★エンニオ・サンジュスト (vm) Ennio Sangiusto
本名エンニオ・レッジェンテ(Ennio Reggente)1937年9月22日トリエステ生、イタリア、スペインの歌手。

故郷で歌、音楽、ダンス、学びダンサーとしてキャリアを始めました。1959年RAIのトリエステ放送局でメロディアスな歌手として働いていました。62年アメリカから入って来たツィストなどのリズムがイタリアで大旋風を巻き起こしている頃、彼はフランスのマルセイユで、イタリア独自で解釈したツィストやアメリカのリズムの曲をしていました。
63年一度だけのサンレモ音楽祭の出場で2曲歌いましたが入賞しませんでした。その後、活動の場をスペインに移し、ベントラーからレコードを出します。70年第1回東京国際歌謡音楽祭(その後ヤマハ世界歌謡祭に改名)にアルゼンチン代表として“君が忘れられない(NO PUDE OLVIDARTE)”を歌いました。
70年当時、私はアルゼンチンはイタリア移民も多く、同姓同名の歌手だと思っていました。今回調べている内に、東京国際歌謡音楽祭のLPにある英文の紹介には出生地がトリエステになっており、同一人物であることに40年経って気が付きました。
所属レコード会社は60年Astraphon、61~65年Meazzi、BELTER(Spain)
エンニオ・サンジュストの国内盤
IS-1069 (1962年9月30日 MEAZZI – キング) スピ-ディ-・ゴンザレス [伊] (SPEEDY GONZALES [I])/海賊ロック (IL PIRATA) エンニオ・サンジュスト (vm) と ケント、{イ・} (I KENT (compl))
IS-1069

JET-2031 (1972年2月25日 VICTOR – 日本ビクター) 君が忘れなれない (NO PUDE OLVIDARTE)/シャ・ラ・ラ [日] (SHA LA LA [J])
JET-2031
SWG- 7223


SWG- 7223 (1972年2月25日 VICTOR – 日本ビクター) 30cm LP 第1回東京国際歌謡音楽祭 (THE 1st TOKYO INTERNATIONAL POPULAR SONG FESTIVAL)
1.君が忘れなれない (NO PUDE OLVIDARTE)
★クァルテット・ラダール (coro) Quartetto Radar
・ クラウディオ・チェリ(Claudio Celli)、1929年2月17日フィレンツェ生。歌手、作詞家、俳優、レコード・プロデューサー。ベティ・クルティス(Betty Curtis)と結婚しました。バリトン
・ ジャンニ・グアルニエリ(Gianni Guarnieri)本名ジャンルイジ・グアルニ(Gianluigi Guarnieri)、1921年3月8日(26年説もあり)~不明 フィレンツェ生・没。歌手、作曲家、画家。クァルテット・ラダールの創設者。バス
・ ディノ・コモッリ(Dino Comolli)1929年ミラノ生。テナー
・ ステリオ・スセッテパッシ(Stelio Settepassi)1925年ローマとジェノヴァの中間でコルシカ島の対岸にある中都市グロッセート生。トップ・テナー
の4人で構成されるボーカル・グループ。先輩格のクァルテット・チェトラ(Quartetto Cetra)は男声3人、女性1人の構成でしたが、スタイルとレパートリーは類似していました。

1950年代後半で活動を開始します。61年ナポリ音楽祭第9回秋の特別祭で参加曲ながら“たつのおとしご(CAVALLUCCIO 'E MARE)”を歌い注目されます。62年にアニタ・トラヴェルシ(Anita Traversi)と歌った“Un passo avanti (One Step Ahed)”はストッキングのCMに使われました。
63年唯一のサンレモ音楽祭に出場し2曲歌いましたが入賞しませんでした。アリストンに所属していた69年に解散しそれぞれの音楽活動を始めます。
所属レコード会社は50年代CGD、57~58年Durium、58年Italdisc、61~63年CGD 69年 Ariston
クァルテット・ラダールの国内盤
IF- 5 (1962年2月10日 CGD – キング) 25cm LPナポリ民謡祭 (FESTVAL DI CANZONE NAPOLITANA 1961)
4.告白者 ('O CONFESSORE)
7.たつのおとしご (CAVALLUCCIO 'E MARE)
4.告白者 ('O CONFESSORE)
7.たつのおとしご (CAVALLUCCIO 'E MARE)
IF- 5
JET-7086


JET-7086 (1962年11月 TOP RANK – 日本ビクター) 30cm LP追憶のアメリカ映画主題歌集 (AMERICAN SCREEN MEMORIES)
5.OK牧場の決闘 [伊] (O.K. CORRAL [I])
6.ママ・ギター [英] (MAMA GUITAR [E])
11.日のあたる島 [英] (ISLAND IN THE SUN [E])
12. カリーナ (CARINA)
13. クライ・ミー・ア・リバー [英] (CRY ME A RIVER [E])
5,12クァルテット・ラダール (coro); 6フロ-・サンドンス (FLO' SANDONS (vf)) と クァルテット・ラダ-ル (coro); 11,13ビッキ-・ヘンダ-ソン (VICKIE HENDERSON (vf)) と クァルテット・ラダ-ル (coro)
5.OK牧場の決闘 [伊] (O.K. CORRAL [I])
6.ママ・ギター [英] (MAMA GUITAR [E])
11.日のあたる島 [英] (ISLAND IN THE SUN [E])
12. カリーナ (CARINA)
13. クライ・ミー・ア・リバー [英] (CRY ME A RIVER [E])
5,12クァルテット・ラダール (coro); 6フロ-・サンドンス (FLO' SANDONS (vf)) と クァルテット・ラダ-ル (coro); 11,13ビッキ-・ヘンダ-ソン (VICKIE HENDERSON (vf)) と クァルテット・ラダ-ル (coro)




クラウディオ・チェリ ジャンニ・グアルニエリ ディノ・コモッリ ステリオ・セッテパッシ
○クラウディオ・チェリ(Claudio Celli) バリトン
ミラノに来て俳優となり、その経験を生かしクァルテット・グラツィエ(Quartetto Grazi)の振付師をしていました。美しいバリトンの声をベティー・クルティス(Betty Curtis)に認められ、ラダールに加入し、クァルテットの振付や作詞が担当で56年にデビューしました。クルティスとは翌57年に結婚をします。
作詞家として74年第24回サンレモ音楽祭新人部門入賞曲、ヴァレンティーナ・グレコ(Notte dell'estate)が歌った“夏の夜(Notte dell'estate)”、翌75年参加曲、パオラ・フォルツィーニ(Paola Folzini)の“経理士(Il ragioniere)”を出品しています。
○ジャンニ・グアルニエリ(Gianni Guarnieri) バス
ヴェネチア出身の祖父、伯父も音楽家で指揮者、作曲家、チェリストの巨匠アントニオ グアルニ(Antonio Guarnieri)を父に、女優アンナ・マリア(Anna Maria)を母として芸術家一族の中に生まれました。クァルテットでは作・編曲家を担当していました。
作曲家としてサンレモ音楽祭の66年“ウィーンのバラ(Una rosa da Vienna)”、72年“すてきだったあの人(Era bello il mio ragazzo)”、73年“ふたりだけの旅(Mi son chiesta tante volte)”の3曲をアンナ・イデンティチ(Anna Identici)に提供しました。
○ディノ・コモッリ(Dino Comolli) テナー
医師になるため勉強していましたが、クァルテット・ラダールに参加しました。結婚したニニ・コモッリ(Nini Comolli)が児童合唱団を主宰していたので、合唱団に楽曲の提供をして奥さんに協力していました。
○ステリオ・スセッテパッシ(Stelio Settepassi) トップ・テナー
南米音楽に傾倒していました。絶対音感と「鋼鉄」の記憶の持ち主で、クァルテットの中で一番のヴォーカリストでした。