ゴーギャン | 振り返ってもやはりそこには誰もいなかったのです…
「資格とるぞ!」のユーキャンではありません。

ポール・ゴーギャンの有名な作品に

「 我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか」

という作品があります。

また、荒木先生の短編集「死刑進行中、脱獄進行中」の中の

デッドマンズQの一節にこんな表現があります。
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わたしはときどき考える・・・
いや
いつもかな・・・
どこかにヒントはないかと考える

「母親が子供を産む」

その場合だ・・・
赤ん坊の魂ってのはどこから やってくるのだろうか?
母親の魂が
細胞のように分裂して成長してきたのがあのガキの魂なのか?
それとも・・・
やはり
みんなの言うように「あの世」ってのがどこかにあって
そこから母親のところにやってきたのが
あのガキなのか?
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どちらも哲学的な思考なのですが、実は僕のホームページのテーマもコレに

近いコンセプトの基、製作されているのです。

僕が注目しているのは「人の想い」です。

想いというのは、自身の想いです。

楽しいこと、うれしいこと、悲しいこと、感動したこと、つらいこと、とかありますよね。

でもそれっていつか忘れちゃう。自分が好きだったものさえ・・・ね。

ってことはその想いはどこに行っちゃったの?ってなりませんか。

ではより具体的な例。

中学校くらいで思春期を迎え、異性の誰かを好きになったとしましょう。

すごく好きなのに、本人にも誰にも伝えず、ずっとずっと思い続けて

卒業して、忘れる・・・。

この時のエモーショナルな想いはいったい何処へ行ったのでしょうか?

時間が経つにつれ、小さくなって自己消化して忘れちゃう。

数年後の同窓会の前に思い出して、再会して幻滅・・・なんてことあるよね。

戻して。

そう、単なる思い出(過去、結果)では無くその時に感じたこと

あーしたいとか、こーしたいとか、何話たいとか、何処が好きだとか

知って欲しいこととかあるでしょ?

僕が大切にしたいのは結果でなく、進行中だった想いや感情を忘れないこと。

だから写真にしたり、作品にしたり、このように文章にしたり。

今の自分の想いを忘れたくないから、真空パックするように保管していくのです。

普遍的ではない想いに対して、今それをすることに意味があるわけです。

どーですか?わかりにくいですか?

WEB上に不完全な想いに墓標をたてる場所を見つけました。

それが僕のHPです。