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UGへの接近

Chomsky (1987), pp. 20-23

a. John ate an apple.

b. John ate.

例文(a)では eat という動詞に目的語がついている。

この文しか知らなくても、例文(b)を聞いた子どもは、頭の中で、

b'. John ate something or other.

という意味で文を理解できてしまうという。

"someone or other" のように語を補って考えることを "empity pronoun" の原理と呼ぶ。


おもしろいのは次。

c. John is too clever to catch Bill.

d. John is too clever to catch.

先ほどの "empity pronoun" の原理に則れば、例文(c) の to catch Bill の主語は someone or other であるが、やはり子どもは習わなくても to catch の主語が主文の主語であると知っている。このように形態上は目に見えない主語を見抜く力を "subject-control" の原理と呼ぶ。


すると、to catch に主語も目的語も明示されない例文(d)は、"empity pronoun" と "subject-control" の原理から "John is so clever that he, John will not catch someone or other" という意味に理解しかねない。だが、実際の子どもの頭脳はきちんと、"John is so clever that someone or other will not catch him, John." という意味で理解できるという。


かくしてチョムスキーは、言語がまるで自転車の乗り方のように慣れや訓練によって獲得されるとする経験主義的見地を否定して、computational system of mind/brain を提唱した。


だが、そんな高尚な分析以上に、上記の例文を見ながら、言葉と言うのは面白いなとつくづく思う。言葉の面白さに出会ったとき、とくにネイティブでないと分からない感覚的な場面に遭遇したとき、われわれはわれわれ自身のUGつまりUniversal Grammer に出会うのだろう。


「明日大阪に行きます」と言われると、ネイティブの子どもはすぐに話者が大阪に行くのだろうと解釈できるが、外国人のオトナで、来日して日が浅い人だと、「誰が大阪に行くのか?」と思ってしまうという。これもわれわれに備わる "Suject-control" なのかもしれない。


すると、言葉に限らず、なんらかの「おもしろさ」「発見」「感動」というのは、われわれの頭脳に生得的に備わっている能力に、びびびっと刺激が走ったしるしでもあるのかもしれない。だからこそ、日頃から気づきを大切にすることは、いつの日か何らかの形で実を結んでみせるに違いない。