAI
66年のシングル盤は3枚
2.PIANGERÒ (ピアンジェロ) 65年カンタジーロ ジローネA12位
3.TU NON POTRAI CAPIRE (涙で終った恋) エディ・コクラン(Eddie Cochran)作、元曲不明。
4.AMO TE, SOLO TE (アモ・テ・ソロ・テ)
5.SENZA MOTIVO (恋を抱きしめたい)
6.PIANO... PIANINO (ピアノ・ピアニーノ)
7.AMORE RITORNA A CASA (アモーレ帰っておくれ) 元曲ベイビー、カム・オン・ホーム(BABY, COME ON HOME) ソロモン・バーク (Solomon Burke))
8.TI TENDO LE BRACCIA (リーチ・アウト REACH OUT FOR ME) ディオンヌ・ワーウィック (Dionne Warwick)
9.UNA COSA DI NESSUNA IMPORTANZA (秘密の恋)
10.NON FARMI PANGERE PIÙ (作曲がLen Mercerなので外国曲と思違いしますが、エンツォ・レオーニ(Ezio Leoni) の変名です)
11.STO TORNANDO DA TE (今夜は眠れないI Had Too Much To Dream Last Night)エレクトリック・プルーンズ (The Electric Prunes)
12.PERCHÉ TE NE VAI
66年のシングル盤は3枚
J-20346×45 (1966 年1月 Jolly – SAAR) Lei mi aspetta (彼女は待っている) /Ridi con me
J-20346×45
J-20358×45
J-20358×45
J-20358×45 (1966 年6月 Jolly – SAAR) 3.000 tamburi (恋にイエ・イエ) /La scommessa
J-20381×45
J-20406×45
J-20406×45
J-20406×45 (1967 年1月 Jolly – SAAR) Guardati alle spalle (太陽を燃やせ)/Judy (ジュディ)
1枚目は66年サンレモ音楽祭参加曲Lei mi aspetta (彼女は待っている)、2枚目が第5回カンタジーロのジローネAで13位になった曲3.000 tamburi (恋にイエ・イエ)で、3枚目は特に音楽祭に出た曲じゃないようです。最後が都市も変わって67年サンレモ音楽祭参加曲の“Guardati alle spalle (太陽を燃やせ)”でした。
ニコラ・ディ・バリはこのサンレモ参加曲を最後にジョリー(SAAR)を去り、RCAイタリアーナに移籍します。この移籍が彼にとって、開運の第一歩でったようで、一段と大きな成長を遂げます。
ニコラ・ディ・バリの国内盤
TRANSC0-9・2265 (1966年3月 TRANSCO -不明(キング?)) 25cm アセテート盤 5曲収録非売品
3.彼女は待っている (LEI MI ASPETTA)
3.彼女は待っている (LEI MI ASPETTA)
SLX3-1001(M)
TRANSC0-9・2265
TRANSC0-9・2265
SLX3-1001(M) (1966年10月10日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 3LP Box 豪華版サン・レモのすべて (TUTTE LE CANZONI DI SAN REMO)
3-6.青春に恋しよう (AMICI MIEI)
3-6.青春に恋しよう (AMICI MIEI)
HIT-1390 (1966年11月20日 SEVEN SEAS - キング) 恋にイエ・イエ (3000 TAMBURI)/彼女は待っている (LEI MI ASPETTA)
HIT-1390
SR- 114
SR- 114
SR- 114 (1967年4月20日 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP サンレモ・フェスティヴァル1967 (FESTIVAL DI SAN REMO 1967)
12.太陽を燃やせ (GUARDATI ALLE SPALLE)
12.太陽を燃やせ (GUARDATI ALLE SPALLE)
SR- 313~5 (1967年4月20日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 3LP Box カンツォ-ネ・スター大名鑑 (PANORAMA DI CANTANTI)
1-3.太陽を燃やせ (GUARDATI ALLE SPALLE)
1-3.太陽を燃やせ (GUARDATI ALLE SPALLE)
SR- 313~5
またの機会に(ニコラ・ディ・バリ3が)続きます
★ルチアーノ・トメイ (vm) Luciano Tomei
1946年5月7日ナポリ生、作曲家、歌手、ピアニスト。
1950年代にはラジオやテレビの子供番組に時折出演していました。その後、ナポリ・サン・ピエトロ・マジェラ音楽院でピアノと作曲を学びました。芸術的な個性は、歌のうまさでかなりの人気を集めて、作曲とピアノの勉強を止め、ポップ歌手としての道を選びました。
そしてエディビ(Edibi)に移籍し、64年にサンレモ音楽祭の出場権が得られるカラヴェッラ・ディ・バリ「成功の帆船」やカストロ・カーロ新人コンテスト(最終戦に残りました)などに参加しました。レコードデビューはナポリの老舗(1901年設立でイタリアで最初のレコード会社でもある)フォノタイプ(Phonotype)から“Clementine cherie”/“Un addio”をルチアーノ・トメイ&ロイズ(Luciano Tomei e i Lloyd's)としてでした。
66年サンレモ音楽祭の出場は、セルジオ・ブルーニ(Sergio Bruni)の代役で、“砂浜の想い出(Quando vado sulla riva)”を南米のトリオ・ロス・パラグァヨス (Trio Los Paraguayos)をパートナーで歌いました。
ナポリ音楽祭では66年第14回大会にイヴァ・ザニッキ(Iva Zanicchi)をパートナーに“私の欠点(Ma pecché!)”を歌い入賞していますし、68年第16回大会に“私の元に帰ると云って(Dimme CA tuorne a mme)”をナポリ音楽祭優勝経験者のヌンツィオ・ガロ (Nunzio Gallo)のパートナーとしてまた“紺碧のセレナード(Serenata Azzurra)”を同じく優勝経験者セルジオ・ブルーニと歌いましたが、今度は2曲とも入賞できませんでした。
エディビからシングル盤をサンレモ参加曲の1枚、2回のナポリ音楽祭の曲で2枚、もう1枚ナポリの曲で4枚のシングル盤を出しましたが、その後カンツォーネ歌手としての足取りが消えてしまいました。
それはルチアーノ・トメイがカンツォーネ歌手をやめ、再びナポリ・サン・ピエトロ・マジェラ音楽院にもどり、同窓のブルーノ・マッツォッタ(Bruno Mazzotta)と古典的な組成の研究をすすめ、同音楽院を卒業し、その後はクラシック・ピアノ演奏家、作曲家として大成しました。
ルチアーノ・トメイの国内盤はありません
★リカルド (vm=f) Ricardo
本名リカルド・アルノルド(Ricardo Arnoldo)1942年3月30日パリ (フランス)生。
RIV- 501
イタリアの曲芸師の息子としてうまれ、サーカス家族の環境の中で育ちました。歌手を目指し、苦労の末1962年にソロ・デビューします。66年イタリアでリヴィエラ(RIVIERA)が独立レーベルとし初めて発売される第1号としてディーン・マーティン(Dean Martin.)の“誰かが誰かを恋してる(EVERYBODY LOVES SOMEBODY)”のイタリア語版“Per ognuno c'è qualcuno sempre”でした。サンレモ音楽祭に出場はジーノ・パオーリ(Gino Paoli)のパートナーで“君は切り札(La carta vincente)”です。
本国フランスでは“マイ・マイ・マイ・ヴァレンティーナ(Mai, mai, mai, Valentina)”の仏語版“BYE, BYE, BYE... MOI JE RESTE”と“君は切り札”の仏語版“L'AMOUR NOUS PORTE CHANCE”の入ったEPやフランスではフランク・シナトラ(FRANK SINATRA)の“夜のストレンジャー(STRANGERS IN THE NIGHT)”の仏語版“Etrangers dans la nuit”も出しています。イタリアではもう1枚シングル盤“Solo più che mai(STRANGERS IN THE NIGHT - 夜のストレンジャー)”/“Benvenuto mio amore”を出した後名前が出なくなりました。
RIV- 513
リカルドの国内盤はありません