非-知 | 小動物とエクリ

非-知

 

 

非-知は裸形にする。

すなわち、裸形にするゆえに、私はそのときまで知識が覆い隠していたものを見る、ただし、見る以上、私は知るのだ、というふうに。実際、私は知るのだが、私の知ったものは非-知によってもう一度裸形にされる。たとえ非-意味が意味であるとしても、非-意味という意味は消え去り、ふたたび非-意味になる。(こうしてとどまるところを知らない。)

非-知は恍惚を交流させる

非-知はまず最初に不安である。不安のなかに裸形が現れ、恍惚をもたらす。だが恍惚(裸形、交流)は、もし不安が逃げてゆくとすれば、それ自体逃げていってしまうのだ。かくて恍惚は、それが満足ではありえず、把握された知識ではありえないという点で、恍惚の不安のなかにしかとどまることはできない。もちろん恍惚はまず把握された知識である。

(私は知っている。誰もこれほど遠くまで知識を至らしめた者はいない。誰にもそんなことはできはしなかった。だが、私にはそれはなんの苦もないことであったしーー私の義務であったのだ。)しかし、知識の極点がそこにあるとき(そして私がたった今理解しえた知識の極点が、絶対的知識のさらに向こう側のものであるとき)、絶対的知識におけるのと事情は同じことであって、いっさいが顛倒してしまう。

私が知るいなやーー完全に知るやいなやーー(知識によって私の置かれた)知識の領域における貧困が、あからさまに姿を見せ、ふたたび不安がはじまる。しかし、不安は貧困に対する恐怖であって、ついには、向こうみずにも、貧困が愛されるような瞬間が、わたしが貧困に身を投げ与えるような瞬間がやってくる。このとき、貧困は恍惚をもたらす裸形となる。

次いで知識が立ち戻ってくる。

恍惚においては、私たちは成り行きにまかせる。それは満足であり、幸福であり、俗悪である。

主体および客体の効力停止、これだけが、主体による客体の所有に至らぬための、すなわち、全体的たらんとする自己の愚かしい突撃を避けるべき、ただひとつの手段である。

まず最初に私は知識の極点に到達する。(一例を挙げれば、私は絶対的知識の物真似を演ずる。方法はどんなものでもよい。ただ、このことは知識を欲する限りない精神的努力を前提とする。)このとき、私は自分が何も知らぬということを知る。自己(イプセ)としての私は、(知識によって)全一者たろうと希った、そして私は不安のなかに落ち込む。この不安を惹き起こす動因は、私の非-知であり、救いがたい非-意味である。(ここで非-知は個々の知識を廃絶するのではなく、それらの意味を廃絶し、それらからいっさいの意味を取り去るのである。)すっかり事がすんでから、ようやく私は、私が今語っている不安がどんなものであるかを知ることができる。

すなわち、自己としての私は、知識によって全一者たろうと望む、したがって交流しようと、おのれを滅ぼそうと望む、しかもなお自己のままなのだ。交流の起こる前に、主体(わたくし、自己)と、客体(完全に把握されぬかぎり、一部分は不確定の客体)とが交流のために定立される。主体は客体を所有するために客体に襲いかかる、しかし、主体はおのれを滅ぼすことしかできない。知識を志向する意志の非-意味が、あらゆる可能事の非-意味が発生し、自己に対して、それがおのれを滅ぼそうとしていることを、それといっしょに知識がおのれを滅ぼそうとしていることを知らしめる。

自己が、その知識を志向する意志のなかに、自己たらんとする意志のなかに生きつづけるかぎり、不安が持続する。

私がわれに返るやいなや、交流はやみ、私自身の喪失もやみ、私はおのれを放棄することをやめ、私はそこにとどまってしまう。ただし、あたらしい知識を得てそこにとどまるのである。

 

私は次のような概念に辿り着く、すなわち、主体、客体とは、無気力の瞬間における存在の投影図であること、狙いをつけられた客体は、全一者たろうとする主体=自己の投影であること、すべての客体の表象は、この愚かしい、必然的な意志に由来する幻覚であること(客体が物として定立されるか、現存在として定立されるか問うところではない)、交流は主体から椅子を取り外し、客体からも椅子を取り外してしまうという事実を深く理解した上で、交流について語るようにならねばならぬこと、などである。

体験とはまさに企ての反対物なのである。私は、体験を得ようとして私の抱く企ての反対側で、体験に到達する。体験と企てとのあいだには、苦痛と理性の声とのあいだにある関係が成り立つ。すなわち、理性は精神的苦痛の無力さを描き出してみせる。

非-知が到達されると、絶対的知識は、もはやあまたの知識のなかの一知識にすぎなくなってしまう。

 

『内的体験』ジョルジュ・バタイユ/著、出口裕弘/訳より抜粋し、流用。