ずいぶん「シングル盤コレクション」は御無沙汰してしまいました。というより75年から78年の事を書いてしまい、「アルバム・コレクション」を4回続けて書いてようやくバランスがとれるところまで来ました。最後はCDSです、もうシングル盤の時代ではなくなりました。
1979 年4月のオッジ(OGGI)誌に「私の自由のある結婚するの。」と結婚観を語りましたが1週間後ジャーナリストのルチアーノ・テオドーリ(LUCINO TEODORI) とヴェローナのサン・ステファン教会で身内だけの結婚式を挙げました。
1980年ジリオラは、新譜のレコードもツアーもテレビ出演もせず、総ての活動を突然停止します。ジリオラは夫のいる旧ローマ市街のカンポ・デ・フィオリ近くに引越ました。そして10月10日長男ジョヴァンニを、ヴェローナで出産しました。ジョヴァンニの誕生は、彼女の最大の幸福な年になりました。
1981年、久しぶりにジリオラはフェデリコ・ ファッツォーリ(FEDERICO FAZZUOLI) が司会するRAIの農業TV番組「リネア・ヴェルデ(LINEA VERDE)」の新しいレポーターとして復帰しました。12月10日(土)に彼女はジャーナリストのピエロ・パンサ(PIERO PANSA)と新らたに「イオ・ サバト(私は土曜日)」という90分のトークショーを始めました。そしてテーマ・ソング“BELLA QUESTA ITALIA(美しいこのイタリア[直訳])”を歌いました。B面“GLI SFRATTATI”は彼女と作曲家レナート・パレーティ(RENATO PARETI)によって書かれた曲でした。
CGD-10362 (1982年1月CGD - CGD, Italy) BELLA QUESTA ITALIA/GLI SFRATTATI
CGD-10362
1982年、彼女はあるコンサートの時に著名なプロデューサーのエンツォ・トルトーラ(ENZO TORTORA)から11月19日のTV音楽ショー番組「ポルトベッロ(PORTOBELLO)」の出演依頼をうけました。この番組からアルバム“ポルトベッロ(PORTOBALLO)”が作られますが、改めてアルバム・コレクションで詳しいお話をしましょう。
1983年ミュージック・ショーとして「ポルトベッロ」が6ヶ月のロングランとなりました。さて、ダリオ・バルダン・ベンボとカテリーナ・カゼッリの大ヒット曲“AMICO E’(友達は~友情讃歌)のバックコーラス“CORO SPRITITO DELLA TERRA”としてオルネラ・ヴァノーニ、ジュニ・ルッソ、プーポ(その当時のCGDのスター達です)と共に参加していましたが、メンバーは明かされていませんでした。
CGD-10445 (1983年CGD - CGD, Italy) AMICO E' (INNO DELL'AMICIZIA)/ CAMMINA, CAMMINA (ダリオ・バルダン・ベンボとカテリーナ・カセルリ DARIO BALDAN BEMBO; CATERINA CASELLI)
CGD-10445
この曲はマイク・ボンジョルノのTVクイズ番組「スーパーフラッシュ(SUPERFLASH)」のテーマで、その後学校でもサッカー・スタジアムでも歌われる誰でも歌う曲となりました。そしてこの種明かしは、クイズ番組の冒頭でチンクェッティ以外のメンバーの名前が公表され、番組の最後に「ポルトベッロ」の2組のダンサーとともに踊り歌いながら彼女が登場し、大喝采になったとのことです。
1984年はプライベートで大成功の年となりました。8月22日ヴェローナの病院で次男コンスタンティーノ(COSTANTINO)を出産しました。マス・コミは、CGDが民謡LP“ジリオラ・チンクェッティ高原に歌う”を廉価盤LINEA MUSICAシリーズで再発売の決定したことに注目していました。
しかし本当の特ダネは、年末の終わりにやって来ます。:1985年にジリオラはサンレモ音楽祭の競争に参加するつもりだということを!
サンレモ音楽祭初日は曲のロマンチックな雰囲気をイメージしたイタリアの超有名な美容師ローランド・エリゼイ(ROLANDO ELISEI)に髪型で、最終日は、新鮮でダイナミックなスタイルで登場しました。結果は11年のブランクを感じさせない第3位と好成績でした。
サンレモ音楽祭初日は曲のロマンチックな雰囲気をイメージしたイタリアの超有名な美容師ローランド・エリゼイ(ROLANDO ELISEI)に髪型で、最終日は、新鮮でダイナミックなスタイルで登場しました。結果は11年のブランクを感じさせない第3位と好成績でした。
BR-50334 (1985年BABY - BABY RECORDS, Italy) CHIAMALO AMORE(愛と呼ぶのCOM-22211 -4)/TELECOMANDO
BR-50334
BR-50365
BR-50365
BR-50365 (1986年BABY - BABY RECORDS, Italy) UNA DONNA DISTANTE/UNA DONNA DISTANTE (STRUMENTALE)
1986年の終わりに民放のカナレ5(CANALE 5)が昔のカンツォニッシマを復活さすためジョニー・ドレルリをホストとしたコンテスト、「プレミアティッシマ(PREMIATISSIMA)」に参加しました。彼女はマリオ ・ カステルヌオーヴォが作った美しい歌“UNA DONNA DISTANTE”を歌いました。彼女は、すべての対戦に勝ち進みますが、またもや60年代のヒット曲“アモーレ・スクーザミ(AMORE SCUSAMI)”を歌ったロザンナ ・ フラテッロに破れ決戦に残れませんでした。
1986年から1988年の間、色々なTVの番組に出演し、1988年10月29日にはカストロカーロ音楽祭30周年のスペシャルゲストとして招待されます。また「TV SORRISI e CANZONI”誌からTELEGATTO D’OROを贈られデビュー25年のお祝いもします。そして41歳の誕生日の2日後、サンレモ音楽祭の出場を発表しました。
STCA-15019 (1989.年2月CARISCH - CARISCH WEA, Italy) CIAO(チャオ)/CIAO (VERGIONE MIX) (チャオ (ミックス・ヴァージョン))
STCA-15019 

89年のサンレモ音楽祭ではジリオラの洗練された「セクシーさ」を前面に出しました。デニムのスカートに黒のテーラー・ジャケットを着てコーラス・グループに囲まれ、ラテン・アメリカのリズムの“チャオ”を歌いました。結果は24人中18位、WEAグループに入った昔の名門を引継ぐカリシュ(CARISCH)でしたが如何せんマイナー会社の悲しさ上位にはなれませんでした。
ジリオラは1995年に再度“GIOVANE VECCHIO CUORE(若く老いた心)”でサンレモ音楽祭に挑戦します。この頃はCDの時代となり、シングル盤はプロモートがジュークボックス用しか生産されていませんので、アルバム・コレクションでお話しすることにしましょう。ジャケット画像はシングルCD盤です。
5002-140 (1995.年2月MERCURY - POLYGRAM, Italy) GIOVANE VECCHIO CUORE(若く老いた心)/GIOVANE VECCHIO CUORE (INSTRUMENTAL)(若く老いた心)(インストゥルメンタル)
5002-140(CDS)
ジリオラ・チンクェッティ/シングル・コレクション(4枚組CD)
好 評 発 売 中

発売日:2012年7月5日発売
発売元:ワーナーミュージック・ジャパン
品番:WQCP-1161~64(CD4枚組み・全70曲)
仕様:縦型デジブック・ケース、76ページに及ぶ別冊ブックレット付
価格:税込¥8,400-(税抜¥8,000-)
発売元:ワーナーミュージック・ジャパン
品番:WQCP-1161~64(CD4枚組み・全70曲)
仕様:縦型デジブック・ケース、76ページに及ぶ別冊ブックレット付
価格:税込¥8,400-(税抜¥8,000-)
曲目など詳細は私のブログでhttp://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/5973967.html