なぜだか、今朝、早く目が覚めた。そうだ、ちょうど1週間前の朝7時30分に、左を向いて下顎呼吸をしながら、父は息絶えた。1週間は、あっという間である。昨年12月から、父の様態は、あまり思わしくなかった。年末は、年を持つかと、そのことが気がかりだった。また、仕方がないとは言え、年末年始の死に騒ぎは、何かと周りに迷惑を掛けるもの。


令和6年1月1日を迎えた元朝、父が、まだ生きていることに安堵した。そして、その夕方に、能登に大きな地震があり、我が家も大きく揺れた。この地震で仏間の部屋に飾ってあった父親の永年勤続を表彰した賞状の入った額だけが、なぜか、落ちそうになり、危険なので外している。幸い、その他、被害はなかった。


そして、1月7日の夜の突然の停電。原因はブレーカーの老朽化による故障だった。


しかし、翻って見るに、これは父の死の予兆を知らせるものだったのではないかと思われる。


1月14日、私の甥っ子、父からすれば、孫の大事なセンター試験が、終わった。


そして、1月29日、父はこの世を去った。不思議と、そのタイミングを図ったかのように思えて来る。


1月31日、お通夜の日、お天気も良く暖かく、遠方から来る兄弟も問題なく、集まることができた。告別式は、風雪があったが、父の無念さを現しているようだった。そうか、北島三郎さんの『風雪流れ旅』が、父の大好きな曲だった。


そして、2月1日に、お骨となり、2月3日、節分の日に初七日法要が執り行われた。2月3日は、毎年、地域のお寺で節分祭が開催され、その行事に、父は認知症になるまで、ずっと協力して来た。


そして、立春。新潟は、この時期ではウソのような快晴、父の気持ちも晴れていることだろう。筋書きが、ないはずなのに、本当に、うまくできた流れ。


ああ、父よ、今年の節分祭も、無事、終わりましたね。ありがとう、そして、安らかに。