ボビー・ライデル (vm=a)  Bobby Rydell
本名ロバート・ルイ・リダレッリ(Robert Louis Ridarelli)1942年4月26日フィラデルフィア(アメリカ)生、アメリカの歌手、音楽家。
 
                    
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1950年、視聴者参加TV番組「Paul Whiteman's TV Teen Club」に出場し、最初の優勝者となり、レギュラー出演が決まりました。後にフィラデルフィアの地元のバンドに参加し、フランキーアヴァロン(Frankie Avalon)と一緒に活動し、十代のドラマーとして知られました。
そしてにカメオ(Cameo)と契約し、デビュー曲“キッシン・タイム(Kissin' Time)”が59年夏にヒットします。イタリアでも61年“ワイルド・ワン(Wild One)”が週間チャート4位、62年“スウェイ(SWAY)”が11位などヒットをとばし、“ボラーレ(VOLARE)”、“恋の村娘(THE WOODPECKER SONG)”などイタリアの曲も上手く取入れ、その実績で64年第14回サンレモ音楽祭に出場しました。
 63年にはエルヴィス・プレスリー(ELVIS PRESLEY)をモデルにしたと言われている映画「バイ・バイ・バーディー(Bye Bye Birdie)」で主演のアン=マーグレット(Ann-Margret)の恋人役として日本でも顔が知られたと思います。
 90年代になりフランキー・アヴァロン、ファビアン(Fabian)と組んで、ザ・ゴールデン・ボーイズ(The Golden Boys)を」結成し懐メロを(オールディーズ)を歌っていました。
所属レコード会社CameoCapitolReprise(アメリカ)
 
ボビー・ライデルの国内盤(イタリア関係)
JET-1049 (19624CAMEO - 日本ビクター) 青春スインギイン・スクール (SWINGIN SCHOOL)/ボラーレ (VOLARE)
 
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JET-1326 (19641CAMEO - 日本ビクター) 恋の村娘 (THE WOODPECKER SONG / REGINELLA CAMPAGNOLA [E])/かわいい女王さま (LITTLE QUEENIE)
 
JET-1399 (19647CAMEO - 日本ビクター) 小さなキッス (UN BACIO PICCOLISSIMO)/冬の思い出 (L'INVERNO COSA FAI?)
 
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SJET- 205 (19648CAMEO - 日本ビクター) ボビー・カンツォーネを歌う (BOBBY SINGS ITALIAN SONGS)
.小さなキッス (UN BACIO PICCOLISSIMO)
.冬の思い出
(L'INVERNO COSA FAI)
.ナポリの夜 [英] (VOCE DE LA NOTTE)
.恋の村娘 (HE WOODPECKER SONG / REGINELLA CAMPAGNOLA [E])
 
SJET-7532 (196410CAMEO - 日本ビクター) ボビー・ライデルのすべて (THE BEST OF BOBBY RYDELL)
.恋の村娘 (HE WOODPECKER SONG / REGINELLA CAMPAGNOLA [E])
.小さなキッス (UN BACIO PICCOLISSIMO)
.ボラーレ (VOLARE)
 
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SJET-7546 (196411CAMEO - 日本ビクター) ヒット・パレードをききましょう (BRILLIANT HIT SONGS PARADE)
.小さなキッス (UN BACIO PICCOLISSIMO)
 
 
 
 
ピエロ・フォッカチャ (vm) Piero Focaccia
1944年2月5日サン・マリノの北30kmアドリア海沿いの都市チェルヴィア(Cervia)生、歌手。 
         
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父トマッソと母マリアの間に生まれました。アドリア海のリヴィエラと呼ばれるリヴィエラ・ロマーニャ(riviera romagnola)のストリート・イベントで歌手活動を始めました。CGD と契約し、1962年にデビューしました。63年ミーナと共作となった“太陽の海(STESSO SPIAGGIA, STESSO MARE)” は彼の最大のヒット曲となりました。
64年サンレモ音楽祭の初参加で作者のジーン・コロンネルロも入賞すると思っていた“冬の思い出(L'INVERNO COSA FAI)”が参加曲に終わります。その後71年、74年サンレモ音楽祭に出場しますが入賞出来ませんでした。74年は初めて新人部門が設けられたのですが、「10年以上選手」でありながら、新人部門で出場しています。
彼自身ユニークな存在のようで、フランスのアントワーヌ(Antoine)的な存在と思われます。70年にフランスのバークレイ(BARCLAY)のイタリア子会社ラーレ(RARE)に移籍し、夏のディスク・フェスティヴァルの“奥様失礼(PERMETTE SIGNORA)”が入賞しヒット、翌71年は“Zacchete72Il sabato a ballare”、73年“Girotondo”を歌っています。
 
所属レコード会社は62~70年CGD、70~73年 RARE、74年 ARISTON、76年REAL MUSIC
 
ピエロ・フォッカチャの国内盤
MH- 203 (19657SEVEN SEAS - キング) 30cm LP一緒にカンツォ-ネを歌おう第5集 (LE PIU' BELLE CANZONI Vol.5)
.太陽の海 (STESSO SPIAGGIA, STESSO MARE)
 
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GW- 11920 (197151SEVEN SEAS - キング) 30cm 2LP第21回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1971)
1-12.
聖アントニオ、聖フランシスコ (SANTO ANTONIO, SANTO FRANCISCO)
 
GP- 328 (19745SEVEN SEAS - キング) 30cm LPさよならも言わずに/サンレモ1974 (SAN REMO 1974)
.ヴァレンティン・タンゴ (VALENTINTANGO)
 
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アントニオ・プリエート (vm=cl) Antonio Prieto
本名ファン・アントニオ・エスピノーサ・プリエート(Juan Antonio Espinoza Prieto1927年5月26日チリの最北部の都市イキケ(Iquique)生、2011年7月14日チリの首都サン・チャゴ没、チリの俳優、歌手。
 
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1949年チリの首都サン・チャゴで有名なラジオ番組に出場し、たちまち人気者になりました。53年スペインのセリビア・カジノ楽団の歌手となります。その後、主にアルゼンチンで歌手活動をし、57年アルゼンチンで映画「Violetas imperiales」の主題歌を歌い、ラテン・アメリカ諸国でヒット、名前を知られます。
58年に兄ホヮキン・プリエート(Joaquin Prieto)が作曲し、60年代初めに彼が歌った“ラ・ノビア(涙の結婚 La novia)”が世界的ヒットで、61年アルゼンチン映画にもなります。また64年イギリスのジュリー・ロジャースがカヴァーし“涙のウェディング・ベル(THE WEDDING)”とし全英第1位、米国ビルボード・ホット100の第10位にもなり、英語圏でも受入れられました。イタリアではトニー・ダララ(TONY DALLARA)がカヴァーし大ヒットとなり、日本に入りました。そういう理由で日本ではカンツォーネと思われていました。
彼のサンレモ音楽祭は64年のみです。
 
アントニオ・プリエートの国内盤
SS-1338 (19637 VICTOR - 日本ビクター) ラ・ノビア西 (LA NOVIA [S])ひみつ西 (EL SECRETO / IL SEGRETO [S])
 
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SS-1435 (19645 VICTOR - 日本ビクター) 悲しみのママ (IERI HO INCONTRATO MIA MADRE) アントニオ・プリエート (Antonio Prieto)ジノ・パオ (Gino Paoli)
 
※“ひみつ” イタリアと日本のカヴァー盤
SS-1374 (1963615 VICTOR - 日本ビクター) メヌエット・ツィスト (MINUETTO TWIST)/ひみつ (IL SEGRETO) ロズィー (ROSY (vf))/アンナ・マリア (ANNA MARIA (vf))
 
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SPV-  30 (196411VICTOR - 日本ビクター) シェルブ-ルの雨傘 [] (LES PARAPLUIES DE CHERBOURG [J]) /ひみつ[日] (IL SEGRETO [J]) 松尾和子 (KAZUKO MATSUO (vf=j))