この季節、サンレモ音楽祭のむかし話になります。そういえばこの時期ベニスのカーニバルもしていますね。
2月21日と23日に1966年サンレモ音楽祭の優勝曲のお話をしましたので、我々"団塊の世代"でカンツォーネの出発点となった1964年優勝曲「夢みる想い」をいたしましょう。とは云えヘソ曲がりの私、そう簡単にはおジリオラ・チンクェッティには至りません。
と言うことで、日本では極めて情報の少ないパートナーのパトリシア・カルリを取り上げましょう。
国内盤はこのシングル盤HIT-1449(1967. 7.20 SEVEN SEAS - キング)"しあわせのマーチ(LA MARCHE DU BONHEUR)/恋をもう一度(ENCORE UNE FOIS)" 1枚しか出ていないのではないでしょうか? 私も彼女の顔写真がほしくて発売当時の買ったのですが、それ以来見たことがありません。
HIT-1449

パトリシア・カルリ(PATRICIA CARLI)1938年(1943年説もあり)3月12日イタリアのタラント(Taranto 長靴の土踏ず辺り)生まれ。アダモやロッコ・グラナータと同じように1951年ベルギーへの移民となりました。61年歌手になる夢を持ちパリに行くものの成功せず、ベルギーに戻り作詞や作曲の勉強をしました。再びパリに出て、63年2曲目となる"Demain Tu Te Maries"がヒットし、その9月にはオランピア劇場に出演することができました。
翌64年1月生まれ故郷のイタリアのサンレモ音楽祭で、ジリオラ・チンクェッティのパートナーとして「夢みる想い」を歌い優勝しました。その後は60年代後半からライターとしての仕事が中心となりますが、2000年に最後のアルバムをリリースし、その後コート・ダ・ジュールで余生を過ごしているようです。[1]
彼女はシャンソンのライターとして日本では知られていますが、歌手としてはほとんど知られていないはずです。ライターとしてのことは、私がブログを始めるきっかけとなった"ルゼル"さんのブログを見ていただければと思います。
さて、1964年はサンレモ音楽祭にとっても大切な年になりました。外人歌手の参加が始まったのです。正式に言うとイタリア人歌手と外国人歌手がパートナーとなって歌うことになったのです。(65年は全曲。66年からはイタリア人歌手の不満が多く、一部の曲はイタリア人どうしの組合わせに改められました。)
厳密に言うと外人の参加はその前にもありました。1961年のロッコ・グラナータ(ROCCO GRANATA)[2]が "カロリーナ・ダイ(CAROLINA DAI)"で入賞し、1962年のワルター・トレブルーノ(WALTER TOREBRUNO)[3]が "あなたも私も捉まえる(Pesca tu che pesco anch'io)"を歌って参加しています。
パトリシア・カルリは優勝した「夢みる想い」と参加曲にとどまった「しあわせな恋」を歌いました。シングル盤は「夢みる想い」がフランス語、「しあわせな恋」がイタリア語で収録されています。フランスでも全く同じカップリングで発売されたようです。彼女の「夢みる想い」のイタリア語ヴァージョンが出たかは確認できていません。
BA-11001(1964.1. BEL AIR - CGD,Italy) "夢みる想い [仏](NON HO L'ETA PER AMARTI [F] - JE SUIS A' TOI)/しあわせな恋(COSI' FELICE)"
BA-11001[伊盤]
111・114[仏盤]


2003年フランスのユニヴァーサルから出たCDにイタリア語ヴァージョンが収録されていますので、最後にこの盤を紹介しておきましょう。

064-470・2(2003. U.L. MTV MARKET - UNIVERSAL Mus.,EU)
"TENDRES ANNE'ES 60/PATRICIA CARLI"
1.JE SUIS A' TOI (NON HO L'ETA PER AMARTI [F] 夢みる想い [仏])
2.DEMAIN TU TE MARIES
3.LA DE'COUVERTE
4.NON HO L'ETA' PER AMARTI (夢みる想い)
5.NOUS ON S'AIME
6.QU'ELLE EST BELLE CETTE NUIT
7.L'AMOUR EN CAGE
8.J'AI BESOIN DE TOI
9.QUE VOIS-TU GITAN
10.VIRGINIA
11.E NE VOUDRAIS PAS PLEURER
12.C'EST DIFFICILE (NON E FACILE AVER 18 ANNI [F] 18じゃ、ダメね[仏])
13.IL TE RESTA MA ME'LODIE
14.HEUREUX DE VIVRE (COSI' FELICE [F] しあわせな恋[仏])
15.ACCUSE'E LEVEZ-VOUS
16.NOUS SOMMES LA'
17.HIER J'AI RENCONTRE' MA ME'RE
(IERI HO INCONTRATO MIA MADRE [F] 悲しみのママ [仏])
18.L'AMOUR VA TOUJOURS
19.TROIS FOIS RIEN
注[1] パトリシア・カルリの経歴はHIT-1449の解説、
ウィキペディア・フランス版(http://fr.wikipedia.org/wiki/Patricia_Carli)、
ウィキペディア・イタリア版(http://it.wikipedia.org/wiki/Patricia_Carli)
を参考にしました。
注[2] ロッコ・グラナータはイタリアの移民でベルギーの歌手。"マリーナ(MARINA)"という世界的ヒット曲をもっている。イタリアではイタリア人歌手の扱いを受けていたようです。機会があれば、このブログで紹介したいと思っています。
注[3] ワルター・トレブルノ、スペイン人歌手、タレントで若いころローマで活躍していたようです。イタリアで成功した後、スペインにもどり、ビートルズのスペイン公演の司会をしたことで有名になったと聞いています。