「きみはどこから語っているのか」 | 小動物とエクリ

「きみはどこから語っているのか」

 

 

 

まえがき

わたしはこれまで、批評と作品との不可欠の結びつきの不在を嘆くことがあまりにも頻繁にあった。

多文化主義。ポストモダン。分化的グローバリゼーション。

つまり、なぜグローバリゼーションは、社会学、政治学、経済学といった観点からはこれほどよく論じられるのに、美学の観点から論じられることはほとんどないのか、という問いである。この現象は、かたちの生命にいかなる影響を与えるのだろうか。

ヴォルター・ベンヤミンやジョルジュ・バタイユを読むことから学んだのは、まとまりを欠くテーマの展示や断片的でとりとめのないエクリチュールといったものは、直線的な展開の多くのものよりも、ときによくその意図を明確にしうる、ということである。

序論

ともかく、〈歴史〉はもはや芸術的記号の秩序づけやヒエラルキー化を可能にする至上の価値ではないということが明らかになってきていた。

わたしたちは「ポスト〈歴史〉」へと入ったのだ。それは、いまや至上のものとなった資本主義経済の時代であり、前衛が撒き散らしたいわゆる「恐怖」を取り除かれた文化の樹立である。*モダニズム?人間中心主義的で普遍主義的な古くさい考えであり、西洋の植民地機械だ。世界全体が「現代的」になろうとしていた。アジアの急速な経済的発展が示していたように、「遅れた」国々が国際通貨基金の勧告にきちんとしたがい、資本主義の母体に彼らの「古くさい複雑な文化」を接続するのを待てば十分であったのだ。都市文化の発展はこの動向をあと押ししていた。

〈歴史〉の終わりは、グローバル化され標準化された街というひしめき合うかたちをとるだろうか。

*スラヴァイ・ジジェクが皮肉めかして言うように、もし「共産主義の終わりがユートピアの終わりを意味し、いまやわたしたちは現実とか経済といった世界に入ったのだと皆が言っていた」としたら、どうやらそれは反対のようで、一九九〇年代というのは、「ユートピアが真に爆発的に増加した時期であった。それは、あらゆる問題を解決するとみなされていた自由主義的なユートピアである。

というのも、「ポスト〈歴史〉」というのは中身のない概念だからである。それはあたかも、モダニズム以後の管理ソフトの役割を果たしている「ポストモダニティ」という概念の意味が状況依存的なものでしかないのと同様である。「ポスト」という接頭辞は、その曖昧さが味わい深くはあるものの、ポスト構造主義批評から明らかに懐古趣味的な選択にいたるまで、結局のところ、この以後という語のさまざまなヴァージョンを連合させることにしか役立なかった。

「人類の遺産」というガラスドームによって保護されたいわゆる文化的多様性なるものは、さまざまな想像や形態の全般的な標準化の鏡像であるように思われる。現代美術が非西洋のさまざまな視覚的伝統に由来する異質な造形語彙を取り入れるほど、グローバル化された単一文化の弁別的特徴がはっきりあわられることになる。

*モダニズムの普遍主義を懐かしむべきなのだろうか。否、これ以上は。ここで、普遍主義と不可分である(無意識的なものであれそれ以外であれ)植民地主義や、その性向をふたたび爼上に載せても意味はない。それはさまざまな差異を懐古趣味と同一視したり、いたるところでみずからの規範や歴史的物語や概念を、「自然な」ものとして、ということは皆に自然と共有されるものとして押しつけたりしがちなものである。トーマス・マクェヴィリーの説明によれば、モダニズム・モデルにおける〈歴史〉とは、「時間というページ上を、自然や、自然周辺の未発達の世界といった広大な無歴史的余白とともに前進する単一の線」にほかならない。

◉近代的な普遍は、支配的な「白人男性」の声を隠すための仮面にすぎないものとなったのである。

モダンの普遍主義かポストモダンの相対主義か、わたしたちには選びようがないだろうと言われる。かくしてポストコロニアルな脱構築は、ある言語を別の言語に置きかえることに寄与したものの、後者は前者に字幕をつけるだけで満足してしまい、過去と現在との、普遍的なものと差異からなる世界との可能な対話の礎となるような翻訳のプロセスに着手することはついぞならなかった。というのも、ポストモダン思想とは脱植民地化の方法論としてあらわれるものであって、脱構築(これは、デリダが理解していたようなそれというよりも、カルチュラル・スタディーズの枠組みのなかで実践されるそれだが)はそのただなかにあって、力ない不協和音のために主人の言語を弱め、脱正当化するのに用いられるからである。

*いまや、現在におけるモダンなものを再構成するときが、すなわち、そのただなかで私たちが生きているところの特定の文脈に応じてモダンなものを再構成しうるときがきているように思われる。というのも、近代の累代や時代を横切る知的な息吹が存在するからであり、状況が押しつける形式を受け入れて、また各時代が突きつける逆境という限定的な輪郭に応じてみずからをフォーマット化するような、そうした思考様式が存在するからである。この逆境となる敵対者は今日、数多くの名前をもっている。そのうちには、先に挙げた動物的人間主義、旧秩序へのさまざまななノスタルジー、そしてなによりも、経済的なグローバリゼーションに見せかけた地球の均質化といったものが数え入れられるだろう。

かくして、世紀のはじまりにおいて、あと戻りの感覚を瞬時も抱くことなく、また、前世紀のモダニズムの全体主義的な誘惑や植民地主義的な主張に対する有益な批判をもはや無視することもなく、近代性という概念にふたたび責任をもつことは可能だと断言できる。

現在、実験、相対的なもの、流れ。

※近代性は、それに防腐処理を施したがる保守的なイデオロギーや、往時のあれこれの復興を理想とする反動的な運動に抗する。しかしまた、これがわたしたちの近代性をそれに先立つものから区別する点でもあるが、それは未来に向けた指示、あらゆる種類の目的論、そしてそれらにともなうラディカルさといったものにも抗するのである。

*「事実というものは存在しない、存在するのは解釈だけである」とニーチェは書いた。それゆえモダンなものは、記念碑的な秩序に対して出来事を、大理石という永遠性の代理人に対して束の間のものを支持するのであって、要するに物象化の偏在に対する流動性の称揚であるのだ。

もし二〇世紀のモダニズムがもっぱら西洋的な文化現象であり、第二段階において世界中のアーティストによって語尾変化させられたものだとしたら、今日しなければならないのは、そのグローバルな等価物について考察することである、という事実である。

すなわち、それは「グローバリゼーション」と呼ばれる政治的従順化に抗して行わなければならないのであって、それに付きしたがうかたちで行われてはならない、ということである……。この新興の文化が、進行中の標準化と歩調を合わせることなく、さまざまな差異や特異性から生じうるためには、それが特殊な想像力を発展させ、資本主義的グローバリゼーションを司るのとはまったく別の論理に訴える必要があるだろう。

一九世紀のヨーロッパでは、近代性は工業化という現象をめぐって明確なものとなった。二一世紀の初頭においては、経済のグローバリゼーションが同様の粗暴さでもってわたしたちの見方や仕方を一変させている。それはわたしたちの「野蛮さ」である。ニーチェは、古くからの境界を粉々に砕き、「農民」の空間を再編するような力の帯域を「野蛮」と呼んだ。

移住および金融の流れの激化、国外居住の一般化、輸送網の緊密化、大規模観光の爆発的増加といったものが新しい超国家的分化を描きだすが、この文化は、アイデンティティ、民族、国民に関して極端な自閉を引き起こすものである。というのも、世界に約六〇〇〇の言語が存在するとして、このうちたつた四パーセントが世界の九六パーセントの人々によって使われているからである。おまけに、この六〇〇〇の固有語のうち半数は消滅しつつあるのだ……。

この画一化の動きは、地球の表象の改良によって地球をめぐる想像世界が小さくなってきたことと対をなしている。

わたしたちは、地球上のどんな地点でもコンピュータからズームできるようにするグーグルアースの時代に生きている。

常用語で「近代化する」というと、文化的・社会的現実を西洋のフォーマットに還元するという意味をもつし、モダニズムは今日、植民地主義やヨーロッパ中心主義との共犯の一形態と要約される。前世紀の近代性のばかげた敷き写しから遠く離れて、現代に特有の、また現代に固有の問題系と共鳴する、そのような近代性に賭けてみよう。あえて言うならば、それはオルターモダニティである。

三〇年ほど前から世界の文化的風景は、一方でモノや情報の過剰生産の圧力によって、他方で文化や言語の急激な画一化によって形成されてきている。

アンティル諸島の作家エドゥアール/グリッサンは次のように説明している。「世界はクレオール化しています。すなわち、今日あっという間に、そして確実に意識的に接触し合うことになった世界の諸文化は、仮借のない衝突や無慈悲な戦争を通して、しかしまた意識と希望の進展を通して、互いに交換し合いながら、みずからを変えているのです」
 日々少しずつ画一化しつつある世界にあって、わたしたちが多様性をまもることができるのは、その直接的でエグゾティックな魅力や保存という条件反射にとどまらず、多様性をある価値の次元へと引きあげることによって、すなわちそれを思考のカテゴリーへと構成することによってのみであろう。

『〈エグゾティスム〉に関する試論』は、あらゆるモダニズム的な分析とは逆に、さまざまな差異が全面的に平板化されてしまうことーニ〇世紀の初頭にあって、セガレンはすでにその悲惨な帰趨を感じとっていたのだがーーに抗する「多様なるもの」を熱心に擁護している。この本には、エグゾット〔exote〕という新たな形象が姿をあらわしている。それは、旅、探検、地球規模の移動といった形象に取り憑かれた今日の芸術にあって、わたしたちの見通しをよくするのを助けてくれる。

特定の文脈に出自をもつわたしは、自分を他者から区別してくれる古くからの形式を継承するよう命じられる。しかし、この他者とは誰か。驚くべきことに、結局のところアイデンティティの問題が深刻なかたちで提起されるのは、もっとも「グローバル化した」国々の移民共同体にとってあるのだ。共同体のゲットーにおける衛星放送受信機、受け入れ国に移植できない慣習への閉じこめ、根づかない接ぎ木……。個人を苦しめるのは根である。グローバル化したわたしたちの世界において、根は幻肢のように残りつづけ、切除しようとすり耐えがたい苦痛をもたらす。というのもそれは、もはや現実には存在しない実体を装っているからである。固定した根をもうひとつの根に対置するよりも、神話化された「起源」を統合や画一化をもたらす「土地」に対置するよりも、別の思考カテゴリーに訴えるほうが賢明ではなかろうか。

こうした未曾有の状況は、文化的アイデンティティとはなにかを考える新たな方法のきっかけとなりえないだろうか。

現代の世界は、移動の物質的な条件を整備することによって、わたしたちの植え替えを容易にしている。

モダニズムが徹頭徹尾、根を讃えたのは偶然だろうか。それはラディカル〔根を意味する言葉を語源にもつ〕であったのだ。二〇世紀を通じて、さまざまな芸術的(あるいは政治的)宣言は、芸術や社会の本質をふたたび見いだすために、それらの起源への回帰を、それらの純化をもとめてきた。そこで問題となってきたのは、不要な枝を切り落とすことであり、差し引くことであり、取り除くことであり、解放をもたらすような新たな言語の基礎として示された単一の原理から出発して、世界をふたたび初期化することである。

今世紀の近代性は、アイデンティティの根をふたたび張るというまずい解決法と経済的グローバリゼーションによって定められた想像力の標準化のいずれも追い払うことによって、あらゆるラディカリズムとまさに反対のかたちで創出されるだろう。

このラディカント〔radicant〕という付加形容詞は、前進するにつれて根を伸ばし、また増やしてゆく有機体を指すものである。ラディカントであることとは、わたしたちのアイデンティティを完全に定義する力を根に認めないことである。観念を翻訳することであり、イメージを他のコードに変換することであり、行動を移植することであり、押しつけるよりもむしろ交換することである。もし二一世紀の文化が、同時的あるいは連続的に数多くの根を張るためにみずからの起源を消去することを企図する作品とともに創出されるとしたら?この消去過程は、放浪者の条件の一部をなしている。放浪者とは、われらが不安定な時代の中心的な人物像であり、現代の芸術的創造の中心にあらわれ、執拗にとどまるものである。


第一部

オルターモダニティ

1 根ーーポストモダン理性批判

サバルタン・スタディーズの大家ガヤトリ・スピヴァクは、今日疎外について考える際に拠りどころとされている概念そのものを「脱西洋化」しようとしている。これらの仕事は有益であるが、わたしがここでこだわるのは、〈啓蒙〉に由来する〈理性〉を奇妙なものに変えてしまうその副作用である。そこで〈理性〉は、偏在すると同時に誹謗され、たえず解体されるが非難することができない、そうしたものに思われる。

というのも、〈資本〉とはまさに、忌み嫌われると同時に非難できないとみなされ、たえず解体されるが無傷のままのものだからである。

トニ・ネグリとマイケル・ハートは書いている。「ポストモダニズムは、実際のところ、それによってグローバルな資本が作動する論理なのである」。というのもそれは、差異、多種多様な文化、混交、多様性といった観念を通じて、「商品の消費についての理想的な資本主義のすぐれた描写」となっているからである。

そこで重要になるのは、価値を同定することであり、またそれを、昨日のモダニズムの二元的でヒエラルキー的な図式から、またあらゆる種類の原理主義的な退行から引き離すことである。

*目下のとこれろわたしたちが目にしているのは、ポストモダン美学のもつあらゆる種の礼儀正しさの出現である。要するに、他者の自尊心を傷つけることをおそれて、わずかな批判的判断でも表明するのを拒む姿勢である。なるほど、この多文化主義の極端なヴァージョンは、好意に、つまり、とりわけ他者の「承認」(チャールズ・テイラー)への意志に基づいてはいる。しかしその副作用は、わたしたちが非西洋のアーティストを、文化的舞台の対等な役者としてではなく、丁重に遇するべき客人と暗にみなすようになる。

*ポストモダンの言説において、「他者の承認」はあまりにもしばしば、差異のカタログに他者のイメージをはめこむのに等しいものになっている。

物象化された文化の平和で不毛な共存(多文化主義)を超えて、それぞれのアイデンティティに対して等しく批判的な文化の協働へと移行すべきであり、言ってみれば翻訳の段階へといたるべきであるのだ。

この課題は途方もないものである。そこで問題となるのは、複数の物語のために「公式の」〈歴史〉を書きなおすことを可能にし、さまざまなヴァージョンの〈歴史〉のあいだの可能な対話を調整することである。さもなければ、文化の画一化の動きは、「〈他者〉の承認」をめぐる思考ーーそこで〈他者〉は保護すべき種となっているーーという安心させる見かけの陰で拡大する一方であるだろう。

辞書がわたしたちに教えるところによれば、本質とは、「あるものを、それがそれであるところのものたらしめるもの」である。それゆえ本質主義は、あるシステムや概念における安定したもの、不変のものにかわる。形態や観念の生においてこのように起源がゆき先に優越することは、明らかにポストモダンの支配的なモチーフとなっている。

*イランや中国やパタゴニアのアーティストが、作品においてみずからの文化的差異を生みだすようかくも促される一方で、アメリカ人やドイツ人はそれよりも、思考モデルにたいする批判や、権力の命令とか慣習の強制とかいったものへの抵抗に基づいて評価されるのはなぜだろうか。モダニズムの普遍的主義の破綻以降、共通の文化的空間が存在しないため、西洋人は〈他者〉を、薄い壁によってわたしたちと隔てられた言表行為の場に立つ、〈真なるもの〉の代表者とみなされねばならないと感じている。

すなわち、モダニズムの普遍的な「大きな物語」がいまや失効していることは周知の通りであるけれども、ある作品をある作者のローカルな文化のコードと調和的なかたちで評価することは、それぞれの文化の関連領域に精通している鑑賞者を前提とするものであり、これは控えめに言ってもむずかしいことのように思われるのだ……。

歴史的・政治的な真理の保持者たる主体として幻想される(他者〉とのファウスト的契約のようなもののなかで、美術批評は、みずからを典型的な他性の科学たる新しい人類学である、と喜んで考えるようになる。

古い歴史を持つさまざまな独自性が経済的効率の名のもとに根こそぎにされる時代にあって、美学的多文化主義は、こうして現代美術を、グローバリゼーションによる現実のなかで破壊されている伝統やアイデンティティの保管所にすることによって、絶滅の危機にある文化的コードについて注意深く検討するようわたしたちに促す。

*翻訳は今日、他者を他者として承認することへと誤って帰されてきた「基本的な倫理的努力」を代表するものとなっているのかもしれない。あらゆる翻訳は、命題の意味を翻案することを、すなわち命題をあるコードから別のコードへと移行させることを含意している。このことは、二つの言語に習熟していることを、しかしまた、そのいずれも自明ではないことを意味している。翻訳の身振りは、いかなる点においても批判を、それどころか反対を妨げるものではない。ともかくそれは、
ある提示を含意しているのである。翻訳の遂行にあたって、意味が不透明でありえたり、筆舌に尽くしがたいものがあったりすることは否定されない。というのも、あらゆる翻訳は宿命的に不完全なものであって、還元しえない残余をあとに残すからである。

ハリウッド映画はもはや、人々の生き方について証言するものではない。世界のニュースを伝えること、わたしたちの環境の急激な変化を記録すること、人々が移動したり、それぞれの生活環境に組み込まれたりする仕方を示すこと。いわゆる「作家」映画のほとんどは、こうした仕様書を多かれ少なかれ近辺に遵守してきた。かつて、映画とはわたしたちを、みずからを取り巻く世界のニュースに触れさせるものであった。いまやこうしたプログラムは、大部分が現代美術のほうに移ったように思われる。

誇張的に言うならば、映画が形式を通じて象徴を避けて現実と出会うことによって反対方向にいった、というわけである。確かにそこには、出会いの要素は存在する。しかし残念ながら、儲からない製品をより低コストの生産回路へと移転するような利益の法もまた存在するのだ。

 ドキュメンタリー・フォーマットは、記号を現実の指示対象に結びつけなおす直接的な力をもっている。

人はそこに、地球のニュースを、〈他所〉や〈他者〉についての情報を直観的に探す。それは、「他なるもの」であることが明らかとなるように世界を表象する仕方ではなく、アーティストたちがみずからのカメラで縁取るところの現実である。芸術の観衆は情報に飢えている。

わたしたちは、ある声をきくために近づく必要があり、通りすがりの見物人がするように注意を向ける必要があるのだ。

「社会のしきたり崇拝は、その現実的基盤が欠ければ欠けるほど激化し、熱狂的になるようだ。いまやこれは一種の土地なき社会であり、この社会は日常生活の無数の雑事を通して自己の精神性を把握するかわりにそれを夢想している。このことは、防御反応としての高慢さと社会的絆の病的なほどの緊密化をまねく。熱狂的で、かつ、空中楼閣のような社会」

わたしたちの環境はもはや〈歴史〉を反映しておらず、それを見世物へと変えるか、あるいは記念碑という限界へと追いやってしまっている。では〈歴史〉はどこに見いだされるのか。ポータブルな実践のなかである。

こうして、今日の文化は本質的に、土地から離れたモバイルデータとなっている一方で、このディアスポラ化はいまもなお、ある種反射的に、根を張ることや統合といった古めかしい用語で考えられているのである。

*ポストモダンの多文化主義がモダニズムの普遍主義に対するオルタナティヴを創出することに失敗したのは、それが適用されたあらゆる場所において、文化的投錨や民族的に根を張ることを再現したからである。

かくしてアーティストの仕事は不可避に、作者の「境遇」「身分」「出身」といったものによって説明されることになる。

かくして各人は、出所を突き止めらるれ、登記され、みずからの言表行為の場に釘づけされ、みずからの出自となる伝統に閉じこめられる。「きみはどこから語っているのか」と批評家はたずねる。あたかも、人間は常にひとつの、ひとつだけの場所にいて、みずからを表現するために自由に使えるのは、ひとつの声のトーンや言語だけであるかのように。
これが芸術に適用されてきたポストコロニアル理論の死角である。それは個人を、ローカルな、民族的な、あるいは文化的な根に決定的に割り当てられたものと考えてしまう。こうしてそれは、権力を利することになる。

したがって、多文化主義理論は権力者を強化するものにしかならない。

すなわち、象徴的な居住地ーー本質主義的なテーマパークーーへの割り当てを通じて抑圧や疎外とたたかうという罠に。

この領土の割り当てという思考は、モダニズムのイデオロギーに起源をもつ。

このイデオロギーは、二〇世紀を通じて反植民地闘争が使用してきた思考のフォーマットーーわたしたちが、自由のためにあらゆるたたかいを知覚するのは、解放、疎外といったこれらフォーマットによるーーを借りながら、極左による人工呼吸のなかで維持されてきた。

ポストモダンの言説は、この概念的カテゴリーをそのまま引き継ぎつつ、それを別の社会的・歴史的目的に当てるのである。

みずからの独立のためにたたかう人民のイメージを、それを覆い隠す層の下にふたたび見いだすためには、こうしたお仕着せのイメージを打ち砕く必要があった。実際、今日の政治闘争が、かつてないほど表象の闘争となっていることを、どうして無視できようか。

すなわち、〈歴史〉の単声的な物語のなかに、敗者たちの声を統合するということである。

さらに言えばそれは、いかなる点においても、現実的な文化的・美学的企図となることはできないだろう。カルチュラル・スタディーズやその芸術についての言説に浸透している反植民地のモデルは、モダニズムの基盤を掘り崩しはするものの、しかしそれを、この掘削それ自体、つまり空虚と別のものに置きかえることはしない。そして、西洋の白人男性の声が倦むことなく脱構築されるなかで、わたしたちにかすかにきこえるのはもはや、いかなる企図ももたない否定性の声にほぼかぎられることになる。

*このポストコロニアルの言説は、今日覇権的になっているように思われる。というのも、それは完全に、アイデンティティをめぐるポストモダン的イデオロギーの一部となっているからである。

すなわち過去の作品は、それがあらわれたところの歴史的条件の産物にほかならず、わたしたちはそれを民族社会学的なグリッドにしたがって解釈しなければならない一方で、現代の作品は普遍的なメガロポリス生まれであることから説明され。そこからみずからの自然発生的な意味を引きだすだろう、と。

かくしてポストモダニズムは、モダニズムの抽象的かつ理論的な普遍主義を別のかたちの全体主義へと置きかえた。つまり、無限の都市環境という、象徴的であると同時に経験的な全体主義である。そこで都市環境は、移民と定住民とのアイデンティティ闘争の、また公共空間と私有地との領土紛争の劇場となるだろう。こうして、ポストモダン・イデオロギーの原風景が目に見えるものとなる。

アラン・バディウが理論化した出来事という概念はわたしたちに、近代性の問題を別の仕方で考えることを可能にする。つまり、わたしたちはなにに忠実であるのか、みずからの行動をいかなる歴史的事実に結びつけるのか、という問いである。

カジミール・マレーヴィチやマルセル・デュシャンの作品は、その誕生を目のあたりにした〈歴史〉や社会的政治状況の産物とだけみなすことはできない。彼らの作品は、一連の要因の論理的帰結であるのと同時に、さまざまな効果を生じさせる時代に影響を与える、要するに歴史を生みだす出来事であるのだ。ポストモダンの批判的な思考が、芸術と歴史のあいだの一方向的な関係をこれほど強調するのは、この関係が、その言説の本質的な部分の基礎をなす割り当ての政治、つまり(場や時への)帰属のイデオロギーの核心となっているからである。かくしてポストモダンの批判的思考は、脱中心化、始動、剥離、垢すりといった力を否認するものとして生じることになるが、そうした力こそ、わたしが本書でオルターモダンと呼ぶところの、新興の文化を打ち立てるものであるのだ。

ジュディス・バトラーは、「いかなる自己同一的主体も存在しない」ことを自明のことと考えている。性的な生に関して言えば、アイデンティティの概念は、「演じられる」行為のために、つまり「主体」の側の永続的な運動を前提とする自己演出のために消え去る。

わたしたちはみな、潜在的にクィアであるのだ。

つまり歴史的にーー少なくとも大部分がーー西洋文化に依拠する基礎と結びついていなければ、単なる民族的な要素にすぎないだろう。

イエス、もし芸術の未来が、その自律性をまもることが重要であるようなさまざまなアイデンティティの単なる共存を経験することになると信じるならば。ノー、もしこれらの特性のそれぞれが、二一世紀特有の近代性の出現に与しうると考えるならば、この近代性は、多数の文化的意味素の協働によって、特異性の永続的な翻訳によって、地球規模で構築されるべきものであり、それこそがオルターモダニティであるのだ。

芸術のシステム、構造図は、その歴史的認識を離れては機能しえないが、歴史はそれ自体に閉じているわけではなく、永続的に豊かになりつづけている。

こうした歴史をあらゆる意味において盗用するのが、あらゆる国のアーティストたちの役割である。近年の例を挙げれば、リクリット・ティラワニが仏教的伝統とコンセプチュアル・アートとのあいだに結びつきを打ち立てる仕方は、歴史や形式のコード変換のモデルとなっている。反対に、小沢剛がフルクサス運動に由来する実践を介して日本の伝統文化由来のものを再充電する身振りは、わたしたちに、このコード変換がさまざまな特異かつ独創的な道をとりうるものであることを示している。

上記二人のアーティストにとって重要なのは、みずからの作品のなかに異質な要素を集積することではなく、世界の文化という無限のテクストのなかに意味のある結びつきを打ち立てることである。

ポストモダンの言説は、モダニズムの批判的脱構築と多文化主義的細分化のあいだで揺れ動くことによって、果てしない現状維持を暗に利している。この観点からは、ポストモダンの言説はある抑圧的な力となっているのだ。

わたしがオルターモダニティと呼ぶものは、ある構造図を指し示す。この構造図は、文化相互の新たな結びつきや、ポストモダンの多文化主義ーー言説や形態の力学よりも、その起源に執着するものーーを超える交渉空間の構築を可能にするだろう。*重要なのは、出発地の問いを目的地の問いに置きかえることである。「どこにゆくのか」。典型的にモダンな問いとはこうしたものである。

ヴォルター・ベンヤミンは、芸術作品のアウラを、作品の「いまここ」と定義している。すなわち、「それが見いだされる場所における作品の現前の唯一性であり、作品の真正性と歴史の基礎となる唯一性である。

イメージの新たな生産様式は、仕事をめぐる新たな諸関係と主体の再定義を同時にもたらすのである。映画をこの新たな関係のパラダイムにしつつ彼が説明するには、大都市の群衆のなかにあって、わたしたちの各人は、いまやカメラのまなざしのもとにみずからを見いだす。

映画の撮影は、人間という家畜を管理するための絶対的なモデルとなり、また、政治権力の行使を大幅に変化させるだろう。

すなわち、「作者と公衆の差異は、しだいに根本的なものでなくなりつつある。それはもはや機能的なものでしかなく、状況によって変化しうるのである」

しかし、いまや鏡像は人間から切り離され、持ち運び可能なものとなったのだ。持ち運び可能なイメージ、動いている鏡。無限に複製される世界における主体の運命とは、永続的な流浪民のそれである。

飼いならされたイメージ工学や監視カメラによってすみずみまで見張られ、また、世界的なイメージ産業によって標準化されこのまがいものの世界においては、記号がそれを伝える力以上に流通するようになる。わたしにできるのは、さまざまな文化に同一化することなくそのなかを動きまわったり、特異性に沈潜することなくそれを生みだしたり、さまざまな形態に浸ることなくその上をサーフィンしたりすることだけである。

モダンな出来事とは本質的に、帰属や起源といったものを横切りつつそれらを根こぎしてゆくような集団の形成としてあらわれるものである。

脱中心カされた地球規模の交渉、さまざまな文化に出自をもつアクターたちのあいだの多様な議論、異質な言説同士の突き合わせといったものから生まれるニ一世紀の近代性は、多言語的でしかありえないだろう。オルターモダンは、翻訳者的な近代性のようなものでなることが予想される。

また、特異な言説間に生産的な合意を探ること、たえず調整に努めること、種々雑多な要素がともに機能しうるように構成を常に練りあげることといった事柄が、オルターモダンの原動力と同時に内容となる。各アーティストや作者を自己自身の翻訳者に変えるような操作は、いかなる言葉も任意の「真正性」のしるしを帯びたものではないと認めることを前提としている。

 

 

2 ラディカルとラディカント

シュルレアリスムにとっての無意識、デュシャンのレディメイドにとっての選択の概念、シチュアオニスト・インターナショナルにとっての生きられた状況、フルクサスにとっての「芸術=生」という公理、モノクロームにおけるタブローの平面……。 いずれも、モダンアートにおける根の形而上学がそこから出発して展開するような原理である。

つまり、なにかをはじめ、未来の種を蒔くような言説の条件そのものとして、空虚やタブラ・ラサをつくりだす必要性である。これが根である。もし「その力が形式の純化によって獲得される」としたら、カジミール・マレーヴィチの《黒の正方形》は「絵画の領域における純化の極北である」。前衛が行うこの絶え間ない起源への回帰が意味するのは、芸術のラディカルな体制においては、新たなものがそれ自体、ひとつの美学的基準となる、ということである。その際の美学的基準は、先行性に、つまりのちのちその内部でヒエラルキーや価値が配分されるような系譜の確立に基づく。

終点であると同時に起点でもあるラディカルな作品は、現在の顕現となる。ラディカルな作品は、そこを逍遥しつつ過去にいったり未来にいったりすることができる領域に通じているのだ。

すなわち、絵画は、みずからと一体でも不可欠でもないものを残らず自分自身から取り除くことによって、自己をメディウムとして明示する方向に進歩する、というわけである。グリーンバーグの書くところによれば、モダニズムの法則は、「メディウムの存立にとって不可欠ではない因襲は認識されるとただちに捨て去られる」ことを含意している。

今日の熱狂にいたるまで、芸術においてあらゆるラディカルさは消滅したように思われる。
もしこの語を最近の特定の作品を規定するために依然として使いつづけるとしたら、それは怠惰とノスタルジーという二重の効果からであると認めねばなならない。というのも、やりなおしへの切迫した欲望も、プログラムの価値をもつ純化の身振りもないとすれば、真のラディカルさは存在しないからである。形態の荒々しさ、ある種の美学的粗暴さ、あるいは単なる妥協の拒否といったものでは真のラディカルさをもとめるのには十分ではありえない。減算への情熱と波及効果が足りないのだ。モダニズムのラディカルさは皆にかかわり、人は生ぬるい連中や伝統の協力者たちの陣営に置かれないためにそれに同意しなければならない。ラディカルさはけっして孤独ではないのだ……。ラディカルなモダニズムは、アーティストを〈歴史〉の駆動力とみなされるプロレタリアと同一視するという現象なしには存在しえなかっただろう。

一九世紀末における資本主義の変容、それから現在のようなかたちでのグローバリゼーションの確固たる支配は、ドゥルーズとガタリによればグローバリゼーションのプロジェクトそのものにあたる根こぎの作業を完成させた。資本主義機械はローカルなコードを資本の流れに変え、想像力を脱ローカル化し、個人を労働力に変える。それは結局のところ抽象画の実現に努めることになるのだ。

こうして美学的ポストモダニズムは浮遊や流動性の想像力を生みだしたことで知られる。この想像力は、それによって資本主義が実現するような大規模な脱領土化の動きを想起させる。

美術史的な史料は、単なる記号として自由に使えるもの、利用可能なものであることが明らかとなる。

そして、芸術が生みだす商品とはスタイルである。ここでスタイルは、無限に活用変化しうる視覚的目印の総体と定義される。模様になったピエト・モンドリアン、ユートピアをもたないヨーゼフ・ボイス……。

ポストモダン美学が政治的ラディカリズムの火が消えたところから生まれるものであるしたら、それは一九八〇年代という転換点に、まさにそのときにあらわれるということを忘れるべきではない。一九八〇年代とは、文化やメディアにまつわる生産が指数関数的に飛躍を遂げる時代である。

記号を詰めこまれすぎ、またたえず増大する作品群に浸されたわたしたちは、もはやみずからが生きる政治的・経済的な枠組みのオルタナティヴを語ることなしには、やりなおしについて考えるための想像的形態や概念を自由に使うことさえできない。こうして、モダニズムの終焉は、事物に囲まれた生活様式としての混雑状態を黙認することと一致する。

ジャン=フランソワ・リオタールによれば、ポストモダンは、「その建築が、それが近代から受けついできた空間において一連の小さな変更を生みだすように、そして人類の住む空間のグローバルな再建などは放棄してしまうようにと、宣告を受けている」ことで知られている。

一九八〇年代初頭から、理論的著作や芸術実践において廃墟や瓦礫のイメージが強い存在感をもってくることは、混雑の問題を想起させる。モダニズムの建造物は崩れ落ち、その記号が漂っている。記号はもはや〈歴史〉の重りを積んでいないのだ。

記号はもはや文化的な指示対象でしかなく、現実に指標づけされてはいない。

上海はタブラ・ラサの原理に基づいて再建されているが、この急成長は、利益を除けばいかなるイデオロギーにも基づいていない……。

そして西洋世界は、中国が歴史を根絶する仕方をうっとりと眺める。とはいえ中国は、なんらかのラディカルさに訴えるわけでもなく、単にグローバル化した経済という激流のなかでよりよく漂うためにそうするだけなのだが。

モダニズムにとって「根への回帰」がラディカルなやりなおしの可能性と新たな人間性への欲望を意味していたとすれば、ポストモダンの個人にとって根はもはや、あるアイデンティティへの割り当てしかあらわしていない。

移民、亡命者、観光客、都市の放浪者は現代文化の主要な人物像である。

*ラディカントはそれを受け入れる地面に応じて発育し、その渦巻きにしたがい、地質の構成要素や表面に適応する。それはみずからが動きまわる空間の用語に翻訳されるのだ。動的であると同時に対話的なその意味作用によってラディカントという形容詞は、環境との結びつきの必要性と根こぎの力とのあいだで、グローバリゼーションと特異性のあいだで、アイデンティティと〈他者〉を見習うことのあいだでさいなまれる現代の主体を形容するものとなる。それは主体をさまざまな交渉の客体として定義するのだ。

こうして今日のアーティストたちが翻訳の行為によって表現するのは、みずからの出自となる伝統よりもむしろ、伝統とみずからが生きるさまざまな状況とのあいだで彼らが実現する道筋である。

ポストモダニズムは根=原理を掘りだすために減算によって進んだが、現代のアーティストは選択、加算、乗法によって進む。

*ラディカルなアーティストがオリジナルな場に戻ろうとしていたのに対して、ラディカントは戻るべきいかなる場所ももたずに出発する。ラディカントの世界には、みずからが決定するものを除いては、いかなる起源も終わりもない。

今後重要になるのは、さまざまな状況への適応能力であり、一時的な異文化受容が生みだす産物(観念、形態)である。

硬直した態度やノスタルジックな態度を速度に対置するよりもむしろ、速度の中心そのものに長期持続や極度の遅さを植えつけよう。

そこで問題となるのは、恒久設置、永続化、築かれたものといった観点からではなく、さまざまな回路のなかで、また実験を通じて組織されるようなノマド的思考を練りあげることである。◉わたしたちの経験の不安定化に、断固として不安定な思考を対置しよう。

ラディカントのアーティストはさまざまな記号のなかに道筋をつくりだす。記号航海士たる彼は、形態を動かし、形態によって、また形態とともに行程をつくりだす。

絵画や彫刻はもはや、その構成要素を調べるだけで十分であるような実体とは考えられていないだろう。(それらの「起源」といった歴史的な部分についてのみ考察するのてないかぎり)。こうしてラディカントの芸術は「メディウム・スペシフィック」の終わりを、分野という発想に基づく排除の放棄を含意する。

モダニズムのラディカルさは、芸術活動そのものの死を目的とする。つまり芸術活動が歴史的地平として想像された「芸術の終焉」へと超越することであり、そこで芸術は日常生活へと溶解してしまうだろう。

*オルターモダンのラディカントは、そうした溶解の形象とは無縁にとどまる。その自然な動向はむしろ、芸術はを異質な領域へと移植することに、自由に使えるあらゆるフォーマットと芸術を突き合わせることにある。オルターモダニティのラディカントさにとって、分野にしばられた思考、メディウムの特殊性という思考ーーまさに、みずからの畑を耕すことに要約されるような定住的な発想ーーほど無縁のものはない。

翻訳とは本質的に移動である。それはテクストの意味をある言語形態から別の言語形態へと移動させ、その際の震動を見せるものである。

わたしはきみの言語とは別の言語で語られたことをきみのもとにもたらすのだ…。ラディカントは翻訳の思考としてあらわれる。

この見地からは、芸術は(それ自体に閉ざされた分野的なカテゴリーというかたちでの)永続化が問題となる本質ではなく、気体状の物質として定義される。

「気体状」という形容詞におびえるのは、芸術をその制度的な可視性の体制としかとらえていない人々だけである。「非物質的」という語も同様で、それを見ることを望まない者たちにとってのみ侮辱的に響く用語である。

まず、主体の問題をただちに後ろに追いやる多様体として定義されるリゾームとは反対に、ラディカントは特異な主体によって実行される軌道、道筋、歩みというかたちをとる。ドゥルーズとガタリは説明する。「多様体には主体もなければ客体もなく、たださまざまな規定や、大きさや、次元があるだけで……」。それとは反対に、ラディカントは主体を前進とする。しかしこの主体は、それ自体に閉ざされた安定的な同一性に要約されるものではない。それは彷徨いとう動的なかたちでしか、また、みずからの前進を跡づける回路の輪郭によってしか存在しない。これが主体をみずからを可視化する二つの方法である。言いかえれば、結局のところ同一性の構成を可能にするのは運動であるのだ。それに対してリゾームの概念は、捕獲、接合、外への開けによる主体化を前提とする。

*ラディカントの定義する主体の形象はクィア思想の擁護するそれと似ている。つまり、借用、引用、近接性による〈自我〉の構成であり、要するに純粋な構成主義である。

*つまり、ある状況や場に一時的な仕方で身を置くことであり、主体のアイデンティティはこの仮住まいの一時的な結果にほかならない。

ラディカントの思考が擁護するのは自発的な記憶喪失ではなく、相対主義であり、離反であり、出発である。その真の敵は伝統でも地方の文化でもなく、既成権の文化図式ーー慣習がかたちになるときーーへの閉じこめであり、アイデンティティのレトリックなかで形成される根ざしである。重要なのはみずからの遺産を拒否することではなく、その浪費を学ぶことである。

それはまた、意識的な彷徨の痕跡をも意味しうる。意識的な彷徨によってアーティストは、固定的な時間への帰属や、識別可能な、あるいは決定的な美学的親族への割り当てをいっさい拒否するのだ。

激変をこうむっているのは空間の観念そのものである。居住様式をめぐるわたしたちの想像力のなかでは、定住的な不動性はもはや数ある選択肢のうちのひとつでしかない。

ラディカントは、空間的な不安定性を帯びた想像世界の代表的な住人であり、所属の剥離を実践する者である。

*グローバリゼーションが問いかけるのは、なによりもまずわたしたちの表象の仕方である。より正確には、グローバリゼーションとは具象化と抽象化の関係が完全に一変する場である。というのも、モダニズムが資本主義に結びつけられるのは、まさに世界の表象という水準においてだからである。そこでは、わたしたちが世界について抱く一般的なイメージがつくりだされ、それからアーティストによって多様なイメージが生みだされ、それは前者の一般的なイメージがつくりだされ、それからアーティストによって多用なイメージが生みだされ、それは前者の一般的なイメージに反響し、それを確たるものとしたり無効化したりしうる。

*人間集団が表象とのいきいきとした接触をいっさい失う瞬間とは、資本主義がその所有物を統合してしまう抽象的な瞬間である。こうしてグローバリゼーションは、暗黙の図像学的な企図をみずからのうちに有することになる。その企図とは、生きられた時空間の抽象化の装置一式に置きかえる、というものである。ここで抽象化には二重の機能がある。「抽象化」は一方で、一般的なイメージによる世界の不自然な標準化を、工事現場の囲いのようにカムフラージュする。他方でそれは、土地固有の想像力に抽象的な想像の領域を押しつけることによって、このプロセスを正当化する。抽象的な想像の領域は、モダニズムの抽象にまつわる歴史的目録を、「文化へのリスペクト」を帯びた普遍主義のまがいものに仕えさせるものである。

流れ、資本の動き、情報の反復と配分。いずれも、広報によって管理されない視覚化はどんなものでものがれようとする一般的なイメージである。芸術の役割は、そこでこれらひそやかな形態が、探知されたり具現化されたりすることによって、ついには姿を見せ、名指された形象化されたりしうるようなスクリーン=レーダーになることである。

世界の支配的な表象コードが抽象化に属するのは、抽象化が、不可避のものの言語そのものとしてあらわれるからである。集団や個人の策謀は、権力によって気象学のかたちで示されることで、支配システムの永続化を可能にする。こうして、グーグルアースの衛星地図に点在する「空白」は、戦略上、軍事上、あるいは産業上の関心に対応することになる。芸術の役割は、物語やダイアグラムの自由なはたらきを通じて、適切な表象の道具を用いてこの関心を満たすことである。実現へと向かわない抽象化とのたたかいは、もうひとつの抽象化によってのみなされる。それは公式の地図や公認の表象が隠すものを見えるようにするものである。

一九世紀後半にあって、絵画の近代性とは、イデオロギー的な規定に対する自律性の獲得であった。つまり、表象された主題や、当時の交換価値の基礎となっていた「類似」から独立した価値をそなえたものとして形態の価値を高めることである。

現代のオルターモダニティは、グローバリゼーションの生みだす文化的カオスや世界の商品化のなかで生まれた。それゆえオルターモダニティは、アイデンティティを割り当てるさまざまな方法に対して自律性を獲得しなければならないし、さまざまな記号、形態、生活様式のあいだの回路や交換方法をつくりだすことによって想像力の標準化に抵抗しなければならないのだ。


3 ヴィクトル・セガレンと二一世紀のクレオール

ここに見られるのは、それにとってのあらゆる美の源泉や、それをつき動かすエネルギーが差異にほかなならないような思考であり、しかしながら他者の理想化へと陥ることはけっしてない思考である。

*セガレンは「エグゾティスムの感覚」を、異なるものの観念、多様なるものの知覚、なにかが自分自身ではないことの認識」と定義している。エグゾティスムとは「われわれが多様なるものをもっているという感覚」であり、さらには「多様なるもののあらわれ」そのものである。こうして彼は、不可解なもの、理解できないもの、読解不可能なものを「鋭敏で直接的な知覚」というかたちで受け入れることができる能力を、他のいっさいの能力の上位に位置づける。

二〇世紀末のイメージ理論の大家の一人セルジュ・ダネーのあらゆる批判的著作は、次のような考えに基づいている。つまり、他者の立場になるというのは道徳的あやまちと美学的犯罪とを兼ね合わせたものだ、という考えである。

セガレンの素描する多様なるものの美学の定義とはこのようなものでありうるだろう。つまり多焦点的な空間のただなかにおける複数の共現前であり、この空間においてはいっさいのフレーミングが、それに先立つ、あるいはそれに続くフレーミングによって修正される。

*多様なるものとは起源の美学であるが、それは、この美学が起源を強調するのは、それをより相対化するためにほかならない、という意味においてである。そこでこの美学は起源を、明滅する動的な線上の単なる一点として提示することになる。イメージを凝固させるのではなく、それを常にある連鎖のなかに挿入すること。ラディカントの美学はこのように要約することができるだろう。

「反対の視点」とは他者の視点のことである。

文化的な領域に他性は存在しない。他性の存在は「わたし」の存在を、つまり当の他性の尺度となる話者の存在を前提とする。

セガレンの定理は正反対の原理から出発する。それは、存在するのは他者ではなく他所である、という原理である。他所とは、そのうちのどこも起源的ではなく、また比較の原理とされることなどさらにないような場所である。

他性なる観念が疑わしいのは、それが共通の基盤を、言うまでもなく西洋的な共通の基盤を仮定しているからである。ラトゥールの説明によれば、この共通の基盤こそまさにモダニズム的な普遍性であり、ポストモダンの小羊に変装した文化的捕食者である。

というのも、わたしたちの文化は自然の役割を、つまりそれをもとにして他性が配分されるような価値基準の役割はを果たすものだからである。ブリュノ・ラトゥールのテーゼは、西洋と「それ以外」との暗黙の「大分割」が科学ーーそれは自然と文化、科学と社会のラディカルな分離を前提とする世界の数字的なモデル化への欲望から生まれたーーを通過している、というものである。

貨幣、つまりカール・マルクスの定義するところの「抽象的な一般的等価物」はある気泡を形成し、それをたえず翻訳の問題にさいなまれる政治の世界とますますきわだった対照をなすようになってきている。貨幣換算、つまりあらゆる記号の商品価値への変換は、翻訳の努力とは真っ向から対立するものとなっている。

翻訳とはパスである。すなわちそれは、決然たる意志的な行為であり、特異なものを指し示すことからはじまり、そしてこの特異なものを他者と共有する欲望へと続くことになる。

あらゆる系列、あらゆる斬新的変化、あらゆる比較が多様性という変化を生みだすのである」。さらにまた、「差異が微妙になり、明確に識別できなくなればなるほど、多様なるものの感覚はよびさまされ、ますます鋭いものとなる」。素朴には、コレクションては分類し、物象化し、凝固させ、ひからびさせるものである、と考えられるかもしれない……。セガレンはそこに反対のものを見ている。◉ある系列の枠内でほとんど似たものを集めることは、稀少性や特異性を芸術の識別標として打ち立てることになる。

標準化しつつある世界にあって稀少性は、それが一般的な系列性から解放されるものであるだけにいっそう注目に値するものとなる。

クレオール化はさまざまなものを生みだすが、そうしたものが表現するのは行程であって領土ではなく、またそれらのものは慣れ親しんだものと見知らぬものとに同時に属する。

そもそも、ある領土がわたしたちを引きとめるのはいかなる権利によってであるのか。

みずからの起源を裏切り、記号の市場でそれについて交渉すること、多かれ少なかれ遠いところにいる隣人の起源をみずからの起源と交雑化すること、文化的素材に割り当てられた価値を、そのローカルな、変換可能な使用価値のために放棄すること。予想されるクレオール化のプログラムとはこのようなものである。

そのとき、ヴォルター・ベンヤミンの定式がこだまする。「しかし、いまや鏡像は人間から切り離され、持ち運び可能なものとなったのだ」。グローバル化した個人はもはや、安定した環境をあてにすることはできない。彼は自己自身からの追放を運命づけられ、現代世界が要請するノマド的文化を創出するよう命じられている。

というのも、宗教の力とは、それがあらゆるものに意味を与えることにあるからである。宗教的なものの記号論の帝国からのがれることはできない。それはすべてを説明し、変化への抵抗を正当化し、進軍命令を与える。

伝統から引きはなす近代性の力は、宗教的原理主義や経済的スローガンに対してバランスをとることを可能にし、また、あるオルタナティヴな方向を、つまり経済的な収益性にも宗教的な没入にも基づかない、世界を読み解くもうひとつのグリッドを提示することを可能にする。近代性をいかに構造的に定義するのか。それは集団的な移動として、である。

※今日問題となっているのは、昨日のモダニズムの記号を猿まねすることではまったくなく、交渉したり熟考したりすることであり、ラディカルさの身振りをまねることよりもむしろ、現代にふさわしい身振りを創出することである。

今日あらわれつつあるオルターモダニティは、身体や記号の流動性を、わたしたちの文化的彷徨を糧としている。それは、思考や芸術に割り当てられた枠組みからの気ままな外出、アイデンティティ規範の外部への精神的な探検の様相を呈する。こうしてラディカントの思考は、最終的に集団移住を企てることに要約される。

Haim Steinbach


『ラディカント グローバリゼーションの美学に向けて』ニコラ・ブリオー/著、武田宙也 訳