集団の追悼 | 小動物とエクリ

集団の追悼

 

 

02 リアム・ギリックと『関係性の美学』

関係性(association)は、あの展覧会に参加していた全員が共有する一つの構造でした。彼らは作品をつくるのではなく全体的で継続的な活動をつくり出すという考えを持っています。展覧会はプロセスの終わりではなく、言ってみれば出発点でした。関係性とは、展覧会を未来へと拡張する可能性を探ることを意味していました。

最近のアーティストは、デュシャンを意識し、非芸術的なものをギャラリーのスペースに持ち込む。しかし、「(トラフィック)のアーティストは」むしろ非芸術的な構造を暫定的なかたちでそこに持ち込む。

ギリックたちにとって作品=構造とは、なんらかの事物や状況を、自己存在に対する認識能力を回復させる過程のうちに創造する、そういった「神経症的」なものではない。そうではなく事象の断片的な反応をきっかけとして、それらがたがいに触発する際の時間と空間の輻輳的な「交点」の連続(結晶体)が、「作品」と考えられている。彼らはそれを、「構造」と呼ぶ。

リレーショナル・アートは、旧来のジャンルの区分けを超えた、ものの表面やボリュームの触発的なつながりのような「装置」であるとされる。この「装置」という語はブリオーによって、フェリックス・ガタリの『カオスモーズ』(1995)から転用されている。

ガタリ「装置」
人間の活動が追求する目的で唯一容認できるのは、世界と関係しながら常に自己を豊かにしていくような主体感の生産でしょう。主体感を生産する装置は、巨大都市の尺度にも、一個人が楽しむ言語遊戯の尺度にも、同じように適合したかたちで存在することができます。

要するに、語られたことも語られてないことも。それが装置の諸要素です。装置そのものは、これらの要素間に作ることのできるネットワークなのです。

「装置」には、語源的に、「戦争」という意味合いがある。

クラーク/ニコルソン=スミス曰く、芸術は、再表象と反・再表象との亀裂においてその政治的局面を発揮する。それは、「実現されたもの」でも「実現されえないもの」でもない。

 

 

03 イザ・ゲンツケンの「鏡」

女性的なるものが実在するそのあり方は、身を隠すことであり、この身を隠すということは、まさしく慎み深さということなのである。

東西の対立構造の終焉という歴史の転機が、移行もしくは「ブレ」である。

モダニズムからポスト・モダニズムへの「移行」という視覚形式とは、どのようなものなのだろうか。それは、移行を一つの平面において光学的に差異化させること、つまり鏡(あるいは写真)のような平面体を分割していくことにほかならない。象徴体系の公理性をジジェクの言う「最小の区別」へと転換すること、平面を区切り続けていくこと、矩形の構造物を微視的に細分化していくプロセスを通じて、イデオロギーの定置にかわる視線の移行が常態化されるのだ。そしてこの分割という方法は、リヒターのフォト・ペインティングの「滲み」にとって代わる等価なもののランダムな集合体、もしくは同質の多元的な平面を現出させることになる。
この「写真的リアリズム」から「最小の区別」への移行を試みた写真家が、ヴォルフガング・ティルマンズであった。

多面と平面の中間のようなコラージュを《社会の見かけ》と名づけた。ゲンツケン

《社会の見かけ》の表面に映される不明瞭なる色面と化した鑑賞者自身の姿は、一つのシルエットとして視認されながらもイメージの対象化をこばみ、そして焦点の分散によって、リヒターのフォト・ペインティングにみられた抽象性を物的な次元へと押し上げる。このコラージュを介した微視的なる惑乱によってゲンツケンは、冷戦以降の錯綜する
世界情勢、宗教戦争とメディアの多元的な濫立のなかで、モダニズムからポスト・モダニズムへの移行を続ける、そうした特殊な時間性を視覚化させる。

 

 

04 ガブリエル・オロスコとメキシコ性

搾取する人々をアウトサイダーとするオロスコの考え

資本の物神性(fetishism)は「もっとも原始的で、風変わりで、不合理で、堕落したものを、もっとも近代的、日常的、合理的で、文明化されたものと、強引に一つのくびきでつなごうとするもの」であるだろう。物神性は、特定の文化/文明に属する対象が別の資本価値へと再編されるにあたっての、表象の原始的本性と連動している。

 

 

05 スタン・ダグラスとナラトロジー

非体制的とは概ね、別の時代に別の大陸で前衛芸術と呼ばれたものを指している。

 

 

06 リチャード・プリンス(アプロプリエーションと収集)

アプロプリエーションとは概ねこのように、消費社会に溢れているイメージをダイレクトに転用する表現のことをいう。

プリンスは、一定の視覚媒体の価値の推移に、主体そのものの価値ではなく、主体の「知名度」が関係していることを早くから察知していた。

言うまでもなく、我々が求めているのは根拠や起源ではなく、記号の体系である。写像(picture)の下には、もう一つの写像がつねに存在している。

ラカンの言説では、「眼差し」は主体に先立って世界に存在している。主体は、なにかを見るという行為を自らが意識するよりも前に、ほかの場所から見られている(ラカンはそれを、海に浮かぶ缶詰が、反射光によってこちらをみている気がするという感覚に例えており、クラウスもこの例を出す)。眼差しにあらかじめ捕らえられているということは、つまり主体のほうに、当の主体が「見られている自分を見ること」ができないという不可能性が、(主体の側にとっての)欠如、空洞や穴のようなものとして登記されているということだ。このとき主体は、みえない「点」によって貫かれている。そこで主体とは、「みる/みられる」といった関係項を可能とする「光」の世界のなかで、おびただしい眼差しに包囲されている。これらの光の視線によって構成される主体(私)のイメージは一定することなく、たえまない多方向的な偏差のなかで揺らいでいる。このとき、知覚は「空間の概念的なかで把握という透過性」
を基礎とすることなく、光を遮るように存在する身体とともに意味作用の生成という現象を躱す。クラウスは1990年代半ばに、ジャーマンの作品の「光」をこのように解釈した。

「絵のなか」にあるとはすなわち、社会の意味(「私が在る」)による尋問や統一を意識することではない。それは拡散し、形象の代わりにかたちない性状によって組織されたイメージへの従属を感じることだ。すべての角度から差し入る眼差しの光点は統覚できない。しかし、これによって引き起こされる欲望は、単一の視点による支配と実体化への欲求から主体を引き戻す。それは、正体のつかめず定まりのない眼差しが、意味や整合性、統一性、ゲシュタルトや形相の場となることを阻む、観測点の断片化である。

 

 

08 ティノ・セーガルと1960年代回帰

ジョージ・ディッキーによるアートワールドの理論

なにかの物(あるいは、物である必要はないので表現全般)が芸術として存在するとき、それを成り立たせているのは「人々」と彼らの行為であると考えた。

半ば非芸術(=素人)的な判断が、いまや芸術とらなるべきものを規定するようになっている。クリードの表現は、二項対立の構造(芸術とそうでないもの)の区別が機能していないにもかかわらず、いまだにアートワールドの人々がこの基準を保持しているという錯綜を暴きだしている。

アートワールドはすでに芸術をはっきりと定義するための基準をもっていない。

したがって問われるべきは、そうした制度批評がいまだに機能しうるのかという、有効性の部分でしかない。

制度内でアートワールドの人々から評価を得るために1960年代的な手法を利用するという、セーガル個人の思惑でしかない。

制度は「場」という空間軸ではなく、「同時代性」という視点の位相からとらえ直されるのだ。

ダントーによれば、解釈には表側的な解釈と「深い」解釈がある。表層的な解釈とは、アーティスト(行為者)の主体性とアートワールドにおける見解が一致をみる、整合的で公式な、社会に浸透している解釈である。いっぽう「深い」解釈とは、過去/現在/未来のどの時制をとるかも未然のままに、アート
ワールドの人々の無意識下にあり歴史の表層へも浮上しない、ある種の可能態として潜伏している解釈をいう。特定の行為や対象が芸術と同定されるとき、それは「深い」レベルにあった一つの解釈が表面化し、採択されたということだ。しかし、可能態が現実へと送り込まれるまでは、アートワールドの人々の意志や芸術の選択肢、歴史的価値は未決定のまま、特定の場や時間に固定されてはいない。今日の制度批評は、この未然の状態にこそ目を向けるべきだろう。
コンテンポラリー・アートの水面下には、歴史へと一元化されない異質な解釈がひしめいている。こうした制度内の深層レベルに向けて、アーティストが自らの主体性を分離していくなかでこそ、彼らは芸術にとって他者をみる。「1960年代」が今日に回帰するならば、例えばそれは美術関係者たちのディスコミュニケーションという「語りえない」諸相からコンセプチュアル・アートの無意味さを逆照射するような手立てとして有効となる。

安易な復古主義や商業主導の2000年代を経てアートワールドが希薄化した現在、求められているのは、同時代性に対する思索、そして史学的な専門性の早急な奪回である。それは芸術の「深さ」に到達するために欠かせない、アートワールドの正当な「表層」なのだ。

 

 

09・10 マイク・ケリー:学校とサイエンス・フィクション

「理論的」という言葉を「言語的」と敷衍することが許されるならば、それは広い意味でのコンセプチュアル・アートとはいえないだろうか。

唯物論やモダニストといわれるようなやり方で作品に普遍的な意味は求めはしないが、視覚的な余剰は求める。モダニズムの終わり頃の還元主義である、ミニマリズムやコンセプチュアリズムは好きではない。

そもそも美術から「カルチャー」への移行が、彼の受けた教育の内実となっていたのだ。

この、「次」という状況がもたらすのは、適応と調整の判断能力だ。それは改めて指摘されるまでもなく、生き残るための戦略である。

かつてクレメント・グリーンバーグもまた、ルビー同様、ミニマリズムを「考え抜かれた表現」であると述べていたが、それは理性や言語によって統制された、幾何学的で秩序だった形態のことを指していた。

マイク・ケリー サブレベル 1998

ケリーは《サブレベル》で、ミニマリズム的な形体とアブジェクト=打ち捨てられた身体の一部を、概念的に併存させている。

ミニマリズムにおける身体性は、美術史家のマイケル・フリードによる著名な論考「芸術と客体性」(1967)でも一定の役割を担う論脈であった。フリードはそこで、ミニマリズムの作品の内側が空洞であることを指摘し、またそれが大きさという点からも人体を思わせるとした。ミニマリズムを鑑賞する人々は、自身(主体)とは関わりを持たず、主体の側から距離を測っていかなければならない、そうした対象としての作品に対峙する。それを翻せば、ミニマリズムが鑑賞者の
身体性を前提としていることになる。こうしてミニマリズムは「対象」というよりも、身体に対する「客体性」と化す。そこで作品の本質は、身体と対象との関係から、視点と客体性との関係へと移行して、定まることのなき「時間」という持続的な性質に転換される。

パメラ・M・リーは、ケリーの表現が分類行為を混乱に陥れつつも、それが概念的世界にとどまっていると指摘する。

フロイトの前記理論における「欲圧された記憶」の再現。

美術は「再表象」の実践

潜在記憶とは、虚偽記憶の逆の現象であり(「記憶していない」ことに気づかないのではなく、「記憶している」ことに気づかない)。

美術であれ「カルチャー」であれ、過去を喪失したという記憶がそのシステムを駆動させるとともに、その自律したシステムにおいて過去は捏造され、延命する。モダニズムは、時間の持続性的な流れを「時代」という構造へと画定させる

「虚偽記憶」の清算を意味していた。

 

 

11 塩田千春との往復書簡

いなくなったときに、初めてその存在がみえてくる。不在のなかにある存在なのです。

12 キュレーティング・セオリーの現在

キューレーティングとは理論や主張を練り上げることであって、それにしたがい展覧会をつくるべき美術品やそれ以外のものを選んで、公共のために陳列することをいうのです。

キューレーティングとは、あたらしいやたは可変的な形式や方法を考えそれを発展させていくことであって、美術自体の感性や態度に関わるものなのです。

いかに対立意見を排することなく議論をするかということ、合意を求めずに対立することでさえある。

展示における異なる主体や対象との関係において、態度には一定の変化が現れるが、キュラトリアルはそうした交渉の継続的な過程を示す。そしてその「態度」は未知の方向に向かい、さまざまな体系をかたちづくる。

民主主義は、事物を惜しみなく分け与えるが、ただし事物を交錯させ、複雑にする。ゆえに人々は、対話の仕方を再学習しなければならない。

正確を期するならば、キュラトリアルとは「開催されないこと」、「妨害」において初めて敵対を偶有することが可能となる。

排除されべきは「権威主義」であって権威ではない。

いかに企画者たちが自身を「権威」として認めて、その権威性を無視した関係の構築は虚構であるということを継続的に自覚しうるかということだ。

美術は一つの証拠であり、トラウマとカタルシスを感情に満たされた理解のレベルから表明することができる。それはときに、集団の追悼、あるいは対立によって失われたものへの喪のかたちをとる」。クリストフ=バカルギエフによると、美術作品は、対立を通過することで政治的なコードをその表面に走査させる媒介項のようなもの、と定義される。

 

『コンテンポラリーファインアート 同時代としての美術』大森俊克 /著