前々回クラウディオ・ビルラ(http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/7978551.html)、前回クラウディオ・ビルラ2(http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/8259741.html)の続きです
★クラウディオ・ビルラ(Claudio Villa)
本名クラウディオ・ピカ(Claudio Pica)1926 年1月1日ローマ生、1987年2月7日パドヴァ没。

1955年のサンレモ音楽祭出場はヴィス・ラディオ(Vis Radio)からでしたが、57年出場直前にフォニット・チェトラに移籍し70年まで11回、最後の82年はAR-Alfa Recrodsから出場し、全13回と57年の特別祭1回の出場で28曲歌っています。
60年のサンレモ音楽祭は不参加で、翌61年に復帰しましたが“十二月の海(Mare di dicembre)”1曲だけで参加曲に終わります。またパートナーのセルジョ・レンダ (Sergio Renda)のレコードも製作されたのですが、トラブルで原盤もレコードも発売されず廃棄されたようです。61年の曲はビルラの経歴上もほとんど無視されています。
フォニット・チェトラにとってもこの年は新人ミルバが活躍しただけで、他の旧来型の歌手はいずれも惨敗で、62年のサンレモ音楽祭には背水の陣で臨みます。フォニット・チェトラは、チェトラ・レーベルの看板クラウディオ・ビルラとフォニット・レーベルの看板ドメニコ・モドゥーニョのペアで絶対勝利をもくろみます。「保守と革新の妥協」と言われますが、見事にこの作戦は的中しました。レコード・セールスはやはり作者のモドゥーニョが上だったようです。
低迷していたビルラでしたが、翌63年のサンレモ音楽祭では2曲中2曲が入賞しましスランプを脱しましたが、スランプの間活路を外国に求め積極的に海外ツアーに勤しみます。その結果予定外の来日もあり、日本へのカンツォーネ親善大使の役割を果たし、初期のカンツォーネ・ファンを開拓しました。
クラウディオ・ビルラとミルバの国内盤
FLP-12 (1962年7月25日 FONIT -テイチク) 25cm LP 第12回サンレモ歌の祭典(1962)第2集 (XII FESTIVAL DELLA CANZONE SANREMO 1962 Vol.2)
1.タンゴ・イタリアーノ (TANGO ITALIANO)
2.四月の風が吹く時 (QUANDO IL VENTO D'APRILE)
5.アディオ・アディオ (ADDIO, ADDIO)
1.タンゴ・イタリアーノ (TANGO ITALIANO)
2.四月の風が吹く時 (QUANDO IL VENTO D'APRILE)
5.アディオ・アディオ (ADDIO, ADDIO)
7. 今夜ルナ・パルクで (STANOTTE AL LUNA PARK)
1、7 ミルバ; 2、5 クラウディオ・ビルラ
FLP-12
FLP-17


FLP-17 (1963年6月10日 FONIT -テイチク) 25cm LP 第13回サンレモ「歌の祭典」(1963年) (XIII FESTIVAL DELLA CANZONE SANREMO (1963))
2.リコルダ (RICORDA)
2.リコルダ (RICORDA)
3.黒い瞳に青い空 (OCCHI NERI E CIELO BLU)
5.恋のトラブル (NON SAPEVO)
5.恋のトラブル (NON SAPEVO)
6.恋人、私の恋人 (AMOR, MON AMOUR, MY LOVE)
2、5 ミルバ; 2、5 クラウディオ・ビルラ
FS- 24 (1963年7月15日 FONIT -テイチク) 恋人、私の恋人 (AMOR, MON AMOUR, MY LOVE)/黒い瞳に青い空 (OCCHI NERI E CIELO BLU) クラウディオ・ビルラ
HIT- 63 (1963年7月 CORLAR - キング) ルナ・ロッサ (LUNA ROSSA)/アリヴェデルチ・ローマ (ARRIVEDERCI ROMA) クラウディオ・ビルラ
HIT- 96 (1963年8月 CORLAR - キング) アモール、モン・アムール、マイ・ラヴ(AMOR, MON AMOUR, MY LOVE)/アディオ・アディオ (ADDIO, ADDIO) 原盤FONIT CETRA,Italy クラウディオ・ビルラ
HIT- 96
EB-7231


EB-7231 (1963年9月1日 KING - キング) アモール、モン・アムール、マイ・ラヴ [日](AMOR, MON AMOUR, MY LOVE [J])/ラ・ノビア (LA NOVIA) 原盤KING,Japan クラウディオ・ビルラ
※ 日本録音盤アルバム SKJ- 6、KC-3008、SH- 134 「ビルラ・イン・トウキョウ」、SR- 137「日本のビルラ」とMH- 57(D)「クラウディオ・ビルラのすべて」は、
私の過去ブログ2013年1月3日 「サンレモの歌手たち 20 クラウディオ・ビルラ(2)」 (http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/8259741.html)をご覧ください。
HIT- 227 (1963年11月 SEVEN SEAS - キング) グラナダ [伊] (GRANADA [I])/メキシコ (MEXICO) クラウディオ・ビルラ
HIT- 227
MH- 141


MH- 141 (1964年2月 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP カンツォーネを聞こう第1集 (CANZONE! CANZONE! CANZONE! Vol.1)
1.オ・ソレ・ミオ ('O SOLE MIO)
2.ロ-マのギタ- (CHITARRA ROMANA)
3.ロビ-の子守唄 (SUONATA PER ROBY)
4.ドゥルミ (DURMI')
5.メキシコ [伊] (MEXICO [I])
6.マレキア-ロ、マレキア-ロ (MARECHIARO MARECHIARO)
7.アモ-ル、モン・アム-ル、マイ・ラヴ (AMOR, MON AMOUR, MY LOVE)
8.タンゴ・イタリア-ノ (TANGO ITALIANO)
9.ミロ-ル [伊] (MILORD [I])
10.フラメンコ・ロック (FLAMENCO ROCK)
11.知らなかった (NON SAPEVO)
12.リ-ベライ [伊] (LIEBELEI [I])
13.5時から7時までのクレオ [伊] (CLEO DALLE CINQUE ALLE SETTE)
14.残酷なタンゴ (CRUDELE TANGO)
1~7 クラウディオ・ビルラ; 8~14 ミルバ
2.ロ-マのギタ- (CHITARRA ROMANA)
3.ロビ-の子守唄 (SUONATA PER ROBY)
4.ドゥルミ (DURMI')
5.メキシコ [伊] (MEXICO [I])
6.マレキア-ロ、マレキア-ロ (MARECHIARO MARECHIARO)
7.アモ-ル、モン・アム-ル、マイ・ラヴ (AMOR, MON AMOUR, MY LOVE)
8.タンゴ・イタリア-ノ (TANGO ITALIANO)
9.ミロ-ル [伊] (MILORD [I])
10.フラメンコ・ロック (FLAMENCO ROCK)
11.知らなかった (NON SAPEVO)
12.リ-ベライ [伊] (LIEBELEI [I])
13.5時から7時までのクレオ [伊] (CLEO DALLE CINQUE ALLE SETTE)
14.残酷なタンゴ (CRUDELE TANGO)
1~7 クラウディオ・ビルラ; 8~14 ミルバ
HIT-1008 (1964年3月 SEVEN SEAS - キング) フラメンコ・ロック (FLAMENCO ROCK)/ノビアの嘆き (LA RISPOSTA DELLA NOVIA) ミルバ
HIT-1009 (1964年3月 SEVEN SEAS - キング) ローマのギター (CHITARRA ROMANA)/メロビーの子守歌 (SUONATA PER ROBY) クラウディオ・ビルラ
HIT-1023 (1964年3月 SEVEN SEAS - キング) リコルダ(RICORDA)/タンゴ・イタリアーノ (TANGO ITALIANO) ミルバ
HIT-1023
HIT-1024


HIT-1024 (1964年3月 SEVEN SEAS - キング) たった一つの理由 (L'UNICA RAGIONE)/愛するヴェニス (VENEZIA T'AMO) ミルバ
17M-1002 (1964年3月20日 SEVEN SEAS - キング) 17cm CP ラ・ノビア(泣きぬれて)(LA NOVIA) クラウディオ・ビルラ
1.ラ・ノビア (LA NOVIA)
2.忘れな草 (NON TI SCORDAR DI ME)
3.オ・ソレ・ミオ ('O SOLE MIO)
4.アディオ・アディオ (ADDIO, ADDIO)
1.ラ・ノビア (LA NOVIA)
2.忘れな草 (NON TI SCORDAR DI ME)
3.オ・ソレ・ミオ ('O SOLE MIO)
4.アディオ・アディオ (ADDIO, ADDIO)
17M-1002
HIT-1028


HIT-1028 (1964年4月 SEVEN SEAS - キング) 恋のあしおと(PASSO SU PASSO)/真夜中の終列車 (L'ULTIMO TRAM (A MEZZANOTTE)) クラウディオ・ビルラ/ミルバ
前回 2013年3月8日 「サンレモの歌手たち 39 ミルバ 1」(http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/8790817.html)の続きです。
★ミルバ (vf) Milva
本名マリア・イルヴァ・ビオルカーティ(Maria Ilva Biolcati)、1939年7月17日ポー河の河口近くの小さな漁村ゴーロ(GORO) 生、歌手・女優。

62年サンレモ音楽祭の後、春にエンニオ・モリコーネが作った“四つの衣装(Quattro vestiti)”が大成功、カンツォニッシマは前年61年“恋の朝(IL PRIMO MATTINO DEL MONDO)を歌い4位となりましたが、62年はヒットした“嫉妬のタンゴ(TANGO DELLA GELOSIA)”を歌いました。また6月のカンタジーロでは“ノビアの嘆き(La risposta della novia)”で参加しています。
63年のサンレモ音楽祭の後産休に入り、長女マルティーナを10月6日に出産、その後間もなく64年サンレモ音楽祭に出場します。日本初のTV放映されたサンレモ音楽祭でご存知でしょうが、この年から外人とのパートナー制となりました。ミルバはイタリア系のフリータ・ボッカーラ(Frida Boccara)と“真夜中の終列車(L'ultimo tram (a mezzanotte))”を歌いましたが入賞できません。若者向けの曲が圧倒的で、大人の歌は大敗しました。
クラウディオ・ビルラ4、 ミルバ 3はまたの機会に続きます。