原稿は余裕を見て約1ヶ月前に書いています。65年分の音声ファイルもその時に探しはりつけており、ブログのアップに一応チェックで聞くのですが、今回アマゾンのサンプル・ファイルで相当数が最近の廃盤でリンク切れになりました。で、自作ファイルを急慮作ることになりました。
日本でもお馴染のウィルマ・ゴイクが新人歌手としてサンレモ音楽祭デビューをします。リコルディ再建を目指す新文芸監督ヴィンチェンツォ・ミコッチがボビー・ソロの次に期待をかけた新人で、見事にそれに応え、年間ランキング79位(週間ランク15位)になり、まずまずの成績でした。第15回で最高はピノ・ドナッジォの“この胸のときめきを”が年間ランク13位、ニュー・クリスティー・ミンストレルスの“花咲く丘に涙して”年間15位、ボビー・ソロの“君に涙とほほえみを”が16位の成績で、リコルディとしては成功したサンレモ音楽祭だったでしょう。



この大会のシングル盤のジャケット画像をみていただければ分かるのですが、CGDの外人歌手(伊東ゆかりも含めて)の総てカンパニー・スリーブでなんとも色気のない物を使っています。明らかに外人の曲があまり売れて欲しくないことを顕わにしているようです。
第15回 1965年1月28日(木)~30日(土) サンレモ市カジノ付属劇場
司会:マイク・ボンジョルノ (Mike Bongiorno)、マリア・グラツィア・スピーナ (Maria Grazia Spina)
楽団指揮: 19名の指揮者で演奏された。
オーガナイザー:サンレモ市ホテル観光協会 (ATA-Azienda Turistico Alberghiera)、監督ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)
形式:出場曲数24曲を各曲外国人歌手とパートナーを組み1曲2歌唱で第1夜、第2夜に12曲を歌い、2夜の中から12曲の入賞曲を選出し、第2夜終了後に一括して入賞曲を発表する。
楽団指揮: 19名の指揮者で演奏された。
オーガナイザー:サンレモ市ホテル観光協会 (ATA-Azienda Turistico Alberghiera)、監督ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)
形式:出場曲数24曲を各曲外国人歌手とパートナーを組み1曲2歌唱で第1夜、第2夜に12曲を歌い、2夜の中から12曲の入賞曲を選出し、第2夜終了後に一括して入賞曲を発表する。
出場歌手は44歌手(グループは1歌手)で、初出場34歌手(内外人18歌手)、出場レコード会社16社で初出場3社、外人歌手のみの出場会社3社(MELODICON、BLUE BELL、DECCA) [数]は外人歌手数
CGD 10 [6]; SAAR 7 [4]; RICORDI 6 [3]; FONIT CETRA 3 [0]; 新ARISTON 3 [2] ; MELODICON 3 [3]; RI FI 2 [0] ; V.C.M. 2 [1] ; DURIUM 1 [0] ; CARISCH (MRC) 1 [0] ;JUKE BOX 1 [0] ; CAROSELLO 1 [0] ; STYLE (旧PHONOCOLOR ) 1 [0]; 新JAGUAR 1 [0] ; BLUE BELL 1 [1];新DECCA 1 [1]
●不参加 RCA ITALIANA



<参加曲>
◆ミア・カーラMia cara (Mogol - P.Massara) 出版社 STARロベルティ-ノ (vm) Robertino (Carosello - Carosello) CI-20142 [45] : ダニエル・ジェラ-ル (vm=f) Daniel Gerard (Vogue (AZ) - SAAR) J-35060×45 [45]
CI-20142
J-35060×45


◆変わらぬ運命 Non a caso il destino (ci ha fatto incontrare) (Antartide - C.A.Rossi) 出版社 CALIFORNIA フランコ・トッツィ (vm) Franco Tozzi (FONIT – FONIT CETRA) SPF-31163 [45] : ジョニ-・ティロットソン (vm=a) Johnny Tillotson (MGM - CGD) K-2101 [45]
SPF-31163
FS- 33


K-2101
DM-1037


◆君を信じて (あなたを信じて) Ti credo (G.Amendola - P.Gagliardi) 出版社 MEC ペピ-ノ・ガリアルディ (vm) Peppino Gagliardi (Jolly - SAAR)J-20283×45 [45] : ティミ・ユ-ロ- (vf=a) Timi Yuro (Mercury - Melodicon) 127-177・MCF [45]



◆判っているのに Tu che ne sai? (A.Amurri - F.Pisano) 出版社 ALFIERE ファブリッツィオ・フェルレッティ (vm) Fabrizio Ferretti (RI FI – RI FI) RFN・NP-16076 [45] : ダスティ-・スプリングフィ-ルド (vf=e) Dusty Springfield (Philips – Melodicon) 363-699・PF [45]
RFN・NP-16076
363-699・PF


◆君の愛 Il tuo amore (B.Lauzi) 出版社 ARISTON ブル-ノ・ラウツィ (vm) Bruno Lauzi (Galleria del Corso - CGD) GC-0111 [45] : ケニ-・ランキン (vm=a) Kenny Rankin (CBS - RICORDI) 1344(CBS) [45]
GC-0111
1344(CBS)


◆恋に時を忘れて (あなたの最も美しい年) I tuoi anni più belli (Mogol - M.Gaspari - E.Polito) 出版社 TIBER イヴァ・ザニッキ (vf) Iva Zanicchi (RI FI – RI FI) RFN・NP-16075 [45] : ジ-ン・ピットニ- (vm=a) Gene Pitney (Musicor – CGD) MR-6013 [45]



以上第15回出場の24曲です



前年初めて外国人歌手をパートナーにすることになったので、イタリア人歌手の出場機会が半減し、相当な抵抗が出たようですが、ポール・アンカやジーン・ピットニーがイタリア語で歌い成功をおさめた結果、64年のサンレモ音楽祭全体のレコード売上げは史上最高の600万枚に達し、ジュークボックスや放送などの楽曲再生回数は3600万回になったと「サンレモのデータ本」に書かれていました。曲のターゲットも若者向けとなり、ベテラン歌手の不満も貯まっています。
65年にドメニコ・モドゥーニョは“天国の道化師(UN PAGLIACCIO IN PARADISO)”で出場を考えていたようですが、若者向けの曲の中で難し過ぎる曲として受け入れられませんでした。
SP-10・07

SP-10・07 (1965年 CURCI – CAROSELLO) UN PAGLIACCIO IN PARADISO (天国の道化師)/NO, BAMBINA MIA
モドゥーニョは事もあろうか不用意な発言をしてしまいました。62年の優勝曲“アディオ・アディオ(Addio, addio)”の事を言ったのでしょうが、「ビルラといえども、モドゥーニョの名前なしに、サンレモ音楽祭については語れないだろう(Senza i nomi di Villa e di Modugno non si puo' parlare di Festival)」という内容だったようです。これに彼らの所属するフォニット・チェトラの親会社の国営放送RAIは激怒したため、モドゥーニョは10年近く在籍したフォニット・レーベルを離れ、彼の楽曲を管理していたクルチ(CURCI)音楽出版の子会社カロセッロ(CAROSELLO)のクルチ・レーベルに移籍せざるを得ないような報復を受けたようです。
翌66年のサンレモ音楽祭にジリオラ・チンクェッティをパートナーとして“愛は限りなく(DIO, COME TI AMO)”を歌い4度目の優勝をしますが、この移籍はモドゥーニョにとって成功とは言えなかったようでした。
・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。
・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。
・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。
・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。