東京は雨のち曇り。午後3時25℃。
体感温度は、湿度の影響で27°C。 
日の入り午後7時1分。


さて、今日は
「私の様子&母の様子
[付録:ショック&平安] 」
を書きとめます。

 

 

このところ忙しすぎるほど忙しい。

高齢者ホームにいる98歳の母を慰めるために、

1日おきに、高齢者ホームに通っている。

 

私は

抗がん剤のステロイドによる背骨の骨折で、

歩きにくい上、

抗がん剤で心臓も弱ってるのか、

一歩一歩、深呼吸して歩くありさま。

気温が上がってきたのも

身体に負荷がかかる。

 

それでも母のところに行かなきゃ 滝汗💦

 

母のところでの滞在時間も3時間以上、

8時間にも及ぶ時がある。

 

母は、

ホームの訪問医が替わって、

30代後半位の若い先生になった。

すると、その先生は、

山のように飲んでいた

便秘薬の下剤を一切止め、

整腸剤のビオフェルミンやミヤBMなども

一斉にやめてしまった。

 

すると、今まで、

出なくて困ってたのに、

不思議なことに、

出て困るようになった。

まるで下痢のように、出てしまう。

 

トイレに通うのに疲弊した母は、

「ホスピスに行く」とか

「永眠したい」とか言い出した。

 

「歳をとると何にも良いことがない。

みんなに迷惑がかかるだけ」とか、

「生まれて来なきゃよかった」とか

のたまう。

 

母が生まれて来なきゃ、

私の存在もないんですけど・・・。

 

 

私が母のところに行かないと、

寝てばかりいるよう。 

すると、

褥瘡もできやすいみたいだし、

(既に、

お尻は色素沈着して、黒ずんでる)

困った、困ったとなる。

 

 

けれど、

昨日は、

母は明るい顔をしていて キョロキョロ

ホ〜〜っとした。

 

「お尻の事は気にしないことにした」と。

どうにもならない事は、

やっぱり気にしないことよね。

 

(私は、

母を

1度専門の先生に診ていただきたいとは、

思ってるんですけれど。

日程調整などしている最中。)

 

 

昨日の朝、

母は、

「ぼたもちがたべたい」と

私の弟に電話したらしく、

弟が、

「ぼたもちを3つ届けてくれた」と母は言った。

 

(「ぼたもち」と「おはぎ」は同じものだそう。

春は、牡丹から「ぼたもち」、

秋は、萩から「おはぎ」と

呼ぶのだとか。)

 

冷蔵庫を見ると、

パックの中に、ぼたもちが2つ残ってた。

 

母は私には

「アタシは年寄りだから、

お餅は食べれない」と言った。

 

それで、

甘いものを警戒してる私だけど、

母のために、

私がお餅を2個分食べた。

母は周りのあんこを2個分食べた。

 

 

弟から来たメールで判明したことには、

「朝、持っていった ぼたもちは、

ペロっと1個、お餅も食べてたよ。

かみ切ってたから大丈夫だ」と。

 

私は「ぼたもち」はまずいと思って、

「麩まんじゅう」を1個持っていった。

これは

おもち じゃないから大丈夫と思ってたけど、

母は、喉に詰まりそうになって、

吐き出してた。

 

母にとっては、

「麩」も、「おもち」並みに危険だった。

 

もう少し噛み切りやすいものの方が

良いようです。

母はゼリーも食べにくいと言ってた。

噛み切りにくいのかなあ。

 

私がいたせいか、

母は元気が出た様子でした 照れ

 

[付録]

この日は、

高齢者ホームの懇談会の日でも

あった。

ホーム側と入居者および家族との懇談会。

 

食費を月額10,000円近く値上げするとの事。

仕方ないかなぁ。

 

あと、驚いた事は、

2023年度このホームから退去した方

(即ち、逝去された方)は

入居者全数の4分の1近くにもなっていた ポーン

 

また、

ケアマネさんと話す機会があった。

彼女の口から

ショックなことを聞いた。

それは誰でも、

高齢者となって、さらに進むと、

皆さん、尿意を感じなくなる、

つまり、気づかずに出てしまうそう ガーンえーん

 

そうすると、

大体、

介護の介入が入って、

ベッド上でのおむつの交換になる、

とのこと。

 

なんだか悲しくショックを受けました。

 

私の友人の1人は、

天井を見て寝ているだけの

99歳の父上が召されない、と、

涙ぐんでいたなあ。

 

けれど、

寿命は自分で決めることはできないので、

運命に従うしかないですよね。

生きてる間は、できるだけ楽しく。

 

 

本日は日曜日、

デンマークの哲学者、

キルケゴールの言葉を礼拝説教で聞いた。

「死に至る病は、絶望である」と。

 

聖書にある放蕩息子のたとえ話。↓

生前贈与を父親から受け、

けれど、

散財して困窮してしまう。

つまり、絶望の状況。

ただ、

この放蕩息子は

「父親のところに戻ろう。

子供としてではなく、

雇われ人として」と考える。

 

そして、戻ってみると、

父親は、

この放蕩息子に駆け寄り、

雇われ人として扱うどころか、

わが子として愛情をもって迎える。

 

主(神)はこの父親のように、

ひとりひとりに愛のみ手を

差し伸べてくださっている。

あなたのうちに平安があるように、と。

 

生きてるうちは楽しく、

平安のうちに暮らしたいですよね ウインク