雪
予報は見事に的中。
何年ぶりだろう。雪景色に心温まりそう。
2月の1・2・3日と言えば中学入試。成人式やセンター試験および中学入試の日には雪が降りやすいらしい。とはいえ、1年で最も寒く最も雪の降りやすい時期の最もホットな行事だから、雪が降れば即トピックとなって、おあいにくさまの印象が強まるというだけのことかもしれない。
雪が降りやすいのではなく、雪の記憶が残りやすい、ということか。
解けて水となり消えていくだけの雪。
しかしなんと存在感があるのだろう。
雪の美的性質は、結晶という結実した形象に由来するのだろうか。
かりそめのはかない状態だからこそ美しいのだろうか。
それともなんだろう。
Wallace Stevens (1879-1955) の "The Snow Man" という詩を思い出した。
たしか1923年の作。最後の句が印象的。冒頭と最終部を引用する。
The Snow Man (抜粋)
One must have a mind of winter
To regard the frost and the boughs
Of the pine-trees crusted with snow;
[...]
For the listener, who listens in the snow,
And, nothing himself, beholds
Nothing that is not there and the nothing that is.
抄訳&意訳「人(One)は冬の心を持たねばならない。そして霜や雪のかぶった枝を見つめるのだ。長らく凍りついた果てには風の音にいかなる悲惨も感じない。丘の風はいつも同じのがらんとした空間に吹き、聞き手に届く。聞き手は雪の中で聴く。それ自身無となって、そこに無いものを何も見はせず、そこにある無を見る。」
実体のない風が、丘という空(くう)を満たし、あたかも実体を持って立ち現れるかのよう。
冬の心は無。無いものに目を向けず、「無」のありかに耳を傾ける、それが冬の心であり詩の心。
Wind は詩のインスピレーションのよう。だが、のみならず詩の中を吹きすさび、それ自体は無なのに、詩に息吹を吹き込んでいるかのよう。
Snowman ではなく Snow Man たる心を持つとは、冷たく荒涼とした風のうちに、nothing と the nothing のはざまにあるはずの何かに耳を傾けることだということ。
雪はやはりかりそめと結晶のどちらでもあり、どちらでもない。
----------
同じ Stevens が書く詩の一節に
It was Ulysses and it was not.
というのがある。(The World as Meditation)
Stevens はこういうどっちつかずの物言いが好きらしい。本義と表象されたものとのあいだに、転覆がおこり、同定されないことによって残される可能性のなかに何かが取り憑いている。そんな書記法だろうか。
何年ぶりだろう。雪景色に心温まりそう。
2月の1・2・3日と言えば中学入試。成人式やセンター試験および中学入試の日には雪が降りやすいらしい。とはいえ、1年で最も寒く最も雪の降りやすい時期の最もホットな行事だから、雪が降れば即トピックとなって、おあいにくさまの印象が強まるというだけのことかもしれない。
雪が降りやすいのではなく、雪の記憶が残りやすい、ということか。
解けて水となり消えていくだけの雪。
しかしなんと存在感があるのだろう。
雪の美的性質は、結晶という結実した形象に由来するのだろうか。
かりそめのはかない状態だからこそ美しいのだろうか。
それともなんだろう。
Wallace Stevens (1879-1955) の "The Snow Man" という詩を思い出した。
たしか1923年の作。最後の句が印象的。冒頭と最終部を引用する。
The Snow Man (抜粋)
One must have a mind of winter
To regard the frost and the boughs
Of the pine-trees crusted with snow;
[...]
For the listener, who listens in the snow,
And, nothing himself, beholds
Nothing that is not there and the nothing that is.
抄訳&意訳「人(One)は冬の心を持たねばならない。そして霜や雪のかぶった枝を見つめるのだ。長らく凍りついた果てには風の音にいかなる悲惨も感じない。丘の風はいつも同じのがらんとした空間に吹き、聞き手に届く。聞き手は雪の中で聴く。それ自身無となって、そこに無いものを何も見はせず、そこにある無を見る。」
実体のない風が、丘という空(くう)を満たし、あたかも実体を持って立ち現れるかのよう。
冬の心は無。無いものに目を向けず、「無」のありかに耳を傾ける、それが冬の心であり詩の心。
Wind は詩のインスピレーションのよう。だが、のみならず詩の中を吹きすさび、それ自体は無なのに、詩に息吹を吹き込んでいるかのよう。
Snowman ではなく Snow Man たる心を持つとは、冷たく荒涼とした風のうちに、nothing と the nothing のはざまにあるはずの何かに耳を傾けることだということ。
雪はやはりかりそめと結晶のどちらでもあり、どちらでもない。
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同じ Stevens が書く詩の一節に
It was Ulysses and it was not.
というのがある。(The World as Meditation)
Stevens はこういうどっちつかずの物言いが好きらしい。本義と表象されたものとのあいだに、転覆がおこり、同定されないことによって残される可能性のなかに何かが取り憑いている。そんな書記法だろうか。