表面的なアイデンティティ | 小動物とエクリ

表面的なアイデンティティ

 
 

 

1 戦争、ニヒリズム、耐えがたい不平等を超えて

エマニュエル・トッド

現代世界は「ローマ帝国」の崩壊後に似ている

 

◼️ ウクライナ戦争が明らかにした「西側の失敗」

西欧経済に対する私たちの認識は、バーチャルで、架空で、あるいはまったく非現実的であるという教訓

グローバル化は、現実には工場を海外に押し出し、西側諸国から実際の生産手段を奪った

 

 

◼️ 西洋はもはや、「世界の嫌われ者」である

私にとって最も驚きだったのは、イスラム諸国が、ロシアを好んでいるように見えることです。

さらに、NATO(北大西洋条約機構)の一員であるトルコとロシアとの間に生まれた新しい関係は、とても興味深いものです。

これらの事実は、私たちを現実に引き戻します。繰り返しますが、これこそがグローバル化の現実でした。

 

 

◼️ グローバル化が産み落とした「新たな搾取」

人々が見ようとしなかったのは、グローバル化とは、新しい種類の「グローバルな労働者階級」として、世界中の労働者を利用することを意味していたという点です。

新たな搾取を行う西洋に対して、それ以外の国が敵対心を抱くのは、当たり前のことなんです。

もはや共産主義国ではないロシアは、近寄りやすい国になりました。

 

 

◼️ 「民主主義の戦っている」という妄想

欧米はもはや民主主義の代表ではなく、少数の人や少数の集団に支配された、単なる寡頭政治になってしまったのです。

消えゆく民主主義

 

 

◼️ 輝かしい「民主主義」の時代は、もう戻ってこない

私たちは、新しいことに備えなければなりません。戦争とは関係なく、私たちはもっと悪い事態に備える必要があるでしょう。

 

 

◼️ アメリカは「ニヒリズム」に支配されている

今のアメリカに典型的なのは、プロテスタントという中核の完全な崩壊です。

プロテスタント文化がアメリカやイギリスにおいて「いかに重要であったか」を理解する必要があります。

アメリカのさらなる悪化に備えなければならないということです。

 

 

◼️「最悪の事態」はまさにこれから起こる

最悪の事態についての意識の欠如こそ、恐れるべきです。

しかし、世界で起きていることに目を向けると、私は悲観的ではありません。

ロシアが、ヨーロッパの他の地域を攻撃する意図を持っていないわけではないでしょうが、人口的にも物質的にもその可能性はありません。

ヨーロッパにおいて、アメリカの強拍観念となっているのは、ドイツとロシアが協力を構築することです。ウクライナにおける、アメリカの行動の主要な目的の一つは、ドイツとロシアの間に混乱と不和と対立を生み出すことでした。

 

 

◼️ 人工知能によってもたらされた「知性の劣化」

ChatGPTは私たちの生活を変えるでしよう。それは良いことでもなければ、最悪なことでもないのです。しかしもし、ChatGPTが存在しなかったら、私たちはより悪い状況に陥っていたことでしょう。

 

 

◼️ 人類には、「歴史」の感覚が必要である

私たちは、もはや長期的な視点で物事を考えなくなりました。

ある種の健忘症のようなもので、おそらく第二次世界大戦以降の貧困状態から裕福になったことのショックが容赦ないほと大きすぎたのでしょう。

そして今、私たちは怯えています。「民主主義が崩壊しつつある」あるいは「すでに崩壊している」という感覚があるからです。

 

 

◼️ たとえ「民主主義」が終わろうとも

民主主義の後にも人生があるのです。

人間の歴史はすべて、崩壊と生き残りの連続です。

私が話したようなマクロな未来予測とは、まったく関係のないことが世界中では起こり得るのです。

フランシス・フクヤマ

「歴史の終わり」から35年後デモクラシーの現在地

 

 

◼️「歴史の終わり?」から、リベラリズムの終わり?

ウクライナへの侵攻は、欧州全体の政治的な秩序に対する紛争なのです。

 

 

◼️ なぜ、リベラリズムに対して「不満」を抱いてしまうのか?

米国ではリベラリズムとは「真ん中から左」のことを意味します。欧州では「真ん中から右」を意味しています。

リベラルな体制とは、市民に言論や信仰、政治参加とかいった基本的な権利を保障することにより、政府の権力を制限するもののことです。

リベラリズムは、「チェック&バランス」を発揮して、行政の横暴を防ぎます。

法の支配の基本的な考え方は、政府に法を守らせることです。「法の外で行動をさせない」ということです。

 

 

◼️ リベラリズムを支える「コミュニティ」を創設せよ

「リベラルな民主主義は自己完結しないものだ」

「リベラリズムそのものからは生まれてこないコミュニティ(共同体)に依存しているからだ」

リベラルな民主主義では、必ずしもすべての個人が自立して、自律的である必要はないからです。

人は互いに信頼を寄せ合う必要があります。

ですが、互いの信頼関係を失って、ともに取り組むことができなくなれば、リベラルな社会を維持するのは難しいでしょう。

 

 

◼️ アイデンティティは、民主主義を脅かすのか?

他者よりも偉大になりたいと願うリーダーは、平等に扱われていないと感じる人の恨みを活用します。

トランプは考えられる限り、最悪の人格を保有しています。

自己中心的で嘘つきで、公共心はありません。

 

 

◼️ 全地球規模で起こり始めている「分断」の乗り越え方

われわれが目にするのは、多極的な世界です。

 

 

◼️ 歴史は、本当にまた繰り返されるのか?

われわれの未来は、結果を見ることができない、多くの事象に左右されているからです。

 

 

◼️ 覇権国家はますます衰退し、中規模国家が力を増す

私は、バイデン政権に失望しました。

米国の覇権国家としての役割が戻ることは決してありません。

力がアメリカ一国にいびつなバランスで集中したのです。

シリアやリビアやエチオピアなど、世界の多くの場所で、トルコは決定的な役割を果たしています。

 

 

◼️ テクノロジーは、自由民主主義に貢献できるか?

テクノロジーのいくつかは、崩壊するバブルです。それと比較すると、生成AIは違います。とてもパワフルで、変革を起こすものになるでしょう。

 

 

◼️ 75年間の平和に「倦怠感」を感じる人々

人権が保障される体制とは、移動の自由、思想の自由、言論の自由、批判する自由が奪われない体制です。

「自由以外のもののために自由を求める者は奴隷に過ぎない」トクヴィル

「自己決定の欲望」

つまり、自分の意思で選択ができる状態のことです。

リベラルな社会では、経済的な生産性が高くなります。真の意味で自由な市場があって、多くの起業家がいれば、多くの新しいものが生み出されます。停滞した独裁制では、そのようなことは起こりません。

人類史において、創造性にあふれて芸術表現が盛んな時代のことを考えてみましょう。

こうしたものは、自由な社会がもたらす肯定的な美徳だと思います。それはあまりにも普通に感じたり、当たり前のものだと感じるようになったりするとき、われわれはその価値を見失いがちになってしまうのです。

2 「テクノロジー」は、世界をいかに変革するか?

スティーブ・ロー

技術という「暴走列車」の終着駅はどこか?

 

 

◼️ テクノロジーは何をもたらすのか?

歴史は繰り返すものではなく、「韻を踏むもの」だと言われています。

 

 

◼️ AIは、本当に人間の仕事を奪い得るのか?

人間の業務とは、技能の束なのです。AIによって技能のいくつかは自動化されました。

現段階では、インテリジェント・アシスタントは人々を失業に追い込むというよりも、助けている段階です。状況を見極める必要があるでしょう。

 

 

◼️ アメリカ国内にAIが与えた衝撃

理論的には、AIの普及によって、格差は多少縮まるのかもしれません。

 

 

◼️ AI時代に必要になってくる教育

一般的に言えるのは、通常のカリキュラムに加えて、高度な分析力や問題解決能力を養っていく必要があるということです。

 

 

◼️ われわれ人類とAIの共存の道

データは「検索エンジンの酸素」のようなものなのです。だから、グーグルの行為は酸素の供給を遮断するようなものだ、というのが政府の主張です。

無暗に怖がるのではなく、慎重であること。大切なのはこれです。

進化し続けるAIは、人類の「福音」か「黙示録」か

メレディス・ウィテカー
安宅和人
手塚眞

 

 

◼️ AIとは「非民主主義的な技術」である

私たちの創造性や知性は、自分の周りにあるすべてのものに、人間性を見出す傾向があるのです。

従って、私たちが機械に人間性を見出してしまうのは、私たち人間の側の特性であって、機械の側にそのような特徴があるからではないのです。

そもそも「AI」というのは、技術的な用語というよりはマーケティングの用語です。

最近の現象が意味するのは、AIの看板をかぶった米中のテック企業の支配力なのです。

AIとは私たちを評価するためのツールだからです。

AIは、権力者がその権力を簡単に行使できるようにするツールであり、概して、権力者の支配下にある人たちを監視し、評価し、管理するために使われるのです。

 

 

◼️ 現在も進化し続ける「言葉のハンドリング」

AIは世界をデータにして、そのデータを学習モデルにしていきます。

 

 

◼️ 機械に「知能」は宿るのか?

知性とは「インプットをアウトプットにつなげる力」だと定義することができると思います。

ただ重層的にいろんなことを感じて、それを組み合わせてどう感じるかという深い「知覚」は、それぞれの人の人生そのものです。というのも、人間がどのように感じるかというのは、知的体験、人的体験、思考体験の集合体となっているからです。
 あと、見逃されがちな最大のポイントは「われわれが生命体である」ということです。生命には意思があります。

つまり、意思とは生命の本質的な側面の一つであり、神経の数とは別の問題です。植物も、意思を持って光があるほうに向かい、そうではないところを避けるわけです。

「機械だって知性がある」と言えると思いますので、マシン・インテリジェンスのようなものは存在すると考えています。ただ、われわれのような意思がない。つまり、やりたいことはないのだと思います。

 

 

◼️ 人間の肉体的な労働が、人工的な知能を支えている

わたしたが知っているように、インターネット空間は非常に醜い場所にもなり得ます。だから、これらのシステムがその醜さを鏡映しにして複製するのを防ぐために、膨大な数の人間の労働者が必要になるのです。このようなシステムは、人間なしには作れないということです。

機械に対し、何を望んで何を望まないか、何がOKで、何がNGであるかを伝えるのは、知能を持った人間なのです。

つまり、何千人、何万人、何百人もの人々のデータと労働なしに勝手に出来上がるシステムなど何一つないのです。

 

 

◼️ 機械は「時間」を経験することができない

AIは非常に具体的な事物に関してはいくらでも学習することができます。しかし、人間の感情、感性、感覚といった一人一人持ってはいるがうまくデータ化できないものに関しては、正しい学習をすることができません。

見せかけでも、人を感動させることはできるんです。

 

 

◼️ AIによってもたらされる「偶然性」

多くの方が誤解しているのですが、人間の創造とは「0から1」を生み出すことではありません。
 私も、実は「0」からは生み出していません。まずは、過去から存在している作品、あるいは膨大にある芸術作品から学習していますよね。

そして、自分自身の体験から得た知識や情報、これを自分の中で編集しています。言ってみれば創造とは、「編集する技術」あるいは「組み合わせの技術」に近いものです。そして、自分なりの考え方や感情によって、作品を生み出します。

われわれが物を作り出すときに、その偶然性をうまく得られるシステムとして、もしかしたらAIは使えるのではないか、ということも実は考えています。

 

 

◼️ 人類は「AI」とともに生きていくしかない

AIは、一つの物体ではなく一つの存在物でもない、と私は考えています。ですから、そもそも「何かと一緒に人間がいる」という感覚はありません。

 

 

◼️ 本当に人間は「一つのツール」になってしまうのか?

ネット上の情報は、もうカオスの状態になっています。こうした「ネットを含むコンピュータが使われる社会に、私たちが振り回されないようにするという意識を持っていく」ということは大事だと私は思います。

 

 

◼️ AIの危険性に対処するための「二つの規制」

ここでの結論として明らかにしておきたいのは、AIの危険性を明確にして取り除くことは十分に可能だということです。しかし、それには政治的な意志が必要であり、市場支配力に関係ないAIシステムの能力ではなく、大きな権力を持つ企業の資産と物理的なインフラにこそ目を向ける必要があります。

 

 

◼️ 手塚治虫から学ぶ、人類と技術が共存する世界

日本人はすべての物体や自然のものなど、そのすべてに命があって、魂を持っているというような感じ方をしています。

もし、AIに対して愛情を捧げる人類がいるとしたら、その最初は日本人なのではないかという気がします。

3 支配者はだれか?
私たちはどう生きるか?

マルクス・ガブリエル

◼️ コロナ禍が明らかにした「日本の特異性」

日本では、常にあらゆる面で完璧を目指すので、そこにすでにあるものを完璧にしたんです。そして再び、日本はロールモデルとなりました。

 

 

◼️ パンデミックによって鍛えられた「民主主義」

ある意味で、国家は、パンデミックによってその真の姿を現したのです。国家は、いわばルールに従う保護者として、あるいは制度を守る保護者として、背後で活動したのではありません。国家は、その本質を示したのです。

つまり、私たちが目にしたのは、すべての国家権力における規範の乖離なのだと思います。

誰もが国境内にとどまっていたからです。こうして、どこの国でもナショナリズムが高まり、国家権力が強くなったのだと思います。

このパンデミックという例外的な状態が民主主義国家を権威主義体制に変貌させる、ということは、まったく起こらなかったのです。

民主主義は不安定なものであり、自由な統治形態であるがゆえに、新しい形の危機にも直面しています。

つまり、民主主義国家は、パンデミックによってもたらされた反民主主義的要素の脅威によって、逆説的に民主主義を強めました。

権威主義的な体制と民主主義的な体制、この二つは、パンデミック以前よりも離れているということです。

パンデミックは、人間という動物に対する脅威です。

もしパンデミックが、本当に社会的かつ生物学的なものであるならば、それらを一つの絵に組み合わせると、パンデミックは、私たちを大きく変えたことになるのです。

◼️「矛盾」というリベラルの弱点とどう向き合うべきか?

私たちは自らの矛盾に向き合っていないのです。
 たとえば、資本主義の矛盾です。

そして今、私たちは気候危機に直面し、権威主義的な体制に直面し、民主的資本主義に代わる、権威主義的資本主義に直面しています。

人々が仕事をするうえで、ヒエラルキーが多すぎます。つまり、権威主義的な要素が多すぎるのです。

すべての人の自由を増やすために、ボトムアップ・モデルで経済を再構築する必要があるということです。

権威主義に勝つためには、民主的資本主義の中にある権威主義的要素を取り除く必要があるということです。さもなければ、権威主義が、私たちを打ち負かすでしょう。

これは、ロシアでも見られる現象です。

ロシアは戦争経済に基づいて運営されていて、BRICSの枠組の中で機能できるからです。このため、経済的にロシアを打ち負かことはできなかったし、今後もロシアを経済的に打ち負かすことはできないでしょう。
 しかし、「私たちがより自由であること」によって、ロシアを打ち負かす必要があるのです。

われわれの社会を、現在よりも自由にする必然があるということです。

私たちのリベラリズムに対する批判の一部は、現在では内部から出てきているからです。経済成長の恩恵を受けているのは、一部のエリートだけで、社会内の格差が広がっている、という批判もあります。

 

 

◼️ 資本主義は「十分に資本主義的ではない」

現在の問題点は「資本主義が十分に足りていない」ということです。

天才起業家や勝者が、すべてを手にするモデルという考え方は資本主義ではありません。

検索エンジンには、自由市場がありません。

資本主義とは、再分配の自動的な構造が存在することを意味します。それは、システムに内在するものです。

 

 

◼️「人間である」という共通点から始まる道徳

「私たちは人間性を共有しているという事実から、お互いに何かを負っている」スキャロン

「私たちはお互いに何かを負っていて、それは相手の人間性への敬意なのだ」イマヌエル・カント

道徳は、普遍的なものなのです。

資本主義は、もはや解放につながらないわけです。人々は、そのようなモデルに疑問を持ち始め、残念なことに、ボトムアップの動きが活性化するのではなく、権威主義的な幻想を抱く支配者層と結びついてしまう。
 イーロン・マスクはその典型です。

支配者層や経済エリート層に求められるのは、自分たち自身の生のあり方の持続可能性は、いわば「与える自由」にかかっていると理解することです。

 

 

◼️ 人類固有の「絶対的な道徳的事実」

道徳的相対主義あるいは道徳的非実在論とは、倫理的には「普遍的な価値観は存在しない」という考え方です。そこにあるのは「集団への帰属の表現ーだけです。

それぞれに異なる価値観があり、私たちはその価値観の違いを尊重する必要がある。それが「相対主義」です。つまりそれは、普遍的な価値観の否定でもあります。
 一方で、道徳的実在論とは、「倫理的な問いには集団への帰属を伴わない答えがある」という考え方です。

「キーウの幼稚園児に弾道ミサイルを撃ってはいけない」「裏切り者が乗っているからといって、プライベートジェットを撃ってはいけない」。

「ある国を植民地にしてはいけない」「マイノリティを差別してはいけない」。

私たちが集団に帰属することによって期待するものは、すべて普遍的な道徳から得られます。しかし集団への帰属、あるいは相対化からは、得られるものが少ないのです。

「人間性を見た」

 

 

◼️ 異なる文化を持つ者たちが共存するための「人文学」

ヒューリスティックスとは、解決策を見つけるための理論です。「根本的な不一致がある状況で、どうやって道徳的事実を知ることができるか」という認識論です。

深刻な道徳的不一致の状況下で、正しい解決策を見出すには対話が必要です。しかもそれは、人文学に裏付けされた対話が必要なのであって、単なる二人のランダムな会話ではありません。

 

 

◼️ 多様性を残酷なまでに阻害するテクノロジー

テクノロジーの実装は「アイデンティティ政治」の社会において、邪悪な非人間化の一形態だと私は思っています。テクノロジーは、表面的なアイデンティティの指標によって、人間を区別するのですから。

「民族性」とは、本当に複雑だということです。
 生物学上は、人種というものは存在しない、というのが21世紀に実際にあった発見です。人種を決定する遺伝子というものはない、というのが生物学的な事実なのです。しかし、人種差別は存在しています。

IT企業は、ジェンダーに関する単純なステレオタイプを作り上げています。「性向指向」あるいは「測定可能な要求」というデータで見ているのです。

「画面上のどこに視線が移動するのか」「画面に映し出されたあるものに、どれくらいの時間、釘付けになるのか」。

それはアイデンティティのステレオタイプを生む出すことを意味しています。

要するに、アイデンティティ政治におけるテクノロジーの実装は、人間の実際の多様性を侵害するということです。つまり、多様性を支持しているように見えて、まさにその正反対のことをしてしまっているのです。違いを単純化されたアイデンティティに固定しているのですから。

 

 

◼️ 一人の人間が持つ「多面性」を見失ってはいけない

私たちが本当はどれほど多様な存在であるかを認識する必要があるのです。

二人の女性を見たとき、そこにただ単に「女性たち」を見るのではなく、一人の人物ともう一人の人物ーーそして二人の人間の経験ーーを見るのです。それは、とくにソーシャルメディアでつながりすぎている現代において、本当に必要なことだと思います。

私たちがやり取りしているのは、声や会話で交わされる言葉の意味、身体の二次元的な視覚表現だけです。
 デジタルシステムを通じた会話では、匂いや微生物のやり取りはありません。

デジタルシステムを通じて私たちがしていることは、「ステレオタイプ」的なものです。
私たちは、人間の他の様々な経験よりも、視覚と聴覚を優先しているからです。これが現実だと感じるから、他のことに気づかないだけなのです。でも、現実から一部を抜き出しているに過ぎません。

◼️ AIというツールによって、人類がツールになり下がる

この道具は、私たちをモデルにして、考え、話し、書き、行動するのです。そして、これらのモデルは、自身がより良く機能するために、私たちを利用します。

つまり、プロセスを進める私たち自身が、そのプロセスの対象物になってしまう。

かつてはFBIのような情報工作組織が行っていたようなことを、いまやAIができるようになっています。

リベラル政党の多くは、まだネオリベラリズム(新自由主義)のイデオロギーにとらわれています。
 ネオリベラリズムは、強すぎる独占企業と完全に共存していました。

 

 

◼️ AIは人類に「新しい倫理」を生み出すことができるのか?

今のAIとその倫理は、完全に「時代遅れ」のものです。
「民主主義対権威主義」という構図で、AIは権威主義の側に立っていると思います。

またIT業界も、結局は保守的です。これがパラドックスです。

基本的にトップに立つ天才的な男性が、指揮命令系統に気まぐれに指示を出します。これはまさに保守的で、本質的に右派的な組織です。

IT企業はリベラルに見えるだけで、それはただ単に、幻想なのです。イーロン・マスクのように、しばしば共和党と結びついていることがあるのも、偶然ではありません。

 

 

◼️「個別性」や「ローカル」という未来を創造するキーワード

「普遍化する普遍」

それはローカル(地域)から生まれる普遍なのです。

右翼のポピュリズムは、国家のアイデンティティを主張しようとします。私は、国家のアイデンティティの代わりに、その場所に固有の知識を提供すべきだ、と考えます。ローカルな場こそが、普遍的なものへの道となっているのです。

岩間陽子
中島隆博

中国は、本当に「権威主義的」な国家なのか?

歴史に裏付けられた社会のあり方が、今日の中国の権威主義的な体制を支える一つの根拠になっている、と私は思っています。

◼️ 1970年代のゆがみが、現在の国際情勢を産み落とした

ドイツが1970年代から少しずつやってきたことは、「ロシアとどうつながるか」という課題に答えを出そうとすることでした。ドイツとロシアの関係性の軸にあるのは、「ロシアからドイツがエネルギーを買う」ということです。

しかし、「エネルギーをロシアから買う」というモデルは、ウクライナ危機によって、壁にぶつかってしまいました。

このような問題に直面したときに起こった「もう一度、自分たちの労働者に製造の現場を取り戻したい」という気持ちが「ポピュリズム」や「ブレグジット」という形で現れました。

 

 

◼️「小さなコミュニティの崩壊」が、すべての問題の根本にある

「参加と責任」が実践されている状態を回復しないと、いくら抽象的に民主主義のことを語ったとしても、上滑りの議論になると思います。

私たちは国単位で世界をどうしても見がちなのですが、それ以外に、それほど大きくないサイズのコミュニティが、その社会の中でどんなふうに機能しているのか、あるいは機能していないのかを具体的に見ていったほうが、民主主義の内実を測ることに寄与するかと思います。

自由であると同時に、どこかのコミュニティにつながっていることで、自分のアイデンティティやニーズが満たされるのです。

 

 

◼️「資本主義」の方向性を、もう一度正してみる

現在の資本主義は、資本ではなく偏在するような構造になっているのです。

かえって、格差や不平等がどんどん拡大していくだけです。その結果として、民主主義やリベラリズムを破壊し、場合によっては全体主義をも招きかねません。

資本主義の対義語は封建主義
マルクス・ガブリエル

地域に根差した多様な言説や概念を、対話を通じて普遍化していく必要があると思うのです。こうした努力は下から上へのボトムアップ型で、水平的な普遍性を想定するものです。その中で、民主主義もまた鍛え直すことができるのではないかと私は思っています。

 

 

◼️「民主主義の理念」の核はどこにあるのか?

重要なのは、一方だけが変わっていくのではなくて、対話を通じて相互に変容していくことです。

アーレントは、「全体主義がいったいどうしてドイツで起こってしまったのか」をつくづく考えた人でした。

国連安保理常任理事国でもある、ロシアと中国が、共通の制度を維持しようというのとは逆の方向の行動をしていることは、大きなダメージです。

気候変動の問題への対処については、中国抜きでは解決できません。

「じゃあ、中国と仲良くするしかないよね」というところに帰着するのです。これはまさしく、現在、いろいろな矛盾が互いにぶつかり合っているという状況にあることの証左であるという気がしています。

 

 

◼️ 日本が描くべき、2024年以降の世界地図

今から日本が核兵器を保有するということは、アメリカのシステムに正面から盾突くことになるわけです。そのコストが相当なものになるのはわかりますね。

「あるはずない」と思っていても、小さいレベルや短期間の間には起こることはあるのです。こうしたことが現在、世界中でいろいろと起こっています。

アメリカにも多様な声がありますし、それと同様に、中国にも多様な意見はあります。そういった異なるチャンネルと日本の人々がつながっていくことが、とても大事だと思っています。

おわりに

未来は行き止まりの終着点なのでしょうか。それだけではないはずです。


『人類の終着点 戦争、AI、ヒューマニティの未来』エマニュエル・トッド ・ マルクス・ガブリエル・フランシス・フクヤマ ・ メレディス・ウィテカー・ スティーブ・ロー ・ 安宅 和人 ・ 岩間 陽子・ 手塚 眞 ・ 中島 隆博 /著