★エドアルド・ヴィアネッロ (vm) Edoardo Vianello
1938年6月24日ローマ生、自作自演歌手。71年から80年までウィルマ・ゴイク(Wilma Goich)と夫婦のデュエット・チーム、ヴィアネラ(I Vianella)で活動。

父は未来詩人アルベルト・ヴィアネッロ(Alberto Vianello)。いとこは有名は俳優ライモンド・ヴィアネッロ(Raimondo Vianello)、叔父はジャーナリスト、TV司会者アンドレア・ヴィアネッロ(Andrea Vianello)でした。子供頃から父が彼の妹に与えたアコーディオンを弾き始め、そして作曲のマネをしていました。
彼は会計の学生で、近所の幾人かでバンド作りギターを始めました。1956年4 月22日、公に歌手デビューしたのは、後にフラミニオ劇場と呼ばれるローマ・オリンピコ劇場でした。
彼は会計の学生で、近所の幾人かでバンド作りギターを始めました。1956年4 月22日、公に歌手デビューしたのは、後にフラミニオ劇場と呼ばれるローマ・オリンピコ劇場でした。
彼のいた会計学校の学生達はアメリカのゴールデン・ゲート・クァルテットを真似たネグレッティ(Negretti)というバンドで“ジェリコ(Jerico)”や無名にちかいモドゥーニョが作った同年サンレモ音楽祭の曲“ミュゼット(MUSETTO)”を歌った時でした。
その後、リナ・ヴォローギ、アルベルト・リオネッロとラウレッタ・マシエロの仲間として、ピエロ・ウミリアーニとエンニオ・モリコーネが音楽を担当した二つの演劇「Mare e Whisky(海とウイスキー)」(グイド・ロッカ作)と「Il Lieto Fine(ハッピー エンド)」(ルチアーノ・サロエ作)で俳優、歌手活動に専念しました。
ある夜、地方で歌っているところをRCAレコードの社員に認められました。一つ返事で契約が決まり、59年にデビュー・シングル“彼女を見てごらん(Ma guardatela)”が発売されます。数ヵ月後、映画「バレン(Ombre bianche)」に触発された“二人のエスキモ-(Siamo due esquimesi)”も出されました。
IS-1013
これらのヒットで61年サンレモ音楽祭に自作で初出場、66年(8位)、67年(参加)の3度出場をしました。61年の“何て冷たい”は参加曲でしたが、ミーナやクラウディオ・ビルラにも歌われ、彼の名前は知られるようになりました。
61年には“髪(Il capello)”もヒットしました。振付師で司会者のドン・ルリオ(Don Lurio)とドイツのケスラー・シスターズ(le Gemelle Kessler)のTVショウ番組で紹介され、ベスト・セラーになりました。
62年夏に“水中メガネと鉄砲と水かき(Pinne fucile e occhiali)”がモリコーネのチャ・チャ・チャと水の泡音を入れた編曲が受けてチャート2位までになり、カップリングした“ゆれているのを見てごらん(Guarda come dondolo)”も遂にナンバー・ワン・ヒットになりす。
彼の曲はツィスト、サーフィン、ハリ・ガリーとチャ・チャ・チャを使い軽妙でユーモラスで、ヒットが続きます。63年は“恋のシーズン・オフ(ABBRONZATISSIMA)”がチャート第1位、“イ・ワッシ(I Watussi)”も3位の大ヒットとなりました。
64年も従来路線で第3回カンタジ―ロのジローネA(スター部門)8位の“Tremarella(トレマレッラ)”、“Hully gully in dieci(10のハリ・ガリー)”の他に、珍しくバラード系の“私の主人(O mio Signore)”がチャート第1位となります。落ち着いた曲相の“心からお詫びを...(Umilmente ti chiedo perdono)”、フランスのエルヴェ・ヴィラール(HERVE VILARD)もカヴァーした“君を呼ぶ声(Da molto lontano)”があります。
FL- 1213
それにつれ大ヒットも影を潜め、65年は第4回カンタジーロ、ジローネA10位の“Il peperone(とうがらし)”がチャート12位になるくらいでした。しかも66年に深刻な交通事故を起こし、歌手活動は休止状態になります。これを境にサブ・レーベルのアーク(ARC)に移動しました。
エドアルド・ヴィアネッロの国内盤
HP-559 (1963年VICTOR - 日本ビクター) 25cm LP イ太陽の下の18才~ヒット・スクリン・テーマ集 (DICIOTTENNI AL SOLE~HIT SCREEN)
5.ゆれているのを見てごらん (GUARDA COME DONDOLO)
10.水中メガネと鉄砲と水かき (PINNE, FUCILE ED OCCHIALI)
10.水中メガネと鉄砲と水かき (PINNE, FUCILE ED OCCHIALI)
HP-559
RA-5251
RA-5251
RA-5251 (1963年7月 VICTOR - 日本ビクター) 30cm LP イタリアの愛のムード (ITALIAN MOODS)
4.本当に許しておくれ (UMILMENTE TI CHIEDO (PERDONO))
SS-1384 (1963年12月 VICTOR - 日本ビクター) 恋のシーズン・オフ (ABBRONZATISSIMA)/街角のツィスト (TWIST DEI VIGILI)
SS-1384
RA-5308
RA-5308
RA-5308 (1964年3月 VICTOR - 日本ビクター) 30cm LP歌え!太陽!イタリアン・ソング・フェスティバル (CANTARE MIO SOLE)
10.恋のシーズン・オフ (ABBRONZATISSIMA)
SS-1441 (1964年6月 VICTOR - 日本ビクター) ひと夏の恋 (QUANDO FINISCE L'ESTATE)/水中メガネと鉄砲と水かき (PINNE, FUCILE ED OCCHIALI) ロズィー (ROSY (vf))/エドアルド・ヴィアネッロ
SS-1441
SS-1451
SS-1451 (1964年7月 VICTOR - 日本ビクター) イ・ワッシ (I WATUSSI)/私の主人 (HO MIO SIGNORE)
SHP-5337 (1964年8月 VICTOR - 日本ビクター) 30cm LP太陽! 恋! 歌! (FESTIVAL IN CASA)
7.私の主人 (O MIO SIGNORE)
SHP-5337
SCP-1101
SCP-1101
SCP-1101 (1964年9月 VICTOR - 日本ビクター) 17cm CP 愉快な男/エドアルド・ヴィアンネルロ (EDOARDO VIANELLO)
1.イ・ワッシ (I WATUSSI)
2.ゆれているのを見てごらん (GUARDA COME DONDOLO)
3.おデブのチャチャ (CICCIONA CHA CHA)
4.恋のときめき (THI HO CONOSCIUTA)
2.ゆれているのを見てごらん (GUARDA COME DONDOLO)
3.おデブのチャチャ (CICCIONA CHA CHA)
4.恋のときめき (THI HO CONOSCIUTA)
SHP-5390 (1964年12月 VICTOR - 日本ビクター) 30cm LP 男のつぶやき (QUATRO VOCI NUOVE DLL'ITALIA)
8.彼女を見てごらん (MA GUARDATELA)
9.心からお詫びを... (UMILMENTE TI CHIEDO PERDONO)
10.観光ガイド (IL CICERONE)
11.二人のエスキモ- (SIAMO DUE ESQUIMESI)
9.心からお詫びを... (UMILMENTE TI CHIEDO PERDONO)
10.観光ガイド (IL CICERONE)
11.二人のエスキモ- (SIAMO DUE ESQUIMESI)
SHP-5390
TRANSC0-9・2265
TRANSC0-9・2265 (1966年3?月 TRANSCO -不明(キング?)) 25cm アセテート盤 試聴用非売品
4.愛の言葉 (PARLAMI DI TE)
またの機会に(エドアルド・ヴィアネッロ2が)つづきます
★シルヴィア・グイディ (vf) Silvia Guidi
本名エルシリア・グイデッティ(Ersilia Guidetti)、1935 年 12 月 9 日、ボローニャの北隣の小都市チェント(Cento)生、60年代初頭の歌手。
1950年代半ばタイピストをやめアコーディオン・バンドで歌い始め、クルーズ船の歌手をし、フォンタナと契約しました。
サンレモ音楽祭には61年、62年連続出場しましたが何れも参加に終わります。TV番組の出演やフォンタナ、フィリップスに多くの曲を残しましたが、60年代半ばビートニックな曲が主流になったことを悟り、引退をしました。
所属レコード会社は1961~62年 Fontana(Philips)、64年Grundig,、66年Arlecchino