1989年のサンレモ音楽祭にチンクェッティは“チャオ”で出場し、その後の「世界ツアー」でサンレモのメンバーの一行としてですが6回目の来日を果たしました。またアルバムのCD化が進み、この年の秋には3枚の国内盤CDアルバムが発売されました。
250E-52037 (1989年11月5日 SEVEN SEAS – KING, Japan) ジリオラ・チンクェッティ・ベスト・ヒッツ (GIGLIOLA CINQUETTI BEST HITS)

1夢みる想い (NON HO L'ETA' (PER AMARTI))
2はじめてのキッス (IL PRIMO BACIO CHE DARO)
3愛はすぐそこに (CARO COME TE)
4ナポリは恋人 (NAPOLI, FORTUNA MIA)
5アネマ・エ・コ-レ (ANEMA E CORE)
6あこがれはいつも心に (HO BISOGNO DI VEDERTI)
7愛は限りなく (DIO, COME TI AMO)
8夕べのしあわせ (SERA)
9雨 (LA PIOGGIA)
10.落葉の恋 (COME UNA FOGLIA)
11.ロマンティコ・ブルース (ROMANTICO BLUES)
12.白いバラ[伊] (LADY D'ARBANVILLE [I])
13.薔薇のことづけ (ROSE NEL BUIO)
14.恋よまわれ (GIRA L'AMORE)
15.ふしぎな気持 (MISTERO)
16.太陽のとびら (ALLE PORTE DEL SOLE)
チンクェッティの歌う山の歌のアルバム2枚が1枚のCDに収められて再発売されました。
260E-52073 (1989年12月21日 SEVEN SEAS – KING, Japan) ジリオラ・チンクェッティ/高原に歌う・故郷の山に歌う (CANTANDO CON GLI AMICI/SU E GIU' PER LE MONTAGNE)

2枚のアルバムを収録しています。前半が SR- 707 (1971年11月SEVEN SEAS – KING, Japan) “ジリオラ・チンクェッティ高原に歌う (CANTANDO CON GLI AMICI)”
曲目はジリオラ・チンクェッティ~アルバム・コレクション(6) http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/6338812.html を、後半がSR- 818 (1973年4月SEVEN SEAS – KING, Japan) “故郷の山に歌う/ジリオラ・チンクェッティ(GIGLIOLA CINQUETTI/SU E GIU' PER LE MONTAGNE)” 曲目はジリオラ・チンクェッティ~アルバム・コレクション(7) http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/6391870.html をご覧ください。
チンクェッティのイタリア、日本ともにファーストアルバムのCD化です。この盤は1993年に販売権がMMGに移転してから再発売になりました。アナログ盤の紹介の時に、初版、再版があることを書きましたが、初めてCD化しキングから発売されたジャケットが初版の画像、これはあるキングの方がサインをもらったものをそのまま使ったとのことです。後年MMGから出されたのが、再版の画像を使ったものです。
260E-52072 (1989年12月21日 SEVEN SEAS – KING, Japan) 夢みる想い チンクェッティのすべて (NON HO L'ETA' (PER AMARTI)/THE BEST OF GIGLIOLA CINQUETTI)

1989年のサンレモ音楽祭に出場することは、60年代や70年代のような評価を受けることでなくなりました。しかし今この時、彼女は素晴らしい女性です。彼女はイタリア音楽の神話やコンテストの競争を勝ち抜いてきたベテランの歴史、記念碑のひとつとしてとして扱われます。この大会でジリオラ自身が言っています。「イタリア音楽の本当の貴婦人として扱われ、みなさんの愛やお花、激励の手紙、電報をいただいています。」
1989年でジリオラのヒット曲は“チャオ”でなく、シャルル・アズナヴールの故郷でもあるアルメニアの地震犠牲者の援助とし歌われた“ペル・テ・アルメニア(PER TE ARMENIA)” [23] なのかも知れません。イタリアの70歌手(グループは1歌手として)の大規模なグループによって歌われた曲です。
1990年5月5日のユーロビジョン・ソング・コンテストでトト・クトゥーニョは“インシエーメ 1992(INSIEME...1992)”を歌い優勝しました。その時チンクェッティも共演しており、彼を舞台に呼ぶとき「来年私たち、ユーロビジョン・ソング・コンテストの総合司会をしませんか?」言って呼び出します。それはあながちウソではありませんでした。
[23] “ペル・テ・アルメニア((PER TE ARMENIA))”
1988年末に起きたアルメニア地震で甚大な被害が起きました。故郷がアルメニアのシャルル・アズナヴールがカルヴァレンツと作った震災救援ソングです。
イタリアでも援助のため、アンドレオ・ロ・ヴェッキオ(ANDREA LO VECCHIO)が訳詞をし、アレンジがロジャー・ルーベット(ROGER LOUBET *Web検索では読みが英語なのですが)、オーケストラ指揮ロジェ・ベルティエ(ROGER BERTHIER)、パーカッションがトゥリオ・デ・ピスコーポ(TULLIO DE PISCOPO)、歌っているのはイタリア・トップの歌手70名(グループは1名の勘定)。
表
裏


レーベルがロベルタ・マッツォーニやフランコ・バッティアートの事を書いた項でも扱ったN.E.T.(ニュー・エニグマ)でディストリビューションがCGDというのが面白い所です。
B面“SONO CADUTI”はナレーションがヴィットリオ・ガスマン(VITTORIO GASSMAN)と言うことです。
シングル・ヴァージョン (1分25秒~30秒付近)
※アルメニア地震(アルメニアじしん)は、1988年12月7日にアルメニア共和国の北部にあたるロリ地方の一都市スピタクを震央として発生したマグニチュード(Ms)6.8、(Ml)7.2 の地震。1988年アルメニア地震、スピタク地震などとも言う。死者は約2万5000人とされる。震央に近い地域の高層建築物はほとんど倒壊し、40万人を超える人が家を失った。レニナカン(現・ギュムリ)では数千人が死亡し、街が壊滅した。地震発生時、震央から約90kmの地点にあるメツァモール原子力発電所は運転中であったが、被害は受けず、その後も正常な運転を継続していた。しかし、この地震をきっかけに同原子力発電所は一時的に閉鎖されることになった。(ウィキペディア日本版「アルメニア地震」より)
ジリオラ・チンクェッティ/シングル・コレクション(4枚組CD) 好評発売中

発売日: 2012年7月5日発売
発売元:ワーナーミュージック・ジャパン
品番:WQCP-1161~64(CD4枚組み・全70曲)
仕様:縦型デジブック・ケース、76ページに及ぶ別冊ブックレット付
価格:税込¥8,400-(税抜¥8,000-)
発売元:ワーナーミュージック・ジャパン
品番:WQCP-1161~64(CD4枚組み・全70曲)
仕様:縦型デジブック・ケース、76ページに及ぶ別冊ブックレット付
価格:税込¥8,400-(税抜¥8,000-)
曲目など詳細は私のブログでhttp://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/5973967.html